第百三十六話
一五三二年九月 加賀東部
北方戦線においた我が神保軍(+同盟軍)は総勢一万三千にて一向一揆軍の突出部に対して攻撃を開始した。
この方面の敵軍は六千程であり、数で勝る(配置的にも半包囲となっている)我が軍は徐々に敵を押し込んでいく。
ガン!ギィン!!ザシュッ!!!!
辺りには剣戟や兵が斬られるような音が響いた。
宗教に裏打ちされている一向一揆軍は死をも恐れない者が多いが、それでも我が軍は数だけでなく兵の質でも勝っていた。(とは言っても犠牲が全く無くとはいけないが。)
そして同時に我が軍の他方面の部隊も同時に前方の敵に対して圧力を掛けて行った。
微妙なバランスで保たれていた戦線は何か切っ掛けがあれば脆く崩れてしまうもので、今がまさにその時だった。
一向一揆軍の突出部は夜襲の勢いで他の戦線から離れていたのもあり、もはや孤立していると言っても過言ではない。
この方面の敵は河北潟の辺りで多くが討ち取られていったのだ。
「よし、行け!堅田城の辺りまで進め!!」
僕は珍しく前線に近いところで指揮を執っていて、まぁそれなりに敵兵と交戦する事はあった。
南無阿弥陀仏…と念仏を唱えながら斬りかかってくる敵には恐怖を覚えつつもそれを斬り伏せ、強兵である味方の常備兵と共に前に進んでいった。
一方元々の主戦線であった主力である遊佐総光らの部隊も全方位に圧力を掛けていてこちらも順調な様だ。
西方戦線においては大聖寺城を出陣した朝倉宗滴らの敦賀朝倉軍と長岡六郎の部隊が攻撃を仕掛けていた。
一向一揆軍はこちらの方面の兵力の半分を東方戦線に向けて引き抜いていたようで、軍神が率いるこの戦線の攻勢も破竹の勢いを見せていた。
それでも一向一揆軍はまさに”必死の”戦いを見せて抵抗してきたのだが二ヶ月の後、多くが降伏もしくは掃討されていったのだった。
◇ ◇ ◇
一五三二年十一月 加賀某寺
十一月頃になると本格的な戦闘はほぼ終結し、各地にで小規模な掃討戦が行われるのみとなっていた。
この日僕はそれまで加賀の一向一揆軍の指導層が拠点としていたとある寺に入っていた。
此度の戦における我が軍および同盟軍の被害であるが、前述の通り畠山軍については半数近くを失う大きな被害を受けていた。
その為畠山義総ら畠山軍には色々な立て直しを図ってもらうために先に帰国して貰っていた。
西方戦線主力の敦賀朝倉軍は一割ほどのの死傷者との事だ。
そして我が軍も同じくらいの死傷者を出してしまっていた。
精兵とは言えども、全く被害なしという訳にはいかないものだ。
「ふむ、加賀においては越中よりも寺院が要塞化されているように見えるな。」
「加賀の坊主共の欲深さが目に見えるようですな。」
「まぁそう言うな。我が方にも一向門徒がいるんだからな。」
「ああ、そうでしたな。」
僕は侍大将である遊佐総光らとそのような会話をしながら、ある人物を待っていた。
ある人物とは加賀守護であった富樫稙泰の長男である富樫泰俊だ。
今回富樫稙泰は(この時代においては)高齢の為出陣出来なかったため、その名代として西方方面軍に帯同していたのだ。
「御屋形様。事態が片付きましたら守護の富樫様に加賀の支配権をお返しする予定ですか?」
話しかけて来たのは椎名康胤だ。
「それが此度の戦の大義名分であるからな。…富樫殿が望まれるならそうなろう。」
僕はそこまで言って家臣達を見渡した。
「…とは言え富樫殿には我が北山協定の庇護下に入って頂く予定だ。一先ず旧領である野々市に入って頂くのが良いだろう。」
正直、僕としては富樫氏にはあまり期待をしていない。
守護も一向一揆に追われ越前に逃げていたわけだし、此度の戦も自力で兵を用意できなかった。
史実でも力を失ったままだったはずだ。
北山協定の庇護下に入る、つまりは我等の傀儡になってもらうか一領主となってもらうしか無いと言う事だ。
「さて一向一揆軍残党の掃討戦の状況はどうか?」
僕は松波長利に問いかけた。
大規模な戦闘は収まっているが小規模な掃討戦については機転が利く松波長利に任せていた。
「はっ。一向一揆衆の中でも我が方に協力的な者共もおりまして、月内には終わる見込みかと。」
「それは上上。引き続き気を抜かずに頼むぞ。」
それらが終結した段階で論功行賞と言う事になるだろう。
同盟国にも割り当てしていなければならないな。
僕が考えを巡らせていると、松波長利が僕の近くに来て耳打ちして来た。
「そう言えば御屋形様。捕らえた指揮官と思しき僧が少し変わった事を言っているそうでして。」
「これはおかしい、未来が何とか、等と…」
「…!?」
僕は目を見開いた。
北山協定による加賀侵攻はほぼ終結いたしました!




