第五十五話
一五二二年三月 越中守山城
越中国も三月を迎え、日に日に春の色が濃くなってきた。
近頃は国内も平穏無事だ。
しかしこういう時にこそやるべき事が多いものだ。
一番にやるべきは内政であるが、それと同じくらい重要なのは国内外の情報収集およびそれに付随する工作活動だ。
我等神保家は前にも述べた通り国を挙げた事業として薬種商を行っているが、育成した行商人はその実は武芸を修めた諜報員である。
昨年からは新たに隣国の飛騨の国へ行商人を遣わせているのだが、そろそろその情報が集まってくる頃であろう。
そうそう、敦賀郡司の朝倉宗滴・景紀親子との関係であるがあの後主家である朝倉家には伝えず、秘密裡に盟約を結んだ。もっとも表面上は今まで通り変わらないのだが我が神保家(狩野屋)の廻船は無条件で敦賀港を利用可能とし、対価として敦賀港の警備として神保家の常備軍を五百派遣し朝倉宗滴麾下とした。
まぁ要するに朝倉宗滴・景紀親子の私兵として屈強な兵士を提供したわけだ。
兵農分離が進んでいないこの時代において、常に動かせる軍を持てると言うのは画期的な事なのだ。
「殿、実玄殿が参られました。」
狩野職信が襖を開け僕を呼んできた。
「うむ、通せ。それと別室におられる実悟殿もお連れしろ。」
「は!かしこまりました。」
少しして生臭坊主、もとい、実玄が案内されて部屋に入ってきた。
「これはこれは神保長職様におかれましてはご機嫌麗しゅう…」
「ふん、心にもない事を申すな。そんなこと全く思っておらんのだろ?」
「御名答でござる。御身は拙僧の事をよく分かってらっしゃる!」
「ある意味その潔さ、最近では好ましく思えて来たぞ。」
「それは恐悦至極にございますな!」
実玄はケラケラと笑うと、僕の前に座って一礼した。
「この度は御呼出し頂き、拙僧、嬉しく思いますぞ。」
「ああ。実悟殿に御坊の事を話したら会いたいと申すのでな。俺としてはその席を設けたまでよ。」
「それは上上。…とその前に報告したき義がございます。」
「ほう、それは何か?」
「はい。残念な事なのですが、我が息子の玄宗を誅しましてございます。」
「何と、御坊の息子殿をか? それは何故?」
「は…。玄宗は殿と我等が結んだ事を加賀の方へ報告しようとしておりました。何とか事前に察知し阻止できたのですが、その中で玄宗を誅せざるを得ない状況になりまして…」
さすがの実玄も苦渋に満ちた表情を浮かべた。
戦国の倣いではあるが、子を殺害したのだからな。
「それはお悔やみを申し上げる。」
「いえ、もし加賀へ話が洩れておれば今せずとも良い戦になったやもしれませぬ故、致し方ありませぬ。」
「うむ、御坊の我らへの忠節はよく覚えておこう。…必要なものがあれば帰りに申し付けるが良い。」
「ありがたき幸せにございまする。」
実玄が平伏した。
そうこうしている内に実悟が部屋に入ってきた。
「実悟殿、良くよく参られた。そこな僧が続柄の上で甥御にあたる実玄殿だ。越中の門徒を纏められておる。」
「これは叔父上。この実玄、叔父上が落ち延びられたと聞いて心配しており申した。この度お会いできて嬉しく思いますぞ。」
実玄の言葉に少し戸惑い気味の表情を浮かべながら、実悟が腰を下ろして一礼した。
「これはありがたきお言葉にござる。なれど叔父甥の間柄を言えど実玄殿は私より人生の先達であられますれば…」
そう、この二人は叔父・甥になるのだが何しろ実悟の父の蓮如が<凄い人>であった為、年齢の上下が逆なのだ。恐ろしいものよ…
「は、この実玄めにお申し付け頂ければ力になりましょうぞ。」
「かたじけのうございまする。」
「さて、殿。」
実玄がこちらに向き直った。
「何だ、実玄殿。」
「以前も申し上げましたが、実悟殿を我が寺にお迎えしとうござる。」
「ふむ、それは実悟殿次第だな。実悟殿、どうであろうか?」
僕は実悟へ問いかけた。
「甥にあたる実玄殿の申し出、私としてもありがたい話にございます。しかしながら、実玄殿は私にどのような役目をお望みか?」
「はい。ここだけの話でございますが、拙僧は生臭坊主にござる。どちらかというと汚れ役が得意にございますれば、その逆な面での顔が欲しいと言う事でして。」
「それを私にやれと…?」
「はい。拙僧は寺の者や門徒がそれなりに幸福でありたいと神保長職様に申し上げました。実悟殿には門徒への教えを説くという面でご活躍頂きたく。」
「なるほど…」
最初は実悟を使いやすい場所にて遇するつもりであったが、実玄の申し出はまぁこれはこれで我が神保家にもメリットはある。
一先ず実玄ら麾下の一向宗とは同盟関係にあるから、そこに我等に友好的な実悟が加われば叛逆されるリスクも小さくなるかもしれない。
「実玄殿よ、俺からもう一つ良いか?」
「は、何でございましょう。」
「俺は貴殿を完全には信用せぬが息子殿の件もあるし今更疑ったりもせぬ。だが実悟殿が安全に活動できるようにしてもらわなければならぬ故、我が方の者を目付として送っても良いか?」
「それはもう、殿の御下知に異論はございませぬ。」
「なれば良し。あとは実悟殿の決断次第だが如何か?」
実玄は完全に信頼を置くわけにはいかないが、逆らう気が無いのは確かなようだ。
「分かり申した。実玄殿の申し出の通り、私は安養寺に向かおうと思います。」
「承知致した。では準備ができ次第に我が護衛と共に安養寺に入って頂こう。」
「「承知いたしましてございます」」
目の前の坊主二人が平伏した。
一向宗に関する仕置きは当面これで問題無いだろう。
盆中は帰省しており執筆ができませんでした><




