第百十二話
一五二八年五月 越前木ノ芽峠城
朝倉宗滴率いる敦賀朝倉家の蜂起から一年余りが経過した。
越前木ノ芽峠の有利な位置を確保していた敦賀朝倉軍は寡兵ながらも良く朝倉宗家の軍を防いでいた。
「殿、景紀様から文が届いておりまする。」
「小次郎か。」
大将たる朝倉宗滴に話しかけて来た少年は山崎小次郎と言った。
まだ十一、二歳とも思える風貌であるが、敦賀朝倉軍の一員として甲冑に身を包んでいた。
宗滴は山崎小次郎から文を受け取ると、封を開け読み進めた。
「ふむ…」
「景紀様は如何な文を…?」
「越中の神保長職殿からの援軍二千五百の準備が出来たそうだ。我等が軍と合わせ行動を開始するから義親父殿もよろしく、とな。」
「左様にございますか。…しかし景紀様や神保様の軍はどこを攻めようと??」
「書いておらぬ。」
「な、何と!? それでは十分な連携が取れぬではありませぬか。」
「ふん。若造共がこの儂を試しよるか。」
山崎小次郎は朝倉宗滴の顔を見て戦慄した。
友軍から十分な情報を得られない事、それは普通に考えれば良くない事だ。
だがその状況を、自分の主君は楽しんでいる様に思えた。
「さて、薬売り殿はいるかな?」
朝倉宗滴は障子を開け、誰もいない方向に声を張り上げた。
山崎小次郎の目には誰一人姿を捉えることが出来ない。
「我が軍は五千の兵をもって五日後、峠を下り今庄の方向へ進軍する。委細は承知した。文を記す時間も惜しいから、貴殿から伝えれくれ。…それとあちらにもな。」
朝倉宗滴がそう言い終えると、何やら物音がした。
何者かが本当にいたようだ。
「さて小次郎よ。諸将を集めろ、忙しくなるぞ。」
「お、お待ちください、殿!」
「何じゃ?」
「いったいどのように攻めると言うのです!? …朝倉宗家の軍は我等より数が多いのですぞ!」
「ふん、今庄はそれ程多くは無いわ!」
「それでもその先には!」
山崎小次郎が食い下がった。
山を下りた先の敵は、合計で一万程になるだろう。
まだ少年故に戦にビビッている、と言えばそれまでだが、自分の軍より数が多い敵に向かっていくのは困難なのは確かだ。
朝倉宗滴は山崎小次郎の頭を軽く小突いた。
「そんなことは分かっておる。我が軍五千で向かえば、今庄あたりの敵軍までは落とせる。現状ではいったんそこで軍を止めるつもりだ。」
「…それはどういう?」
「分からぬか? 儂は敵、朝倉宗家の目をこちらに向けるために山を下りるのだよ。」
これから向かう今庄は日野川河岸にある僅かに開けた場所だ。
しかしその先はこの日野川の流れも湾曲し、道もそれほど広くない。
山間にあり、大軍を動かすにはそう簡単ではない。
「この場所ならしばらく時間を稼げる。敵の軍の内七千から八千くらいこっちに目を向けてくれれば儲けものよ。その間に景紀らは鯖江盆地の西を制圧する心づもりよ。」
朝倉宗家は越前の有力な名族であるがその権力構造は少々いびつだ。
軍奉行を務めていた朝倉宗滴が離反したことにより家中には少なからず動揺が走り、その将兵の士気はそれほど高くない。
そして朝倉一族や家臣団の一部はこのまま盲目的に朝倉宗家に従い続けるのだろうか?
「…あとちょっとした助太刀も貰えることになっているからな。」
予定通り五日後の夜半、敦賀朝倉軍は越前木ノ芽峠城を出立した。
不意を突かれた敵軍は混乱に陥り大した抵抗も出来ず降伏あるいは撤退を重ね、敦賀朝倉軍は目的の今庄まで進軍できたのであった。
ついに行動開始です!