第百二十五話
一五三一年七月 能登七尾城
「であれば丹波におられる管領様には使者を送っておくのが良いだろうな。」
畠山義総が僕達を見ながら言った。
「義兄上。我が薬売りは未だ畿内より西側まで諜報網を広げる事は出来ておりませぬ。御存じの範囲で構いませぬ故、畿内より西の情勢をお聞かせいただけませぬか?」
これは事実である。
我が神保の情報網も万能では無く、漸く周辺諸国や京に徐々にそれを広げられてきたと言う状況だ。
「まぁ俺も最新の情報は知らんがな。管領様は大きな損害無く京を退去できたからまだ良いのだが、その周辺諸国は必ずしも管領派閥と言う訳にはいかない。例えば…」
畠山義総が言うには、管領・細川高国が居る丹後国内は史実における家臣の粛清が発生しなかったことにより、管領派閥として結束していた。
周辺諸国の情勢であるが敦賀朝倉家が支援している若狭武田は管領派閥のようだ。
一方で丹後で有力な勢力は一色氏等があるがこれは隣国の若狭武田と対立しているため管領の味方になるかは見通せない。
その西方の隣国である但馬を治めるのは山名氏だ。
この時代の当主は山名祐豊だったと思う。
畠山義総が言うには管領派閥と言う事の様だが、この人物は史実では細川晴元側に寝返っていたと思うのだけれど大丈夫かな。
(まぁこの歴史においては細川晴元はウチにいるわけだけど。)
摂津の国はもともと細川京兆家が守護だったわけだが、管領派閥の力が及ぶのは丹後に近い地域のみであり、その他は国人や西の赤松氏との兼ね合いもあり不透明な状況のようだ。
その他畿内は今現状様子見・日和見な勢力が多く状況は見通せない。
あれ、状況はあまり良いとは言えない気がするな。
「まぁそのあたりは管領様にお任せするしか無いの。我等四家では、そのあたりはどうしようもできぬだう。」
「宗滴殿の仰る通りでございましょうな。」
まぁそれは仕方ないか。
仮にそのあたりの家にコネクションがあったとしても、彼等は我々の同盟者では無いしましてや家臣でもないのだから。
まずは畠山義総の言う通り、細川高国に使者を立てるとしよう。
「で、次に移りますが、一人客を招いておりまする。」
「…客? 誰だ?」
「長利、お連れしてくれ。」
僕が松波長利に指示を出すと、少しして白髪交じりであるが髭を蓄えた精悍な武将が部屋に入ってきた。
「おお、貴殿は浅井亮政殿では無いか。久しいのう!」
「これは朝倉太郎左衛門尉様!お久しゅうございますな!」
浅井亮政がにこやかに答えると僕達から見て下座に腰を下ろして一礼した。
「此度は皆様方にお会いでき光栄にございます。某、近江小谷城城主、浅井亮政にございます。五年ほど前には神保様、朝倉様にはお世話になり申した。此度、神保様のお召しを持ちまして参上した次第にございまする。」
浅井亮政は少し老けたとはいえ、声も大きいし元気そうだ。
「長職殿。何故この浅井殿をここにお招きしたのですか?」
上杉定長が僕の方を見ながら質問して来た。
「実は五年ほど前にこの浅井殿と守護の京極、南近江の六角との和議を仲介し、浅井殿は国外に出ていたのだがね。その後北近江に戻り領内の安定に力を尽くされてきたんだ。それについては宗滴殿らと共に我が神保家も支援してきたのだが…」
そう、あの和議から約一年後に浅井亮政は帰国し小谷城に戻っていた。
浅井亮政は国内の安定に腐心し、その情勢はかなり安定して来たのであった。
(守護の京極がその間何をしていたかについては敢えて何も言うまい。)
「はっ。おかげさまをもちまして、北近江はかなり安定して参りました。漸く神保様、朝倉様への恩を返せるようになったと言うもの!」
「…と言う訳で浅井殿は我等『三越・能登相互協力同盟』へ力添えをされたいと言う事で我が配下である松波を通じて書状を送って参りましてな。此度ここに来てもらったわけです。」
「まぁ平たく言えば我が浅井、いえ、我等北近江もその同盟の末席に加えていただきたく!」
開けっ広げに言葉を発する浅井亮政の態度は逆に好ましいとも言える。
それにこの提案には『三越・能登相互協力同盟』としても利があるものだ。
近江方面には堅田等の一向門徒が存在するわけだが、この近傍に協力勢力があるのはその抑えとして期待できるのだ。
その後の会談を持って浅井亮政ら北近江衆の同盟加盟が決定された。
うーん、『三越・能登相互協力同盟』と言うのは仮称であったし、ちゃんと名前を考えないといけないかな??
浅井亮政の同盟加盟が決まりました。皆さんもご存知の浅井長政のおじいちゃんです!