第四十七話
一五二一年十一月 能登~越中
七尾城での会見から三日後、僕達は越中氷見へ向かって出発した。
滞在中は能登国内を視察して…なんてことは無く、まるで親戚の家を訪ねている感じだった。
まあ義総が芳を連れてこいと言う時点でそうなる感じはしたんだけどな。
あ、そう言えばもう2か月後には新年を迎えるから、また七尾に来ないといけないんだな。
さて氷見への帰路であるが、次期将軍の足利義晴一行が同道していた。
足利義晴は幕臣とわずかな手勢しか連れていなかったから、三百の兵を連れていた神保家は図らずも堂々とした警護兵に見えた事だろう。
足利義晴当人であるが僕の横並びにて騎乗していた。
その表情はとても上機嫌だ。
「のう、長職よ。氷見まではどれくらいで着くのだ?」
「そうですな。距離で言えば七里半くらいですから、夜までには到着できるでしょうな。…公方様がお疲れになってはいけませぬ故、途中で休憩は挟もうと思いますが。」
「そうか。しかし余の事はあまり気にせぬで良いぞ。」
それでも形の上では上司の上司であるから、気にしない訳にもいくまい。
まあ本来越中守護の畠山稙長が上司と言えるかどうかは大きな疑問であるのだが。
「しかしのう、長職。其方は己の才覚では無いと言うが、あの混乱していた越中をここまでまとめ上げたのだから、大したものよ。」
「勿体無きお言葉にございます。しかしながら先日申し上げましたように某の力だけでは到底できぬものでして。幸いにも某は周りに恵まれたという事ですよ。」
「謙遜するのう。まあそういう事にしておこう。」
後ろの幕臣たちの視線はどうも嫉妬の様なものを感じるが、気にしないでいたほうが良いな。
「して其方は氷見ではどのような事業をしておるのだ?」
「はい。幸いにも氷見は義総のいる能登も近く、周辺の寺社も敵対関係に無いことから、安定して商いを行う事が出来ております。我が神保家抱えの狩野屋を中心として、うまく義総が治める七尾の廻船問屋を使いながら産業を発展させる試みを行っております。」
「なるほどのう。先日の宴席で食した食材は大したものであった。」
「お褒めの言葉を頂きありがとうございます。京の様な雅なものは用意できませぬが、氷見ならではと言ったものを作れればなと。」
「ふむふむ、勉強になるの。しかし長職は京には来たことはあるか?」
「いえ、恥ずかしながら…」
少なくとも<僕になってから>の長職は京に行ったことが無い。
その前の長職はどうなのかな?
長職の祖父にあたる神保長誠の時代には時の将軍足利義稙(当時は義材)を放生津に迎え、要するに亡命政権であるが、室町幕府と繋がりを持っていた事があるようだ。
その後越中は混乱期にあったようだから、あまり京には縁が無さそうだな。
「そうか。恥ずかしい事であるが、余が生まれてこの方、京は安定していた事が無い。我が将軍家の権威は地に落ちており、管領や近傍の武家が権力闘争にまみれているのが実情だ。余とて、その中で将軍になる人物に過ぎぬのだよ。」
なんと、齢十にして、それなりに正確に状況認識が出来ている様子だ。
「長職。其方は我が将軍家をどう思っておる? 実際、それほどの期待感は無かろう。」
「ふむ、中々答えづらい質問にございますな。」
本当にその通りである。
本音で言えば、歴史を知っている身としては、あくまでも形式的権威を得るため以外の存在にはなり得ないものであろう。
史実でも細川にしろ六角にしろ朝倉にしろ、そして三好や織田にしろ、本気で足利将軍家を奉ろうとはしていないはずだ。
例えば足利将軍家で兵を集めようとしても、どれくらいの人を集められるだろうか?
「それよ。我が方の中で一番力を持っているのは細川高国であろうな。だが奴の周りも敵だらけだ。そうなれば余はどうなるのだろう?」
史実では、このあと二十五年程は将軍職にあったはずだ。
だがそれも順風なものでは無かったはずであるのも事実だ。
畿内の権力闘争に密接に関わるものだったのだから。
「公方様。畿内が混乱したとして一番困るのは民でござる。越中においても我が軍に従軍してくれた民のみならず、女子供もたくさん影響を受け申した。力無き民を生かすも殺すも、治める者の選択次第でございますぞ。」
「…そうよな。為政者がそれを忘れてはならぬ、か。」
目の前の少年は生まれてから何を見て来たのだろう?
この性格はおそらくは預けられていた播磨守護の赤松家での養育で形成されたものなのだろうが…。
「さて、まもなく昼の時刻にございます。予定ではあの川沿いに陣を張りますれば、しばし休憩といたしましょう。」
だいたい半分くらい進むことが出来たかな。
ひとまず休憩の段取りをしていこう。
足利義晴はそれなりには有能な人物であったようです。
畿内の混乱で叶いませんでしたが、幕府の権威を復活させる取り組みをしていたらしいですね。




