プロローグ 終わりの宣告
正直続くかどうかわからん
20XX年、東京 国立特殊医療研究所。
「…では、規則なので。いま一度この注意書きを一緒に声に出して読みますよ」
二人はその奥の奥、わずかな隙間もない扉にあらゆる言語で書かれた注意書きを読み上げた。
・彼に危害を加えてはならない。
・彼を脅してはならない。
・彼の前で他人に危害を加える行為、またはそれを仄めかす発言をしてはならない。
・上記三点が守られなかった場合、命は保障されない。
「ですね、では鍵開けましょう、宮下さん」
「わかりました、3つ数えて同時に右ね」
立花庄造と宮下三郎の二人は扉の注意書きを読み上げると両側にある鍵穴に手を伸ばす。
「3、2、1、回して!」
三郎の掛け声に合わせて2人は鍵を開ける。そうして開けられた扉のはずだが。
「もうちょっと軽くならないんですかねこれ!」
「仕方ないでしょ!いざという時のために完全に密閉しないといけないんだから!」
様々な事情で機械化できず、またとてつもなく重いその扉は、大の大人二人がかりでも開けるのには困難を極めた。
『相変わらず大変そうだねぇ。2人とももっと体を鍛えたほうがいいんじゃないかい?』
そうして苦労して開けた扉の先。部屋の中央にあるのは特注であろう大きな標本瓶。
『やぁ久しぶりだね、庄造君。ごめんね、こんな化け物の相手のために無理やり呼び出しちゃって』
その中にはこの数十年の間に世界を変えた人間の敵がいた。
「気にしないでくださいよ、イチョウさん。あなたとは親父のころからの付き合いなんだし」
『幸一さんか、懐かしいなぁ。彼を食らった日のことはつい昨日のことのようだ』
「昔話したいだけで呼んだ訳でもないんでしょう?一体どうしたんです?今月の担当は宮下さんなのに」
『いや、昔話をしたいんだ。そろそろ死にそうだから』
半透明のゼリー状の体をまとめる大きなボール状の核を有した異界の化け物。
イチョウと呼ばれたスライムあっけらかんと呼び出した目的を語った。
『3日ほど前から、急速に衰えてるのが分かるんだ。もう核を維持するだけで手いっぱいで…この容器から出ることもできそうにない』
「バイタルデータは!容器内の熱量はどうなってるんです!宮下さん食事は!?」
「体液の粘度も正常値だし熱量に問題はない!確かに少々食事量は減ってたけど基準値だよ!」
『魔界にいたころでもこんなに長い間生きたスライムの話は聞いたことがない。おそらくは単純な老衰だよ』
慌てて機材のチェックを始める二人を見つめながら、イチョウはただ落ち着いて言葉をつづけた。
『だから聞いてほしいんだ、お前に。功罪ともにあった俺の生涯を』
「あなたの生涯はまだこれからだ!まだまだできることはいくらでもあるんだ!」
『それは隣のキクと、世界中にいる息子たちが引き継ぐことだ、だから聞いてくれ、俺にはもう時間がない』
「…立花さん、聞こう。ジタバタしても始まらない。イチョウさんは覚悟してる。対策会議も経過観察もこれからできるけど、ここでの話は今しかできないよ」
あまりにも唐突な宣言にうなだれる庄造を、三郎は椅子を出してイチョウの前に座らせる。
受け入れがたい現実を受け入れる、そこに時間が必要なことはイチョウは長い時間の中で学んでいた。
そうして15分。
「…イチョウさん、聞かせてください。あなたの話を」
『長い話になる、研究所の記録にすらない俺の生涯の話と、もうひとつは遺言だ。この体が死んだらこのままサンプルとして保存されるだろう。だからこの標本瓶にこう書いてほしい』
『人間の敵として造られたスライムが人間の医療の救世主になった』