77 魔王様、ちょっと楽しんでません?
「思い、出したのか……」
驚いたようにそう口にするルキアスに、アーシャはそっと頷いた。
「断片的にですが……思い出しました。傷ついた魔王様とあの物置小屋でお会いしたことも、私を助けてくださったことも」
封印を施されていたのと、あの頃はまだ幼かったのもあってすべてを思い出せたわけではない。
それでも、目の前の彼のことははっきりとわかる。
アーシャが微笑むと、ルキアスは感慨深げに呟いた。
「そうか、思い出したのか……。ならば――」
彼が一歩アーシャの方へ近づく。
だがその途端、その場の空気を引き裂くような無粋な大声が上がった。
「魔王、だと……!?」
ルキアスが忌々し気に声の方向へ視線を投げる。
アーシャも慌てて声の主の方を振り返った。
そこには、王太子セルマンが驚愕の表情でこちらを凝視していた。
その反応に、ルキアスがアーシャを庇うように一歩前に出る。
その途端、セルマンはルキアスとアーシャを指さし弾かれたように叫んだ。
「お前が魔王を呼び込んだのか、アーシャ! 俺は間違っていなかった!」
「セルマン様! 落ち着いてください、この御方は――」
「聞け、皆の者! やはり偽の聖女アーシャはこの地を滅ぼそうとする悪魔だったのだ! ここで魔王と偽聖女を討てば英雄だぞ! かかれ!!」
「セルマン様……!」
まったく聞く耳を持たないセルマンに、アーシャは慌てた。
だが、彼の威勢の良さとは裏腹に……兵士たちはその場から動こうとはしない。
「おい……何をやっている? 早く魔王との偽聖女を討ち滅ぼせ!!」
「聞いてくださいセルマン様! 私たちは決してこの国に害を及ぼそうなどとは考えておりません!」
「黙れ、恥知らずの偽者め! 誰が貴様のような薄汚い平民女の言葉を――ぎゃあ!」
ぎろりとセルマンを睨んだルキアスが、彼のすぐ傍に軽く雷撃を落とす。
たったそれだけで、セルマンは腰を抜かしたようにへたり込んでしまった。
ルキアスが更に一歩足を進めると、彼は小さく悲鳴を上げて物凄い勢いで後ずさる。
「……貴様がこの国の王子か。俺を滅ぼしたいのなら兵士の後ろに隠れてないで、正々堂々とかかって来るがいい」
「な……!?」
威嚇するように漆黒の翼を広げ、腰を抜かしたセルマンをいたぶるその姿は、まさに魔王そのものだ。
なんというか、これは……。
「魔王様、ちょっと楽しんでません?」
「……気のせいだ」
「嘘です! 『俺の味方になれば世界の半分をやろう』とか言いそうなお顔をしています!」
「そうか?」
先ほどセルマンに見せた魔王モードはどこへやら、アーシャの方を振り向いたルキアスはいたずらっぽく笑った。
その表情に、アーシャはほっとする。
だが、ルキアスの注意がそれたのをいいことに、セルマンはまたしても騒ぎ始めた。
「くそっ、馬鹿にしやがって……カティア!」
「わ、私ですか……!?」
ようやく立ち上がったセルマンは、素早い動きで戦々恐々と状況を見守っていた現聖女――カティアへと駆け寄った。
「君はたぐいまれなる聖女だろう! 今すぐあの魔王を打ち倒すんだ!」
「なっ、無理です!」
「何を言う、本物の聖女なら容易いはずだ! ほら行け!」
「きゃあ!」
なんとセルマンはカティアの背後へまわったかと思うと、勢いよくその背を押したのだ。
押し出されたカティアは、二、散歩たたらを踏んでおそるおそる顔を上げる。
その視線の先にいるのは……魔王ルキアスだ。
「ひいいぃぃぃ!!?」
(あぁ、これはカティア様に同情しちゃうな……)
カティアの恐怖の悲鳴を聞きながら、アーシャは嘆息した。
アーシャとて、「聖女なのだから魔王と戦え」といきなり魔王の眼前に引きずり出されたら、驚くし慌てるだろう。
「あの、カティア様。この方は――」
「ほぉ、貴様がこの国の聖女か」
(また魔王モードになってる!?)
明らかにルキアスはこの状況を楽しんでいる。
彼の意外な一面を目にして、アーシャは乾いた笑いを浮かべそうになってしまう。
「いえっ、その、私は……」
魔王モードのルキアスを前に、カティアは可哀そうに怯え切っている。
真っ青になりぶるぶると震えるその姿は、なんとも哀愁を誘う。
「我が元にいる前聖女を遥かにしのぐ力を秘めているそうだな。……面白い。その力、見せてもらおうか」
脅すように、あくどい笑みを浮かべたルキアスが指先にばちばちと電撃を走らせる。
それだけで、カティアは陥落した。




