72 あの日の思い出(2)
8/9 投稿ミスで前話とほぼ同じ内容が投稿されているのを修正しました!
ご指摘してくださった方、ありがとうございます!
現れた人間の少女ははまるで珍しい動物でも見つけたかのように、大きな目を丸くしてしげしげとこちらを眺めている。
すぐに始末しようかとも思ったが、寸でのところで思いとどまる。
その少女からは、驚くほど敵意を感じなかったからだ。
……人間の子どもという存在は、こうも無防備なのだろうか。
魔族の地では一瞬で命取りになりかねないその無防備さに、ルキアスは思わず呆れてしまった。
「かくれんぼ? ここなら見つからなさそうだもんね」
少女は何が楽しいのか、にこにこ笑いながら話しかけてくる。
「おにーさんは外のひと? 変わった服きてるんだね。あ……」
座り込んだルキアスの服装に視線をやった少女が、驚いたように目を見開く。
そこで、ルキアスは彼女が何に驚いたのかに気が付いた。
「っ……!」
ルキアスの腹部は、いまだにべっとりと血液で濡れている。
おそらく争いに巻き込まれたこともない幼い少女には、さぞや恐ろしい光景だろう。
……叫ばれる前に息の根を止めるべきだろう。
少し手を伸ばして、力を込めれば……少女の細い首など一瞬でへし折れる。
ルキアスの明晰な頭脳はすぐさまそう判断を下した。
だが、なぜか……体は言うことを聞かなかった。
目の前の少女を傷つけるのに、躊躇してしまったのだ。
その隙に、少女は踵を返して逃げ出そうとする。そのまま小屋を出て誰かに助けを求めるのかと思いきや――彼女は振り返って叫んだ。
「わたしのおかーさん『くすし』なの! すぐに薬を持ってくるから待ってて!」
「…………は?」
予定通り命を奪うことも、引き止めることもできずに、ルキアスは呆然と小さな足音が遠ざかっていくのを見送るほかなかった。
……いったいなんなのだあの生き物は。
まったく行動原理が理解できない。彼女はルキアスを恐れもしなかった。
いくら人間といえども、普通見知らぬ血まみれの人間がいたらもう少し驚くなり怖がるなりしてもよいのではないのだろうか……。
なんだか拍子抜けした気分で、ルキアスは小さくため息をついた。
自分ばかり過剰に警戒しているのが馬鹿らしく思えてくる。
人間とは皆、こうも平和ボケした生き物なのだろうか。
それとも、あの少女が特別なのだろうか……。
どちらにせよ、いつの間にかあの少女の息の根を止めようという思いは小さくなっていた。
それよりも、彼女に少しだけ興味が湧いた。
ルキアスの想定外の動きしかしないあの少女は、次はいったい何をしでかすのだろうか……。
そんな風に考えている自分に気づき、ルキアスは驚いた。
「……こんな気分になるのは、初めてだな」
魔王の座などに興味はない。それよりも、もう少しあの少女を見ていたい。
いつになく凪いだ気分で、ルキアスはのんびりと先ほどの少女が戻ってくるのを待つことにした。
思ったよりも早く、彼女は戻ってきた。
「おにーさん、生きてる?」
そっと顔をのぞかせた彼女は、ルキアスが顔を上げると嬉しそうに笑った。
「よかった、生きてた!」
いそいそと小屋の中へと踏み込んできた彼女は、腕に小さな壺を抱えていた。
「……なんだそれは」
「あっ、おにーさん喋れたんだ!」
思わず疑問を口にすると、少女は嬉しそうに駆け寄って来て、ルキアスの傍らに腰を下ろした。
「傷口、みてもいい?」
「……好きにしろ」
「わぁい」
何が楽しいのか、彼女は嬉々としてルキアスの血に濡れた装束をめくった。
そして、傷口におののくこともなくまじまじと観察していた。
「あっ、まずは傷口をきれいにしなさいっておかーさんに言われてたんだった。井戸から水を汲んでくるからちょっと待っててね!」
「待て」
再び小屋の外へと走り出そうとした少女を、ルキアスは今度こそ引き止めた。
不思議そうに振り返った少女に、ルキアスは厳しく告げる。
「……俺がここにいるということは、誰にも言うな」
少し脅しつけるような形になってしまった。少女は恐怖に泣きだすかと思いきや――。
「だいじょーぶ! かくれんぼしてるんだもんね! 秘密にしてあげる!!」
……にこにこと笑いながら、堪えた様子もなく駆け出していった。
「……ホーンラビットのようだな」
一部の魔族にペットとして人気のある、ちょこちょこ忙しなく角兎の小魔獣を思い出し、ルキアスは口元を緩めた。




