第三十八話
一五二一年八月 越中新川郡
「ぬぅ…何とかならぬのか。」
越中国新川郡守護代を自称する椎名長常が苦渋に満ちた表情で呟いた。
魚津城の軍議の間は重苦しい空気に満ちていた。
魚津城が包囲されて既に一ヶ月半以上経っただろうか。
兵糧の貯えは乏しく、味方であったはずの越後長尾家からの援軍は無かった。
救援を求める使者を出してはいるのだ。
だが、彼等が来る事は無いだろう。
「慶胤めの軍だけならまだ何とか耐えられたのだ。忌々しくは毎夜毎夜我が城に火矢を射掛けてくる奴等よ。あれに我が軍は追い詰められたのだな。」
「はっ…。食糧庫は燃やされ、兵共はかなり疲弊をしておりまする。数を大きく減らす攻撃ではありませぬが寝る間も惜しんで警戒せねばならず、脱走を試みる者もいれば気を狂わせてしまった兵もおります。」
家臣の一人がそう言いながらため息をついた。
前述の通り既に城は包囲され物資はほぼ底をついており、援軍どころか補給のあても無い。
方や敵は見せつけるかの様に物資の補給作業を行っている状況だ。
このままでは死を待つだけだ。
「我等はこれから如何にすべきであろう?」
「敵にはかなりの策士がおり申す。最近聞こえて来た松波某とか言う者の様ですな。」
「ああ、放生津城を落としたという、神保家の将であったな。」
「この火矢による策略もその者によるものでありましょうな。」
「フム、我等が策を弄するだけ無駄、か…」
椎名長常が腕を組んだ。
「我が椎名家が誇りを保つためには、打って出るしかないか。」
「我らにはまだ六百の兵がおります。物見によれば神保軍は丘の上から動かず静観し、その一部が火矢を射掛けてきているのでしょう。こうなれば一気に一点集中で出て、越後方面に走るしか無いかと。」
「うむ、そうなれば時が勝負だな。慶胤めの軍はおそらく二百程我らより多いだけだ。その中で慶胤めの首を取れれば儲けものよ。包囲しているから一部の突破を目指せば、その一点の防備は薄かろう。よし、直に手筈を整えよ。」
「かしこまりました。」
椎名永常が軍の方針が決まった。
彼等は武士だったのだ。
降伏など考えられぬ。
座して死を待つよりは、誇りを守るためには戦うしかない。
◇ ◇ ◇
「御注進! 椎名長常が城から打って出た模様!」
「どちらに向かっている?」
「椎名慶胤殿の軍の防備が薄いところを突き突破に成功、越後方面に向かった由!」
「ふむ、予定通りだな。」
整然と軍を進めているのは遊佐総光だ。
数は松波庄五郎が率いた五十を除いた六百五十程だ。
「このまま進めば我等は長常が横を突ける。慶胤殿には直に軍を纏め、背後を追うように注進せよ。…まあ、既に庄五郎が具申しておろうがな。」
「承知!」
伝令がこの場を離れて行った。
松波庄五郎の手際は見事なものよ。
儂もそれなりに軍学を学んだつもりであったが、庄五郎がそれには敵わぬ。
まあ儂は儂が出来る事をするまでよ。
「しかし遊佐総光殿。椎名長常は武人であったようですな。」
話しかけてきたのは援軍の畠山軍の佐脇某だ。
「それは認めねばならないが、如何に立派な武人であろうとも孤高であってはならぬと言う事よ。いや、増長してはいかぬ、とでも言うかな。儂は神保長職様にお仕えして実感したわ。」
儂も少し前であれば能登守護代遊佐家の威光を持って、敵ばかり増やしていたかもしれない。
「遊佐殿も御変わりなされたのですな。」
「そうよ。佐脇も我が殿に仕えたければ口利きをしてやるぞ。がっはっは。」
「…味方の、主ある将を引き抜きしようといたしますな。」
「はは、それもそうだの。お、見えてみたぞ。」
少し先に椎名長常の軍が見えてみた。
突破の際に数を減らしたようで、今は五百と言ったところか。
籠城戦で疲弊しているだろうし、まだこちらに気付いていないようだ。
「よし、今なら奇襲が敵うぞ! 功を上げた者は褒美を取らすぞ! 皆の者、心して掛かれよ!」
遊佐総光が号令を掛け、神保軍が攻撃を開始した。
横からの攻撃を受けた椎名長常軍は混乱に陥った模様だ。
方や農民兵でない常備軍として訓練を受けた精兵である神保軍は攻撃の勢いを落とす事は無い。
半刻程で既に七十~百の椎名長常軍の兵がなで斬りにされただろうか。
まさに死屍累々である。
「おうおう、そこな将は椎名長常殿では無いか! 我が名は神保家が侍大将の遊佐総光である。長常殿は既に武士の気概を見せられた。降伏するか、さもなければ儂との一戦を所望致す!」
「ぬ、其方が遊佐総光殿か。某とて誇りがござる。一戦、お受け致そう。」
将同士の一騎打ちが始まった。
殿、下賜頂いた関孫六、使わせていただきますぞ。
激しい剣戟が辺りに木霊した。
儂は剣の腕にはそれなりに覚えがある。
椎名長常もさるものよ、中々やりおるわい。
そして一刻の後、椎名長常の首は胴から離れることになったのだ。
戦いの情景って文章表現が難しいですよね




