第四十九話
一五二二年十二月 越前敦賀郡
季節は進み海も荒れ始め、冬の気配が強くなってきた。
ここは越前国敦賀郡、古くから大陸と日本各地への交易拠点として栄えて来た地である。
それだけに越前の重要地点とされ、ここを治める郡司にはかの有名な軍神・朝倉宗滴が置かれていた。
「ほう、越中に面白い人物がおるのか。孫九郎よ。」
発言したのは朝倉宗滴その人だ。
この時すでに四十を超えていて白髪も目立ってきてはいたが、隆々としたその体はまさに衰えを知らぬ人物であると言えた。
「はい、義父上。越中神保家が当主、神保長職と言う者です。家督を相続して一年余りにて越中の七割ほどを平定し、また氷見にて数々の事業を行っているとか。」
対して答えているのは朝倉宗滴の養子である朝倉孫九郎景紀だ。
この人物は戦国大名朝倉家先代当主朝倉貞景の四男であったが、後の世で養父に劣らず武勇に優れていたと評判の武将であった。
(無論、この時は十六歳くらいでこれから伸びていくような状況であるのだが。)
「越中も中々混沌としておったはずだがな。残るは一向一揆の坊主共と言ったところか。」
「越中砺波郡の坊主共とは現在和睦していると聞き及んでおります。いや和睦と言うか、戦っておらぬと言う事の様ですな。」
「ふむ、中々に食えぬ御仁と言う事かの。」
一向一揆はここ越前においてもかなりの脅威であった。
たびたび越前に攻め込んでくるのは加賀の一向一揆だ。
「越中の一向一揆は加賀とは違う動きを見せているのかもしれませぬな。」
「それにつけ込んでおるのだろうな。時に氷見での事業と言う事だが、それはたまに敦賀の港に入ってくる能登畠山家の廻船で来る狩野屋と言う奴か?」
「は。我等朝倉に敵対意志は無いようですし畠山抱えの鑑札もありますれば、通行を許可しておりまする。…それに時折朝倉…と言うよりは敦賀郡司に対しての心付けも届いておりまする。」
「ああ…。あれには敦賀郡司も助かっておるな。」
要するに賄賂だ。
主家である越前朝倉家へのものでは無く敦賀郡司に対してのみ賄賂を送ってくると言う事は、何かしらの下心があるのは間違いないが、この敦賀を重要視しているのは間違いないだろう。
時には金子であったり食糧であったりもするが、その量は決して少ないものでは無かった。
それほど神保家の事業は成功している証左であろう。
不浄なものであるとは言っても金は金である。
この戦乱の世では綺麗事だけでは生き残れないのだ。
金があれば武具や食糧を買うことが出来るし、結果的に民を守る事にも繋がるのだ。
「それでその神保長職と言うのはどのような人物なのだ?」
「齢は某と同じくらいと聞いておりまする。能登守護畠山様の義兄弟となり、越後とも誼を通じているらしいのですが、詳しくはまだ…」
前述の通り越中の狩野屋は商人として敦賀を中継地として事業を進めており、その先は琵琶湖を通して京の方面へ行っているようだ。
この時代加賀~越前は一向一揆等の混乱もあるので、それを回避する方策として正しいものだ。
しかしながら敦賀郡司にはそれ以上の情報は入ってこなかった。
上手く情報を統制しているものと言えるだろう。
「だが敦賀郡司に対して少なくない心付けを送ってくると言う事は、伝手を持ちたい意志があるのだろうな。いや、敦賀郡司の行動を待っているのかもしれぬ。…これは興味があるな。」
「定期的に来ておりますから、次に来た時に我らの下に来るように申し伝えますか?」
「そうだな。かの神保長職と言うものと繋がりを持っておくのも良いかもしれぬ。」
「その狩野屋に接触する件は、御屋形様にはお伝えいたしますか?」
その言葉を受け、朝倉宗滴は自らの顎髭に触れた。
現在の越前朝倉家当主は朝倉宗淳孝景であり、朝倉宗滴の甥、景紀の兄だ。
「それは孫九郎、お主に任せる。お主の兄を立てるのであれば、その様にすれば良い。」
「義父上。某は義父上の御心を伺っておりまする。」
「ほ! 中々生意気を言うようになったの?」
「某は、他国でも評判の軍神の義息子になりましたからな。」
「…ならば言おう。儂は当主である甥御に抗う気は無いが、折角の人生だ。面白く生きたいものよ。」
「…かしこまりました。では御屋形様には内密に接触いたしまする。」
「それでこそ我が義息子よ。」
朝倉宗滴は満足そうに頷いた。
その眼には光が灯っていたのは言うまでもない。
朝倉宗滴は言わずもがな、軍神です。
また文化人でもあったようです。
その心の中にも野心があったのでしょうか?




