第九十九話
一五二六年十月 越後春日山城
季節が進み十月となった。
日本五大山城の一つともされる越後春日山城。
この山城の眼下に広がる田畑には収穫時期の稲穂が首を垂れていた。
「御屋形様、長尾定長様が参りましてございます。」
「…通せ。」
幾分不機嫌そうな表情を浮かべながら頬杖をつく初老の男がひとり。
越後守護職を務める上杉定実だ。
本来ならば越後守護職はこの国のトップであるはずだが、その実権が奪われて久しい。
「義父上、失礼致しまする。」
その守護を義父と呼ぶのは娘婿である長尾定長だ。
定長は一礼すると、上座に座る守護の対面に進んだ。
「うむ。定長よ、此度は何用か?」
「はっ。此度は今年の稲の収穫の見込みや年貢率、国政の方針等のご説明に上がりました。」
「そうか。」
上杉定実は素っ気ない返答を返した。
対する長尾定長は軽く息を吐くと、そのまま国政報告を続けた。
本来その国の守護であれば真剣に政治に向き合うべきであるが、残念ながら上杉定実にはその様子が無さそうだ。
対立していた長尾為景が死してすぐの段階ではそうでなかったはずなのに、今ではまるで覇気が感じられない。
「…と言う所でございます。義父上の御裁可は如何に…?」
長尾定長からは形式上、国政方針に関する伺いが立てられた。
まぁあくまでも形式上だ。
「定長の好きなように致せ。」
「ち、義父上…。はい、承知いたしました。」
その答えに、まだ二十歳前の青年である定長は少し寂しげな表情を浮かべた。
しかし拳をきゅっと握ると軽く一礼した。
「…時に、定長は越中の神保長職と越後国の中で“何か”やっているようだな?」
その問いに、長尾定長がぴくりと眉を動かした。
「長尾為景めの下にいた直江実綱が頻繁に越後に来ているのは知っている。一度儂にも挨拶に来たが、どうやら揚北衆を含む国人領主の所を回っているようだな。」
「…左様にございますな。」
「神保長職め、越後での行動をまるで隠すそぶりも見せぬわ!」
上杉定実が膝をバンと叩いた。
「…私には国人領主達に我等への指示を取り付けるように動いていると説明を受けておりまする。揚北衆等が大人しく構えているからこそ、我等は内政に専念できると言うものにございます。」
「ふん、甘いわ。神保長職めは我が越後へ調略を仕掛けているのでは無いのか!?」
そう、神保長職は配下の動きを隠す事もなく、むしろ越後守護側へ敢えて伝わるように活動をしているのだ。
「…義父上。」
「神保長職めは先の戦で越後西部の一部を掠め取っただけでは飽き足らぬのでは無いか?」
「何をおっしゃる。」
「定長は神保長職めと仲良うしているようだが、我が越後と神保長職めとどちらを取るのか!」
上杉定実が拳を握り締めながら大声を出した。
「…義父上。私は私の故郷である越後を大事に思っております。」
「では何故、守護である儂を府中から遠ざけ、春日山城へ閉じ込めるのだ!」
本来春日山城は守護代長尾家の居城だ。
守護として政務を行うべき場所では無く、実権の無い定長は実質的に春日山城に押し込められていた。
「…私には武の力は欠けておりまする。しかしながら実父である長尾為景が死に、私が越後守護上杉家の養嗣子となった今、越後の安定と発展の為にあらゆる手を尽くす必要がございます。」
「何だと…?」
「揚北衆の多くには、私への支持を取り付けました。その他の国人領主も同様です。上条の義叔父御の同意も頂きました。…反抗する国人領主へは神保長職様との合同軍を編成し討伐する準備も進めております。これは稲の収穫後になりましょう。」
「…まさか貴様は?」
「そして私が義父上の跡を継ぎ越後守護になった暁には、越中守護神保家と対等な軍事・経済同盟を締結する運びとなっております。」
「き、貴様は越後を簒奪するつもりか!?」
上杉定実が怒りに震えながら立ち上がった。
「異な事を…。私には、今の義父上に越後を導いていけるとは思えませぬ。」
「き、貴様…!」
「…我が妻を悲しませたくもありませぬ。義父上、御隠居なされませ。義父上の生活は義息子である私が保証いたします。御隠居されぬ、と言われるのであれば何をせねばならないかはお分かりでしょう?」
そう言うと長尾定長が深々と頭を下げた。
上杉定実は力なくその場に座り込んだ。
翌月、周辺国へ越後守護職の交代が発表されたのだった。
越後守護、上杉定長が爆誕いたしました!




