第百六話
一五二七年四月 越中城ヶ崎城
「一乗谷の朝倉殿は兵を出さぬか…」
「恐らくは。」
僕は朝倉宗家の事を敢えて一乗谷の朝倉と名指しした。
これは家臣達に神保家の立場を暗に示す事を意味した。
正直、朝倉宗滴が居ない朝倉家において同様の軍役に就ける人物は思いつかない。
(最も武将として武勇に優れた真柄直隆の様な者もいたようだが。)
確か史実では朝倉宗滴が死去した後の軍奉行は碌な活躍も出来ず、一族や家臣の内紛、そして一向一揆衆や周辺諸国の攻撃などで衰退の一途を辿ったはずだ。
「では美濃の土岐殿はどうか?」
この時代の美濃の支配者と言えば、守護の土岐氏であった。
当主は土岐頼芸である。あ、いや実際には違うかもしれない。
確か守護の座を巡って土岐頼芸は兄である土岐頼武と争っていた筈だ。
この内訌には朝倉家も関りがあったはずなのだが、「この歴史」においてはどうなのだろう?
朝倉は頼武を支援し、頼芸は…
「恐れながら御屋形様。御屋形様が仰る土岐とはどちらの事でありましょうや?」
松波長利が応じた。
そう、松波長利である。
後に斎藤道三(※第二十六話を参照。当小説では一代説を採用)となると思われる松波長利が神保家にいるわけで、敦賀朝倉家が独立したことで内訌にある朝倉家の力が弱まっている頼武派と同じく決め手に欠けるわけだ。
「…頼武か、頼芸か…」
「左京大夫(=頼芸の事)様は文化人としては一流にござる。」
そう土岐頼芸は書画が有名で、鷹の絵を描くのが得意だったらしい。
「…一方で修理大夫様は土岐の当主の座に固執されているようですな。」
ううむ、いまいちパッとしないな。
「…当てにせぬ方が良さそうだ。」
余裕があればこの内訌に加担する選択肢が無いわけでは無いが、未だ越中国内にそれほどの余裕があるとは思っていないし、正直めんどくさい。
「市よ。」
「はっ。」
僕は薬売り頭の市を呼んだ。
「念の為、手の者を数名美濃に入れよ。土岐の動向を探っておいてくれ。」
「承知いたしました。」
僕の言葉に市がこくりを頷いた。
「…では六角殿はどうか?」
「六角様は公方様や管領様の命があれば、一定の協力をしてくれそうではありますな。」
「…そうだろうか?」
その時長岡六郎が口を挟んで来た。
「…六郎、どういうことか?」
「かの御仁は優れた手腕で近江を栄えさせた名君だろうが、その眼が捉えているのは中央よ。要するに公方様の後ろ盾であり続けようとするだろう。」
「ああ…、そうか。」
…たしか公方の周りにいる幕臣に、浄土真宗の僧である蓮淳が接触していたんだったな。
もし公方である足利義晴がそちらに靡けばどうなるだろうか?
「六角殿にとっては”公方様の後ろ盾”であることが重要だ。それは現公方様に限った事ではない。」
管領・細川高国は反一向一揆派の姿勢は変わらないだろうが、六角定頼はそうじゃないかもしれない。
「…とまぁ、これはおれがかの御仁に感じている印象でしかないがな。わっはっは!」
長岡六郎が豪快に笑った。
いやしかし、史実では一時的に天下人に近い存在になった”細川晴元”の直感は馬鹿には出来ない。
「なれば当面は一向一揆に相対するとすれば我が神保家と能登畠山家となるな。いや、それまでに敦賀朝倉家には力を付けてもらわねばならないな。」
僕は狩野屋伝兵衛の方を見た。
「…支援物資でも送るか?」
「頼めるか? 狩野屋の手代が京に行く帰りに武具や兵糧を調達して宗滴殿へ届けてくれ。」
「承知した。」
「総光。お前は常備兵の中から敦賀朝倉家への援軍を五百程編成してくれ。」
「承知致しました。…指揮官は如何致しましょう?」
「ん、そうだな。」
僕は家臣達を見回した。
そして何故かすぐ近くにすり寄っていた少年が目に入った。
「…六郎。お前やってみるか? お前もそろそろ手柄が欲しかろう。」
「ええええ、お、おれが指揮官だって?」
長岡六郎がまだあまり声変わりしていない声で叫んだ。
そろそろこの歴史での細川晴元も初陣した方が良いと思いました。