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第百四話


一五二七年三月 越中一乗谷近郊



「ふぅむ、どうしたものか。」



徐々に気温が上がり雪の日も少なくなってきた三月。

この日軍神として名高い朝倉太郎左衛門尉宗滴は主君である朝倉孝景に会うために一乗谷近郊のとある寺院に逗留していた。

…が、主君孝景への使者を出しているのにも関わらず一乗谷城への登城が許されず、どういう訳かこの寺院に数日留め置かれていたのだ。



義父上(ちちうえ)、御屋形様からのお返事はまだ帰ってきませぬか。」



朝倉宗滴に話しかけて来たのは義息子(むすこ)の朝倉景紀だ。



「うむ、残念ながらな。」

「むぅ、兄上め。いったい何を考えておられるのか。」



兄上と言うのは無論、朝倉孝景の事だ。

この朝倉孝景と言うのは曾祖父である朝倉宗家七代目にあやかって孝景と名乗っており、後の世においてはそれと区別するために出家後の法名から宗淳孝景と呼ばれた人物だ。

この朝倉孝景から見ると宗滴は大叔父にあたり、景紀は弟であった。



「…景紀よ。二つ程頼まれてくれるか?」

「は、何なりと。」

「お前は早馬で敦賀へ戻り、盟友(わがとも)の兵を木ノ芽峠へ進めておいてくれ。」

「は…、それは…」



これは最早カンだ。

根拠がないものではあるが、歴戦の勇士である朝倉宗滴はそれは馬鹿に出来ないと考えていた。



「それと近くに薬売りもいるはずだ。…頼むぞ。」

「はっ。かしこまりましてございます。」



朝倉景紀は特にそれ以上聞くでも無くその場を退出していった。

少しして馬が掛ける音がした。

ひとまずこれで良いだろう。

朝倉景紀は優秀な男であるからすぐに軍を動かしてくれるだろうし、薬売りを通じて盟友に繋ぎを取ってくれるはずだ。

このカンは当たらぬ方が良いのは明白だ。

だが万が一と言う事もある。


そしてその翌日の夜、主君である朝倉孝景が僅かな供を連れて逗留している寺院を訪れたのだった。




◇ ◇ ◇




「大叔父上、夜分にすまぬな。機嫌を悪くしないで欲しいのだが。」



寺院の一室に案内された朝倉孝景が上座に座るなり口を開いた。



「…機嫌が悪くなるかどうかは内容次第にございますな。」

「なかなか登城の許可を出さなかった事か?」

「左様にございますな。」



朝倉宗滴は朝倉家の軍務を司る者として、家中において重きを成していた筈だった。

まさに朝倉家の代表格と言っても過言ではない人物がこのような扱いを受けるなんてことは、通常あってはならない事だ。



「…大叔父上には先に問わせてもらいたいのだが。」

「何にござりましょうや?」

「大叔父上は越中守護の神保殿と懇意にされているようだな。」

「…何をおっしゃりたいので?」



いや、その真意を読めないほど朝倉宗滴は愚かでは無い。



「我が家中で、大叔父上らが神保長職殿から越後に知行地を与えられたことを訝しむ意見が上がっておる。」

「・・・」



朝倉宗滴はやはりそうか、と言う様に上を向いた。



「御屋形様はそれで儂が朝倉に背くとお考えか?」

「そうは言っておらぬ。いや…」



朝倉孝景は表情を歪めた。

この男は朝倉家当主として、文治政治家としては優秀な人物であった。

しかし武将としてはどうか。



「大叔父上程の方がそれ程肩入れする神保長職とはどういう人物か教えてくれまいか?」



なるほど、朝倉孝景にとっては家を超えてまで協力する”力学”を理解できないのであろう。



「これは能登の畠山殿の言葉を借りるのですが、一言で言えば人たらしにござる。」

「人たらしとな?」

「左様。あの御仁は武勇に秀でている訳ではない。…ところがその周りには文武に優秀な将が集まり、それだけでは無く領民にも善政を敷き支持を集めておりまする。」

「大叔父上もそれに惹かれたと?」

「何を仰せになりたいのかは分からぬが、そう思われるのならそう思えばよろしかろう。」



朝倉宗滴の言葉を聞いた朝倉孝景が腕を組み、軽く下を見た。



「大叔父上。余は朝倉家当主として家を纏めて行かねばならぬ。…それ故に一門衆や家臣の言葉を無下に出来ぬのだ。」

「儂は一門衆では無いと…?」

「…そうは言っておらぬ。余はそんな事は言いたくないのだ。」



何が言いたいのかは分かる。

それ故にこんな夜中に、僅かな供を連れてやってきたのだ。



「大叔父上、余が一門衆や家臣達を抑えられるのは向こう三日が限界だ。あとは御自身で判断なされよ。…それと景紀は大叔父上にお任せする。」



そう言うと、朝倉孝景はすくっと立ち上がり部屋を後にした。

朝倉宗滴はその姿を振り返ることはしなかった。


翌日、朝倉宗滴は一乗谷を出奔し敦賀へと向かった。

朝倉宗家からの追手が掛かった頃には既に木ノ芽峠まで進んでいた朝倉景紀率いる軍に迎えられた程、迅速な動きだった。

朝倉宗滴のカンが的中したという訳だ。


その数日後、朝倉宗滴・景紀義親子の敦賀郡司家は敦賀朝倉家として宗家から独立を宣言したのであった。










史実ではそんなことは起こりません。

この出来事は加賀一向一揆との戦いに少なからず影響を与えるかもしれませんね。。。

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