第百二十二話
一五三十年六月 越前金ヶ崎城
越前国敦賀郡金ヶ崎城。
ここは朝倉敦賀郡司家の居城であるこの城は城下に敦賀の港湾都市を抱え、他地域との海の玄関口として繁栄してきた。
この歴史においては朝倉家中の内戦に勝利した敦賀朝倉家当主・朝倉宗滴によって朝倉家の本拠地とされた。
これより越前国内の大部分は敦賀郡を中心とした敦賀朝倉家を頂点に一乗谷朝倉家(元宗家)・大野朝倉家等の一門衆がその下に国人や譜代家臣を従え、そして丹生郡の一部を割譲した同盟国の越中神保領に分けられることになった。
それぞれの朝倉一門衆もそれなりな力を残してはいるのだが、『三越・能登相互協力同盟(仮称)』として神保家と強固な同盟関係にある敦賀朝倉家が頭一つ、いや二つは抜けている状態だ。
「ほう、管領様がの。」
敦賀朝倉家当主・朝倉宗滴が自らの口髭を撫でながら口を開いた。
「はっ。四ヶ月程前に京を退去し、今は丹波に滞在されている様です。」
朝倉宗滴の眼前にいるのは神保家から出向している薬売り組の伊都政だ。
神保家からは『三越・能登相互協力同盟(仮称)』の同盟各国に連絡員および諜報補佐として複数名の薬売りが送り込まれていた。
まぁ神保家からしたらそれぞれの国の情報収集も兼ねてはいるのだが、公然のものとして各家当主はそれを認めていた。
「ほう、四ヶ月も前にな。」
「はい。我等がその情報を掴んだのはつい最近にて…。」
「ふむ。貴殿等をもってしても情報を掴めなかったと見える。」
「…面目次第もございませぬ。」
伊都政が表情を曇らせた。
「いや、伊都政を責めているつもりはない。管領様は中々に慎重で用意周到な御仁だからな。あらかた細川家京屋敷は普段と変わらぬ活動を見せつつ、少しずつ京を脱出したのだろう。」
「…そのようにございまする。」
「では今公方様や御所はどうなっているのかな?」
「表向き反応は無いようにございますが、幕臣の一部が本願寺教団に接触しているようにございます。」
「なるほどな。公方様はそう言うご判断を為されたか。管領様はそれを察知して丹波へ逃れたと見るべきだな。」
「我等もそう分析しておりまする。」
「この件、長職殿には?」
「これを掴んだのは我が組の者でして、我が御屋形様へお伝えするのはこれからにございまする。」
伊都政の言を受け、朝倉宗滴は腕を組んで瞑目した。
京、丹波…。
越前は同盟国よりは畿内に近い。
「大叔父上。お召しにより参上仕りました。」
そうしている内に、剃髪した隻腕の僧が部屋の中に入ってきた。
「孫次郎か、よくぞ参った。」
「はっ。…しかし何か込み入った話中でしたでしょうか?」
入ってきたのは朝倉家前当主であった朝倉孝景だ。
朝倉孝景は敦賀朝倉家に降伏した後も隠居したわけでは無かったのだが、恭順の意を示すために頭を丸めていたのであった。
「いや、お前にも聞いて貰おう。」
朝倉宗滴はここで話されていた事を朝倉孝景にも説明した。
「なるほど。ではこれから畿内は大きく乱れるかもしれませぬな。」
「左様。故に、我が朝倉もこれから二か月以内に行動を開始しようと考えている。景紀!」
「はっ!」
朝倉景紀が体の向きを朝倉宗滴の方へ向けた。
「我等は越前国内の一向一揆を駆逐する。大野郡司の孫八郎にも触れを出せ。しかと準備するように申し付ける。」
「承知いたしました。」
「孫次郎は、そうじゃな…。若狭に向かってもらおうか。」
「若狭、武田にございますか。」
この時代、越前の隣国である若狭国の守護は武田氏だ。
武田氏と言えば甲斐武田氏が有名であるが、こちらは些かマイナーな存在であるとも言える。
そしてご多分に漏れず、戦国の倣いの通り衰退に向かっていった一族だ。
「うむ。かの国は丹後の一色や国人との争いでかなり疲弊していると聞いている。とは言え若狭武田は管領様を支持する一派だからな。」
「つまり朝倉が支援する、との事ですな。」
「そうだ。孫次郎は二千の兵を率いて、朝倉家名代として向かってくれ。武田には先触れを出しておく。」
「ほほほ。片腕を失った故もう戦場に出る事は無いと思っていたのですがね…」
「不服か?」
「いえ、もちろん勤めさせて頂きます。」
朝倉孝景が頭を下げた。
「伊都政はな、これを含めて長職殿にお伝えせよ。…急ぎでな。」
「御意。」
伊都政は一礼すると、小走りで部屋を辞していった。
「大叔父上。かの者が神保様の所の?」
「そうだ。長職殿の諜報能力は相当なものよ。」
「…なるほど。敵わぬわけですな。」
「敵に回そうなどとは思うなよ?」
「ははは。もう大叔父上と戦いとう無いですからな。」
朝倉孝景が大げさに肩をすくめてみせた。
さて畿内の荒れ具合はどうなっていく事でしょう…?