第百三十四話
一五三二年八月 加賀東部
「助かったぞ、黒川四郎殿。」
「いえ…」
僕が話しかけた相手は越後から派遣されてきた上杉定長が家臣、黒川四郎清実だ。
寡黙な男なのであるようで僕の礼を受けてもあまり表情を変えなかった。
彼が率いる上杉軍の兵力は三千。
僕が居た神保軍本陣は二千程であったから、正直この援軍は助かった。
僕達は総勢五千にて、畠山義総らの救援に急いだ。
あくまでもここまで入手した情報の範囲内であるが、どうやら一向一揆衆の軍は畠山軍が軍を広く分散したタイミングで中央の部隊に対して一点集中の攻撃を仕掛けたようだ。
畠山軍は一万の兵力を擁していたが幾つかに分散した中で、局所的に寡兵になってしまったと言う事だ。
「…しかし畠山様は御無事でしょうか。」
「急ぎ薬売りに探らせている。無事である事を祈るしか無かろう。」
まずは畠山義総の消息と、畠山軍の状況を確認し、可能な限り軍を再編成しなければならない。
しばらく軍を進めた頃、薬売りによりその情報がもたらされた。
「御屋形様、畠山様ら本陣の部隊は戦線を離脱して砺波山の麓の寺院まで後退することが出来た模様です!」
「義兄上は御無事か?」
「は、実際に接触した薬売りによると大きな怪我もされていないと言う事です。」
「そ、そうか!」
畠山義総は無事か。
それは朗報ではあるが、畠山軍の状況はどうなのだろう?
「ひとまず良かった。畠山軍全体の状況はどうか?」
「一向一揆軍の夜襲が行われる前の情報を元に配下を散らせておりますので、それは少しお待ちくだされ。」
「うむ、よろしく頼むぞ。して敵の数は分かるか?」
「夜襲に参加した敵の全体数が不明なれど、五千を下ることは無いでしょう。」
おそらくその見積もりは大きく外れてはいないだろう。
一向一揆軍の総兵力から多くの兵力を裂くことは難しいからだ。
「よし、俺は義兄上の下へ参じる。職信は上杉軍と協同して麓に陣を張り守備態勢を整えておいてくれ。畠山軍再編成の起点とする。黒川殿もよろしく頼む。」
「「承知いたしましてございます。」」
僕は配下に手配りを整えると、畠山義総が居る寺院へと向かった。
◇ ◇ ◇
空が明るくなってきた頃、僕は畠山義総とその手勢が逃れて来た寺院へと到着した。
この寺院は倶利伽羅峠から下った砺波山の麓に位置する真言宗のものだ。
「義兄上!ご無事で何よりです!」
僕は寺院の一角で休息を取っていた畠山義総を訪ねた。
「ああ、長職か。俺はあれだけ大口を叩いていたと言うのに、面目次第も無いな…」
所謂負け戦をしたばかりの畠山義総は幾分憔悴している様に見えた。
まぁそれは仕方が無いか。
「命あっての物種と言うものです…」
僕はそう言いながら畠山義総の対面に腰を下ろした。
「一向一揆衆は温井総貞の隊を目掛けて夜襲を仕掛けて来たようだ。温井の隊は壊滅的な損害を受け突破を許し、我が軍の本陣へと押し寄せた。常陸義遠が殿を引き受けてくれてな…」
常陸義遠というのは畠山松波家の武将で、畠山の一門衆だ。
「…その後温井殿や常陸殿との繋ぎは?」
「取れておらぬ。かなりの混乱であったからの…」
そうすると彼等の生存はかなり厳しいかもしれない。
だがまずは情報を集め出来るだけ多くの畠山軍生存者の救出と、動ける部隊の糾合が必要だ。
「…我々も既に薬売りを放っており、情報収集を命じております。まずは畠山軍の現状を把握し、再編成への道筋を付けなければなりませぬ。」
「そうだな。…そうでなければ死んでいった者共が浮かばれぬ、か。」
ここまでの情報を総合すると温井隊は三千程の兵力だったようだ。
畠山義総らを逃がすために常陸義遠がいくら程を殿軍としたかは分からないが、最悪のケースを想定すると、もしかしたら畠山軍の三割から五割程度が壊滅した可能性がある。
損耗率が五割に達したとすれば、それは軍隊で言う定義で言えば全滅したとも言えるものだ。
ただし我が神保軍の運用にうまく組み込むことが出来ればまだ何とかなる。
僕は腕を組みながら頭の中で考えを巡らせた。
一応畠山義総は無事でした。ここから何とか態勢を立て直していかなければなりません。




