第四十三話
一五二一年十一月 越中氷見 狩野屋屋敷
十一月、一五二一年もあとふた月を残すだけとなった。
今日は領内のおける冬支度に関する打ち合わせをすべく、狩野屋を訪れていた。
幸いにも今年の米の収穫も良く、冬の準備さえ万全にすれば領民たちが飢える事は無いだろう。
とは言え北陸の冬は雪深いのは周知の事であるから、冬における食物と言えば雪で保存をした野菜になるのだが、それらの栽培はまだ十分とは言えない。
米だけに依存しない農業体制も整えていきたい。
貯蔵が良い食物と言えばイモ類かな?
サツマイモ…はまだこの時代に日本にあるか分からないから、サトイモはどうかな。
たしかもうあったはずだ。
あと米の休耕期に育てられるものと言えばカブとかかな。
これも日本にもうあったと思う。
後で狩野屋伝兵衛に聞いてみよう。
うーむ、余程武士が考える事では無い気がするが、正直戦の事を考えているよりは面白い。
街づくりシミュレーションゲームと言った感じだからな。
もっともこれは仮想では無く現実なのだ。
戦のこともそうであるが、この土地の支配層である僕の判断によって領民の生き死にが左右されるのだから。
「おや、長職様。もう来ていたのか。」
そんなことを思案していると、外出から狩野屋伝兵衛が帰宅してきたようだ。
「ああ、先に上がらせてもらっているよ。」
「そうか。」
狩野屋伝兵衛がそう言いながら着物に付着した埃を払ってから上がってきた。
「確か京からの帰りだったかな。そういや、畠山九郎殿はその後如何しておられるか?」
畠山九郎は越後訪問を終えた後に狩野屋での簡単な研修を終え、京に上っていた。
いつぞやの話し合いの通り、狩野屋の京での活動に協力するためだ。
「ああ、あの御仁は頭は悪くないな。二年程修行すれば京での支店を任せられるだろう。京の畠山屋敷を遣わせてもらえるのも都合が良い。」
「なるほど、それは上上だな。」
どうやら畠山九郎は頑張っているようだ。
まあこの辺りは僕が介入できるものでも無いから、狩野屋に任せておくしかないな。
「三郎慶広はどうだ?」
「慶広は妻に任せている。妻の事だからうまくやるよ。」
狩野屋伝兵衛は子育ては苦手の様だ。
もっとも僕より少し年上だから年齢的は子供と言うわけでもないの(高卒くらい?)だが、教育を受けていないようだからその辺も教えなければならない。
「そういう長職様はどうなんだ?先月は遊佐総光様に色々と絞られたのだろう?」
「ああ…。剣術を習ったんだがな。もう全身筋肉痛だよ。」
僕は力なく首を振った。
僕は遊佐総光に武芸を習い始めたのだが、あの人は鬼教官だ。
「ふん、甘ちゃんなんだからそれくらいしなければ立派な大名にはなれんぞ。」
「伝兵衛も付き合わないか?」
「俺は商人だぞ。」
そう言われてしまえばぐうの音も出ない。
なんだかんだ狩野屋伝兵衛の商才にはかなり世話に助けられている訳だし。
「しかしなあ長職様。」
狩野屋伝兵衛が僕の眼前にドカっと座った。
僕と狩野屋伝兵衛の間には身分など関係ない。
何しろ(多少の時代差はあれども)同じ未来から来た者なのだから。
「ん、どうした?」
「京までの旅の間、ここ二年くらいの事を考えてみたんだ。」
「…どんなことをだ?」
「俺達って何なんだろう? って事をだよ。」
「随分哲学的だな。」
「だってそうだろ? いやまあ、長職様は歴史に実在する人物ではあるがな。俺は歴史には聞こえて来ない。確かに越中には狩野某と言う武将はいたようだが、歴史にあるのはそれだけだ。」
狩野某と言うのは名前は明らかでは無いが、飯久保城に拠っていた一族の事だ。
狩野弥五郎職信の一族であるが、弥五郎職信自体歴史書に登場しない。
そう言う意味では職信も、目の前の狩野屋伝兵衛も<架空>の人物であると言える。
「歴史に残っていない人間などたくさんいるだろう?」
「それはそうだがな。そんな人物が俺達の歴史に繋がる筈の歴史を、既に改変しているんだよ。」
冷静に考えればその通りである。
その一歩として我が父と一緒に死ぬはずだった椎名慶胤は今も生存している。
そして神保家と能登守護畠山家との婚姻・同盟等聞いたことが無い。
我が配下になった松波長利は美濃に行かないから、美濃斎藤家も誕生しない。
つまり、織田信長と濃姫の婚姻も為されないのだ。
長尾晴景になるはずだった長尾道一丸も長尾定長と名乗り、父・為景と対立している。
「そこまで考えたことが無かった…。つまり俺達は歴史の中で一番イレギュラーな存在なのか。」
「その通りだ。こうなると今後の歴史はどうなるのだろう?」
織田信長が美濃斎藤家と婚姻関係にならないとすると、尾張の統一は出来るのだろうか?
確か尾張国内は織田信長(この時代は祖父信定が当主)の織田弾正忠家は主筋の大和守家や伊勢守家等と争っていた筈だ。
もし国内を出来たとしても東の松平、今川との関係は?
考えれば考えるほど冷や汗が出てくる。
「まあ今更それを考えても、それはもう意味が無い事だ。長職様、お前は生き残りたかっただけなんだろ?」
青ざめた僕を見て、狩野屋伝兵衛がフォローの言葉を発した。
「ああ。俺は出来れば大切な者、芳や家臣達、狩野屋の皆も含めて長く生き残りたいよ。」
「で、あればもはや信じる道を進むしかないな。」
そうだ。
僕達にはもうそれしかないのだ。
僕は自らに関わる人たちの顔を思い浮かべながら、拳をギュッと握り締めた。
大切な人たちを守るためには、もうこれしかないのであります。
一五二一年での織田弾正忠家当主は織田信定でしたので訂正しました。




