第百二十九話
一五三二年四月 越中城ヶ崎城
公方・足利義晴の使者が来ているとの報を受け、僕は急ぎ神保家の本城である越中城ヶ崎城へと向かった。
本当は狩野屋伝兵衛の見舞いの後にも用事を済ませたかったのだが面倒な事だ。
城に到着すると既にその使者は謁見の間に入っているとの事で、僕はすぐにそこへ向かった。
部屋に入るとその使者はさも当然のように上座に座っていた。
いや確かに僕にとっては上司に当たる者の直臣であり権威主義体制の塊とも言える足利幕府であるから当然の事と思っているのだろう。
「これは使者殿、お待たせしてもう訳ありませぬ。」
僕は使者の前で姿勢を整え平伏した。
「まことに御座いますな。まったく何刻待たされるかと…」
上座に座るこの使者は大館某と名乗った。
確か幕臣の長老に大館なる者がいた筈だから、この人物はその一族なのだろう。
大館某はベラベラと何か不満の様なものをまくし立てていたがいい加減めんどくさくなったので僕はそれを遮るように言葉を出した。
「…それで大館殿は何故お越しになられたのでしょうか?」
「おお、そうじゃそうじゃ。」
大館某はほほほと言わんばかりに扇子を開いて口元に当てた。
貴族がやるようなアレだ。
「我等が主である公方様の命令を貴殿に伝えに参ったのだ。」
大館某はそう言いながら書状を取り出し、僕の方へ差し出した。
僕はうやうやしくそれを受け取り封を開けた。
「これは…」
「公方様は幕府に仇をなす動きをしている管領・細川高国を罷免し、大規模な討伐軍を起こす事を決定されたのだ。」
「ほう…」
管領・細川高国が京を出奔し丹波に逃れて以降、管領・公方の小規模な諍いがあったのは把握していた。
ついに来るところまで来たという事か。
「恐れながら大館殿。」
「何でございましょう。」
「田舎侍である拙者にはどうにも分かりかねるのですが、公方様は何故管領様を討伐されたいのでしょうか? 管領様は公方様を押し上げた功労者と思いますが…」
「ふむ、右衛門佐殿は畿内が情勢を把握できていないように見える。」
まったく、この男は何かにつけて僕の事を下に見たいように思える。
ここは反論しても仕方ないか。
「それはお恥ずかしい事にございますが…」
「では某がお教えいたしましょう。細川高国めは管領と言う要職にありながら公方様を蔑ろにし、自らの傀儡政権を樹立しようとしたのだ。」
この男は今更何を言っているのだろう?
公方・足利義晴は僕の印象では決して暗愚では無かったはずだが、現状で幕臣達には一向一揆衆のカネがかなり入っていると聞く。
幕臣達ら側近がその状態なら仕方ないのかもしれないが、やはり足利義晴は一向一揆衆に取り込まれてしまったのだろうか。
まぁどっちにせよまだ若いうちに将軍職に就いた足利義晴は傀儡になってしまうのは仕方ないのかもしれないが、この歴史における細川高国は足利義晴に対して一定の敬意を持っていた筈だが。
そうこう考えてるうちにも大館某は得意げに『畿内の情勢』を語っているが、真剣に聞いていると疲れてしまうな。
「…それで公方様は某に何を仰りたいのでしょうか?」
「うむ。右衛門佐殿…、貴殿はその手腕を持って越中のみならず周辺国と同盟していると聞いておる。公方様は幕府の忠臣である貴殿と同盟国と共に、幕府に合力せよと仰せに御座る。」
まぁ平たく言えば兵を出せと言う事なのだろう。
正直、現在の状況下においては公方方として兵を出すのは避けたい。
狩野屋伝兵衛が療養している中で狩野屋には負担を掛けたくないしな。
「…恐れながら大館殿。」
「どういたした?」
「せっかくの公方様の思し召しにございますが当家としましてはすぐに出兵致す事は出来ませぬ。」
「そ、それは何故にござるか?!」
大館某が表情を変えた。
「それが、我が神保家の補給・兵站を担ってくれている御用商人の主が体を壊しておりましてな。兵を動かすにも…」
「右衛門佐殿は何を言われているのか。」
色を成した大館某が僕の言葉を遮ってきた。
「こちらは公方様の命をお伝えしているのですぞ。御用商人ごときの容体とどちらが大事だとお思いか?」
「…何だと?」
これには思わずカチンと来てしまった。
僕にとって、これは言ってはいけない言葉だ。
「大館殿。今御用商人ごときと言われたか?」
「いかにも。貴殿等の主君たる公方様の命令でありますぞ!」
得意げに語る大館某。
その言動を受け、僕は拳を固く握りしめた。
「大館殿。貴殿は俺に対して言ってはいけない事を言った。当家の御用商人である狩野屋伝兵衛は俺にとっては友でもあるのだ。それを御用商人ごときを言うのであれば看過できぬ!」
「は…?」
僕の強い言葉に大館某がぽかんと口を開けて固まった。
「大館殿は畿内の情勢を何も知らないと言って俺を侮っておられるが、公方様には一向一揆衆の息が掛かっているのは知っているぞ。一向一揆衆は管領様を排除したいのだろう。」
細川高国は強硬な反一向一揆派であったからな。
「畿内に居る一向一揆衆は我が越中を脅かす一向一揆衆と同じ勢力だ。何故俺がそれに与しないとならぬ?」
「あ、あぐ…」
大館某は言葉を出すことが出来ない様子だ。
「そして貴殿は俺の友人を“ごとき”と蔑んだ。」
僕はどこまで言って足利義晴の書状をビリビリと破った。
「これが俺の答えだ。さ、使者殿は早々にお帰り頂こうか?」
「ば、馬鹿な…」
「…ささ早く。貴殿の首が胴から離れぬうちにな。」
「う、うあああ…!」
僕が立ち上がって刀に手を掛ける振りをすると、大館某は慌てて立ち上がって逃げるように部屋を出て行った。
脱兎のごとくとはまさにこの事だろう。
「はー…」
僕は大きくため息をついた。
友人を侮辱されたとは言え、公方の使者に喧嘩を売ってしまったな。
これは意図せぬことではあったのだが…。
「…聞いていたか?」
僕は天井を見上げながら声を出した。
「無論。」
「その声は藤丸だな。」
「はっ!」
藤丸は警護の為に天井裏に潜ませておいた薬売りだ。
「此度の件は同盟国に知らせなければならない。義総には至急会談したいとの早馬を。上杉殿、朝倉殿、浅井殿にも書状を出せ。また遊佐総光ら主要家臣を招集してくれるか。」
「御意。」
天井裏から気配が消えた。
ちょっと軽率だったかもしれない。
だがこれで陣営としての覚悟を決めなければいけないと言う事なのだ。
畿内の動乱に無関心ではいられないと言う事ですね!