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第四十八話


一五二一年十一月 能登~越中



「神保長職様、少々よろしいでしょうか。」



能登七尾城から越中氷見への道中、昼休憩を取っている最中僕に呼びかける声がした。

その方向を振り向くと、次期公方足利義晴が連れていた幕臣のうちの一人が立っていた。



「あ、はい。えーっと貴殿は公方様の…」



うーん、ちょっと名前が出てこないな。

幕臣なのは間違いないのだが。



「失礼致しました。私は公方様が臣、三淵弥二郎(みづぶちやじろう)尚員(なおかず)と申しまする。」



この時僕は気が付かなかったのだが僕より歴史に詳しい狩野屋伝兵衛に聞くと、この人物はかの有名な近世細川家の祖である細川藤孝の父親であるらしい。この肥後細川家と言えば某内閣総理大臣になったあの政治家の家系と言えば、現代の人には分かりやすいのかもしれない。



「いえ…。して三淵様には某に何用でございましょうか。」

「先程の公方様とのお話を聞いていたのですが、公方様の質問に対して言葉を濁されていたのはなぜかと思いまして…」



ああ、アレですか。

そういえばこの人、すぐ後ろに控えていたな。

この人は(これもあとで聞いた話だが)史実では足利義晴とその嫡男(=剣豪の将軍として有名な足利義輝)が近江に落ち延びた時にも同道した忠義の幕臣であるようだ。

まあこの時はそれについては知らなかったが、下手な回答は出来ないと思ったな。



「ああ、<将軍家をどう思っておる?>の事でしょうか?」

「左様にございます。」

「私の真意を答えると言う事はできなくはありませんが、それが公方様にどのように伝わるか…」

「神保長職様の不利になるようには致しませぬ。」



うーん、信じても良いのだろうか。

まあそれがどうなろうとも、足利将軍家の未来は見えている訳だが。

(歴史はいくらか改変されつつあるが、今のところ畿内の情勢には関係無い筈だ。)



「…であれば申しますが今の公方様、いえ、足利将軍家の権威は過去のそれほどありませぬ。公方様も理解されていらっしゃいましたが…」

「残念ながら仰る通りでございますな。今の将軍家には応仁の乱以前ほどの力は無いようです。」



お、分かっているじゃないか。



「それでも将軍家が持つ形式上の権威はまだありますから、畿内の情勢を見れば分かるように、有力な家の立身出世の為の旗頭に使われておられます。管領様の御心までは私には窺い知る事はできませぬが。」

「細川殿無くば義晴様は将軍になれなかったことは紛れもない事実であるのは確かですが…」

「それでは実権はどこにあるのでしょう? 幕臣の皆さま方もいらっしゃるでしょうが、私が思うに管領様になるでしょうな。」



かの有名な三好が出てくるまでは細川家が実権を握ったのは周知の事だ。



「無論、私はそれが悪い事だとは思いません。管領様の後ろ盾があって公方様が治世を行えるのであればそれはそれで良いですし、我が神保家と致しましては公方様や管領様と敵対するような意志は無く、そもそも越中国内の事を行うので精一杯でありますれば。」



正直な話、畿内の情勢等僕にとってはどうでも良い事だ。

関連があるすれば越中守護の畠山植長くらいであろうが、かの御仁が越中に目を向けるはもう無いだろう。



「さすれば神保様は公方様の敵になる事は無いと信じてよろしいでしょうか?」

「少なくとも私の方から反旗を翻そうとは思いませぬ。」

「左様にございますか。」



少なくとも今のところはね。

だがもし畠山植長等と焚きつけて公方側から何か敵対行動を起こされれば話は別だ。

そうなればどこまで戦うかは別として、大切な人を守る行動をすることになるだろう。



「…これは私見でございますが、公方様におかれましては、まずは力を蓄える事を第一に考えるべきでござりまする。今は管領様が絶大な力をお持ちでありますが、周辺には他にも有力な武家が存在しております。まだまだ畿内は安定せぬでしょう。」

「力を蓄えることにおいて神保家のお力を借りられれば助かるのですが。」

「もちろん我が神保家に出来ることがあればお命じ頂ければとは思うのですが、先程申し上げました通り、まだ越中国内の事で手一杯でしてな。六角様や朝倉様等のほうがはるかに力をお持ちでしょう。」



六角家と言えばこの時代近江守護の大大名だ。

この時代の当主は六角定頼(さだより)でこの人物も優れた武将であるが、某歴史ゲーム的に言えばこの息子の六角義賢(よしかた)承禎(じょうてい))の方が有名だろうか。

六角義賢はおそらく生まれたばかりだろう。

朝倉家は格で言えば守護代であり神保家と同じであるが、まあ有名なのはやはり名将・朝倉宗滴だ。

仲間にしたかったが、無理だろうな。



「承知いたしました。まずは神保家が公方様に敵対する意思が無いという言質が取れただけでも良しと考えておりまする。」

「齢十にて重責に立たれる公方様には、心情としては縁を感じておりますれば。」

「それについては公方様にしかとお伝えいたしましょう。それではこれにて…」



三淵尚員がこの場を辞していった。

次期公方足利義晴に同情の念を持っているのは事実であるから、敵対しない事を祈るとしよう。






三淵尚員は文中の通り、細川藤孝の父親であります。

そして将軍家に仕える忠臣であった…と思われます。

後に足利義晴から偏諱を受け三淵晴員と改名することになります。

(正確な時期は不明の為、作中では尚員としました。)


御殿様の家系の内閣総理大臣のくだりはある程度の年齢以上の方であればおなじみですね。

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