第百三十一話
一五三二年七月 丹波某所
公方・足利義晴方による丹波侵攻が開始されてから二月あまりが経過した。
京を出立した公方方の軍はここに至るまでに管領方(波多野氏)のいくつかの城を落としながら進軍し、ここまでは順調な戦況であると言えた。
(もっとも管領方は八上城に籠城戦を決めていたので、道中の城はそれ程抵抗を行わなかったのもあるのだが。)
さて公方方の軍は管領方・波多野氏の軍の籠る八上城から東方の山あいに陣を張っていた。
公方やその側近の為に近傍の寺社を借り受け、居処としていた。
「公方様、我等が軍はここまで順調に進んでおります。道永めは早々に波多野が八上城に籠っており、我が軍の包囲も順調に進むことに御座いましょう!」
上座に座る主君・足利義晴の前で大げさな身振り手振りで話すのは、奉公衆の川勝某と言った。
足利義晴の普段の取り巻きは御家人・奉公衆の長老達なのであるが長老達が合戦に出るわけにいかないので、その息の掛かった武将が出陣しているという訳だ。
なお以前に幕臣として出仕していた三淵尚員は放逐されてしまったようだ。
「左京亮、越中の神保右衛門佐へ送った文はまだ返事が来ないのか?」
「それは…」
川勝某は言葉を詰まらせた。
神保右衛門佐、つまり神保長職に以前送った使者は無下に追い返されたわけだが、協力を得られることを諦めていない足利義晴は文を送っていたのだった。
勿論それは奉公衆等によって握りつぶされていたわけだが。
「公方様。かの神保右衛門佐殿は公方様が遣わされた大館殿を追い返されたのですぞ。最早公方様に協力する事などあり得ぬでしょう。諦めなされ。」
口を挟んで来たのは本願寺教団から派遣されてきた下間真頼だ。
公方方の軍は総兵力は三万程であるが足利義晴および幕府直臣が組織した軍は八千程でその他畿内の諸将の援軍が七千、残りの半分は本願寺教団すなわち一向一揆衆が組織したものだ。
下間真頼はその指揮官としてここにいたのだった。
「しかしな…。右衛門佐は…」
下間真頼の言葉に、足利義晴が顔を曇らせた。
「恐れながら公方様。我が本願寺教団は公方様への忠義でここに罷り越してございます。しかしながら神保殿は公方様の使者を乱暴にも追い返してきたのですぞ。これは公方様へ叛意ありとしか思えませぬ。」
「ば、馬鹿な…」
「…そもそも神保右衛門佐殿が率いる陣営…何と言いましたかな。まぁかの陣営は我が本願寺を敵視しており、仏敵と言っても過言ではございませぬ。我が本願寺としては管領と同じように討伐令を出してほしいものですな。」
足利義晴が視線を泳がせた。
彼にとっては将軍職に就いたばかりの頃に越中を訪問した思い出は大きなものだった。
彼にとっては神保長職は自らに忠節を尽くしてくれる人物であると考えていた。
神保長職は自分から離れて行くと言うのか。
そんなはずはない、きっと話せば分かってくれるはずなのだ。
そう思い彼は幾度も書状を送っていたのだ。
しかしその淡い期待は打ち砕かれることになる。
「御注進!」
その情報はある日の軍議の最中にもたらされた。
「な、何だと! 真か!?」
何と神保長職の陣営が加賀へ侵攻を開始したと言うのだ。
「情報によりますと越前に逃亡していた加賀守護の富樫殿を奉じ、越中・能登・越前の三方から加賀へ侵攻を開始し、加賀の一向一揆衆との戦闘を開始した模様です!」
足利義晴にとっては思いもよらぬ事態であった。
一向一揆衆は同盟者であり、そこへの攻撃と言う事は敵になったと言う事だからだ。
「公方様、拙僧が申した通りになりましたな。我が本願寺としてはこの管領方との戦を長引かせるのは得策では無いと存ずる!」
下間真頼が色を成しながら言った。
「わ、分かっておる!余も畿内の諸将に檄文を出しているところじゃ!」
畿内の様相だが、両細川の乱が置きていないこの歴史においては諸将の動きが鈍い。
元々足利義晴に近い将は公方に与しているのだが日和見の人物が多いのが事実だ。
何故こんなことに…?
この戦は公方方の軍は管領方に比べて優勢であるはずだった。
今でも兵力では勝っている。
それなのに何故ここまで焦らなければならない?
「…引き続き加賀の情報を集め、余に報告せよ。八上城に対しては準備が整い次第に攻撃を掛ける故、引き続き諸将へ働きかけるのだ。兵の準備も怠らぬ様にせよ。」
「「「ははっ」」」
配下の武将が頭を下げた
その様子を見ながら足利義晴は拳を強く握りしめた。
足利義晴の陣内の様子でした。




