第百十一話
一五二七年十月 越前海岸地域
「おー、来たか!」
断崖がそそり立ち波が打ち付ける荒々しい風景が続く越前海岸。
その中で僅かに入り江の様になったところで少年(青年?)が海を見つめていた。
視線の先には越中守護・神保家の軍旗をはためかせた船がやってきた。
その船からは何艘かの小舟が下ろされ、人員と物資が入り江の中へと進んで来た。
小舟は次々と海岸へと到着し、乗組員は慣れた動きで下船し物資を下ろしていく。
「おーおー、あれは松波殿だな。」
この一隊を率いている指揮官は、松波長利だ。
「よう、六郎殿。元気でやっているか?」
「それなりに、な。そこの山の上にある厨城に詰めている。案内しよう。」
「ちょっと待ってくれ。物資と人員は下ろし終えたい。」
「ああ、そうだな。…しかしあれが御屋形様の指示で建造された新造船か?」
「うむ。一隻で二百名以上は乗ることが出来るよ。」
日本の歴史において多数の人員や物資を運ぶことが伊勢船など和船があったが、それを軍用船として改装したのが安宅船だ。
史実では伊予、即ち瀬戸内海において出てきたものであるが、神保家ではそれに先駆けて実用化を果たしていた。
「何ぞ名前があれば良いのだがな。」
「御屋形様はそのようなものは好まぬからな。」
「左様。ま、俺達がどうこう言う事でも無いがな。」
と、その様な事を話している内に、松波長利の部下の工兵部隊が粛々と物資を下ろしていく。
まさに熟練された動きだ。
「で、戦況はどうか?」
「ん、ああ。それは城に言ってからしようか。朝倉景紀殿もおられるからな。」
「軍神の義息子殿か。まぁ、それが良いだろうな。」
そして半刻程で物資を城へ運ぶ準備を整え、長岡六郎達は山の上にある厨城に向かった。
◇ ◇ ◇
「ほう、この城は中々眺めが良い城だな。海が一望できるじゃないか。」
ここ厨城(栗屋城)は南北朝時代に築城されたとされているが正確な築城年は分かっていない。
この先にある峠を越えて山を下れば朝倉宗家の支配地域に行くことが出来、敦賀朝倉家側としては良い場所を確保できたとも言える。
「…それはそうと海を見るために城にいるわけでもあるまい。六郎殿、戦況を教えてくれるか。」
「ああ。ここまでの軍事行動で敦賀から北側の越前海岸沿いは概ね押さえたところだ。」
朝倉宗滴率いる敦賀朝倉家が朝倉宗家から独立宣言をし、内戦を始めてから半年余り。
朝倉宗家が越前海岸側にそれ程多くの兵を配置していないのもあり、緒戦からそれなりの早さで兵を進めることが出来た。
峠まで押さえることにより朝倉宗家側からの反撃を防ぐ事が出来ているが、反面こちらも兵を先に進めることが難しい。
「…とは言え、おれの実戦経験の無さが出てしまったな。景紀殿が居られなかったらどうなっていたことか。」
長岡六郎が渋い表情を浮かべた。
「いやはや、貴殿は初陣だったのだろう。…まぁあれは危なかったな。」
緒戦から順調に海岸地域を進みこの厨城に向かった頃、堀江某が率いる敵部隊と交戦した。
ここでの戦いに於いて初めて苦戦したのであった。
敵兵から矢を射かけられ太腿に命中、長岡六郎は負傷した。
近くに朝倉景紀が居たことで、何とか事なきを得たのであった。
「結果的にはこの厨城を落とすことが出来たのだろ。…怪我は大丈夫なのか?」
「…薬売りも同道していたのでな。」
神保家の薬売りと言えばルビの通り諜報員な訳であるが、もちろん薬の知識を叩きこまれている。
迅速に手当てが為されたようだ。
「…いずれにしてもこの厨城を橋頭堡として、今後追加の援軍が送られる予定だ。」
「神保様は如何ほどの兵を送ってくださるおつもりで?」
朝倉景紀が口を挟んだ。
「は。我が御屋形様は現在その準備をしておりまして、常備軍から二千程編成する予定と聞いております。実際の派遣時期は来年の四月になるでしょう。」
冬から春の初めにかけての日本海は大きく荒れる可能性が高い。
海路で兵や物資を送り込むには出来るだけ荒天を避けなければならないのだ。
「某が率いる工兵部隊も戦闘に従事する事が可能ですので、合計で二千五百が神保家から追加の援軍となります。来春以降にかけて宗滴殿はどうお考えでしょうか?」
「我が義父は宗家の軍を出来るだけ自身の方に引き付けようとしておりまする。それ故に何とか越前海岸側から侵攻できればと思いますが…」
「ふむ。」
松波長利が頷きながら地図を眺めた。
そして少し上を向きながら頭の中で思考を巡らせたのだった。
松波長利率いる工兵部隊が物資の搬入および仮設の港湾陣地の構築を行う目的で、長岡六郎らに合流しました!