9 食欲には勝てません
魔王からの突然の求婚を(飯につられて)承諾したアーシャは、阿鼻叫喚の大広間から別室へと案内された。
暖炉とテーブルの備えられた、応接室のような場所だ。
魔王と向かい合うようにして席に着いたアーシャは、今更ながらのこのことついてきて大丈夫なのだろうかと不安を覚えた、
先ほどのやりとりは罠で、油断したところを頭からガブリと食いつかれるのでは……と一瞬恐れたが、魔王は友好的な態度でアーシャに晩餐を用意してくれる。
「君の口に合うかどうかはわからないが」
サラダに、スープに、ステーキに……メニュー自体は人間の料理とそう変わりはない。
だが、よく見ると使われている素材がしらないものばかりだった。
見たことのない野菜に、何の肉かわからないステーキ……。
(でも、おいしそう……)
普通の人間だったら尻込みする場面なのだろう。
だがお腹を空かせたアーシャにとっては、些細な問題に過ぎなかった。
とりあえず、空腹を満たしてくれる物ならばなんでもばっちこいなのだ。
フォークを手に取り、うきうきと皿に手を伸ばそうとすると――。
《まってアーシャ、毒が入ってないかどうか確認するね》
伸ばしかけた手に、そっと水の精霊アクアが触れた。
アクアは水を司る精霊であり、浄化の力にも長けている。
今回のように誰が作った分からない料理を口にする前には、アーシャにとって有害な毒などが盛られていないかどうか、調べてくれるのだ。
《うーん……意外や意外。毒は入ってないよ。食べても大丈夫みたい》
どうやら、魔王は今すぐアーシャを殺すつもりはないようだ。
アーシャは安心して、謎のステーキにかぶりつく。
(おぉ、ワイルドなお味……)
よくいえば素材そのものの味を活かした……悪く言えば味付けがほぼなされていない野性味あふれる料理だ。
だが、出された食事に文句は言うなかれ。
お腹が空けば野草だろうがなんだろうが口に入れるアーシャは、もぐもぐと出された料理を平らげていく。
《お前、よくこの状況で平気な顔して食えるな……》
《もう少し警戒心を持ってほしいところですが……まぁ、そこがアーシャのいいところですからね》
呆れたようなフレアとウィンディアの声を聴きながら、アーシャはふと正面の席に座る魔王の方へ視線をやった。
彼は料理に手を付けるのもそこそこに、じっと興味深そうにアーシャを観察している、
(うっ、こういう場では料理を堪能するより相手の反応を見なきゃいけないんだっけ……。いけないいけない、すっかり忘れてた)
料理に夢中になっていたアーシャは慌てて次の皿へ伸ばしかけていた手を止めた。
セルマン王子の婚約者になった時に、短期間で詰め込まれた淑女のマナーを思い出し、気まずさを振り払うようにこほんと咳払いする。
アーシャはまだ、目の前の彼のことを何も知らないのだ。
とりあえずは、求婚した真意を聞いてみなければ。
「えっと、それで……どうして魔王様は、私に求婚されたのですか?」
おそるおそるそう問いかけると、魔王はぱちくりと目を瞬かせた。
「……あぁ、人間たちは求婚の際に愛の言葉を贈るのだったか。必要ならば――」
「いいえ、必要ありません。あなたが私をどう使いたいのか、それをお聞きしたいのです」
魔王がアーシャに一目惚れしたわけではないことくらい、彼の反応を見ていればわかる。
彼はおそらくなんらかの打算があり、アーシャに求婚――つまりは、手元に置いておきたいと考えたのだろう。
まったく動じることのないアーシャの様子を見て、魔王はふっと笑った。
「俺はあまり多くの人間を知っているわけではないが、君は変わっているな」
「そうでしょうか……」
「あぁ、間違いない。魔王の前で盛大に腹の虫を鳴らした人間は君が初めてだ」
「うっ!」
忘れたい記憶をほじくり返され、アーシャは羞恥心に頬を赤く染めた。
そんなアーシャを見てくすりと笑うと、魔王はゆっくりと口を開く。




