第百七話
一五二七年六月 越前木ノ芽峠城
越前国を嶺南、嶺北に隔てる要衝である木ノ芽峠。
この木ノ芽峠を監視する位置に築かれたのが木ノ芽峠城である。
正確に言えば観音丸城や鉢伏城と共に木ノ芽峠城砦群と見ることが出来るものだ。
そんな木ノ芽峠城には朝倉宗家に対する敦賀朝倉軍の本陣が置かれていた。
「お初にお目にかかる。おれは長岡六郎と申す。盟約に従い、我が御屋形様の命にて罷り越しました。」
「うむ、ご苦労。長岡六郎と申したか、楽にすると良いぞ。」
「ではお言葉に甘えて。」
軍神・朝倉宗滴に相対している武将…と言ってもまるで少年の様にしか見えない人物であるが、物怖じしない様子で姿勢を崩した。
「いや~、海路で敦賀に来るのは初めてでな。波が強いと酔うなアレは。」
その態度はおおよそ人生の大先輩に見せるそれでは無いのだが、この少年、まったく気にしてい無さそうだ。朝倉宗滴の義息子である景紀は、義父が怒り始めないかハラハラするような視線を送っていた。
「ふぅむ。神保殿もなかなか変わった子供を送ってきたものだな。」
「いやいやいや、軍神殿。おれも一応は元服しているのだぞ。」
「左様か。」
朝倉宗滴はポリポリと自身の顎を掻いた。
「ならば長岡六郎殿は我等敦賀朝倉家が置かれている状況をどのように理解されておるのかな?」
「…貴殿等敦賀朝倉家は朝倉宗家から独立を宣言し、迅速な動きでここ木ノ芽峠を封鎖して形の上では良い状況にあるように思える。」
「…では今後どのようにしていくべきであろう?」
「おれは我が御屋形様から五百の兵を預かってきたのだが、敦賀朝倉家に先んじてお預けしている兵からもう五百を使う許可を頂きたい。」
「何か良い策でもあるのかの?」
「…敦賀に至るまでの船の中で、おれは越前の地図を見せてもらった。…船酔いに耐えながらだったがな。まぁそれはそれとして、おれならばまずここまで制圧する。」
長岡六郎が地図を広げてある地点を指さした。
「厨か。よもや越前海岸を進むつもりか。」
「朝倉宗家はまさかここを通って軍が進んでくると思っていまい。山向こうに引き籠っている連中は気付きすらしないだろうよ。厨城まで制圧できれば、我等神保や畠山様の援軍を送り込む橋頭堡を築くことが出来る。」
朝倉宗滴が腕を組んだ。
長岡六郎の提案は、確かに理にかなってはいる。
越前海岸は朝倉宗家の根拠地である一乗谷等からは山を隔てた先だ。
海岸沿いから近いあたりにもいくつかの城や砦はあるにはあるのだが、それ程重きを置かれていない。
元々の仮想敵であった加賀一向一揆は海側まで展開していないからだ。
そこへの侵攻作戦をしたところで、朝倉宗家の対応はかなり後手に回るだろう。
そして朝倉宗滴は考えを巡らせた。
当然のことながら朝倉宗家家中の者達は知った連中だ。
もちろん彼等の力量も分かっている。
悲しい事ではあったのだが、朝倉家においての軍役の多くは朝倉宗滴に任されていたところが大きかった。
目の前にいる長岡六郎はそれを掴んでいるようだ。
「なるほど、小童よ。敦賀の軍からも五百、合計で千五百でそれに当たるが良いぞ。」
敦賀朝倉軍はここ木ノ芽峠城砦群に四千~、敦賀周辺に三千~駐留しており、総兵力は七千余りだ。
ここから千を引き抜くのだから、それなりに規模を動員する事になる。
「ふほぉ、そんなに多く頂いて良いのか。麓には敵が一万程おるのだろ?」
「ふん、小童に心配されるような儂じゃないぞ。」
「それはそうか。」
「触れは出しておく。まぁ今日はゆっくり休むが良い。」
「そうさせていただきましょうか。では失礼致す。」
長岡六郎は深々と頭を下げると部屋を辞した。
◇ ◇ ◇
「長岡殿!」
城の廊下を歩いていた長岡六郎が声を掛けられた。
「貴殿は宗滴殿の…」
「朝倉孫九郎景紀にござる。」
「孫九郎殿、だな。おれは長岡六郎にござる。」
「此度、義父より六郎殿の補佐をする様仰せつかりました。」
「左様にござるか。これはよろしくお頼み申す。」
長岡六郎が軽く頭を下げた。
「先程は我が義父と意見を交わしておられましたが、実に落ち着いた受け答えにございましたな。」
「あ、いや。それなりに緊張しておるよ。何しろおれは今回が初陣になるのだからな。」
「ええ、初陣!?」
朝倉景紀が驚きの声を上げた。
「そうだぞ。だから孫九郎殿はおれに対して謙らないでいただきたいものだ。」
「あ、ああ。六郎殿がそう言われるのであれば…」
「此度、御屋形様から大いに学んで来いと言われておる。改めてよろしく頼むぞ、孫九郎殿!」
長岡六郎が子供の様な無邪気な笑顔を浮かべた。
長岡六郎がついに初陣に向けて動き始めました。