69 運命の日
その日の王都の空は、嘘のように青く晴れ渡っていた。
王城の前の広場の一段高くなったステージの上で、アーシャはぼんやりと空を見上げる。
その隣では、セルマンが熱っぽく演説を繰り広げていた。
「聞け、皆の者! 我らは今、歴史上類を見ないほどの苦境の真っ只中に置かれている。だが悲観することはない! すべては神が与えたもうた、我々が乗り越えるべき試練だったのだ!」
広場に集まった者たちは、半信半疑と言った表情でセルマンの演説を聞いている。
だがセルマンは堪えた様子もなく、大げさな身振り手振りを交えて熱弁を続けている。
彼が手にしている鎖はアーシャに嵌められた足枷へと繋がっており、強く鎖を引かれアーシャは二、三歩たたらを踏んだ。
「この者は畏れ多くも「聖女」の名を騙り、神の怒りを買い我が国を混乱へと陥れた大罪人だ!」
セルマンがアーシャを指し勢いよくそう叫んだが、聴衆の反応はいまいちだった。
……聡い者にはわかっているのだ。
今この国を襲う異変が、いったいいつから始まったのか。
アーシャは聖女として就任していた期間、きちんと国が守られていたことを……。
「通常なら極刑が妥当であるが、慈悲を与え、罪を償う機会を与えることにした……見よ!」
セルマンが指示すると、控えていた者たちが、ステージの一角に置かれていた人一人入るほどの大きさの「何か」から覆っていた布を取り払った。
それは、ガラスでできた鳥籠のような形をしていた。
だが、それがただのインテリアではないことはアーシャもよくわかっている。
これは、セルマンが言っていた人間を精霊へと変化させる装置なのだろう。
装置の中には、水晶のような結晶がいくつか取り付けられていた。
その見覚えのある結晶に、アーシャの喉がひゅっと音をたてた。
(みんな……!)
あれは、アーシャを庇って捕らえられた精霊たちが封じられている結晶だ。
――「神殿で捕まえた精霊の力を結集させ、お前の魂を人工精霊へと昇華させるんだ。そうしてお前はこの国の守護精霊となる。未来永劫この国に尽くすことができるんだ、この上ない光栄だろう?」
確かにセルマンはそう言っていた。
……となると、やはりあそこに閉じ込められているのはいつもアーシャを支えてくれていた精霊たちなのだろう。
(ごめん、ごめんね……みんな……)
激しい後悔が押し寄せ、アーシャはぎゅっと唇を噛みしめた。
自分自身の浅はかさのせいで、自身が傷つくのは構わない。
だが、彼らを巻き込んでしまったのには後悔しかない。
(私が嘘の手紙に引っかからなかったら、ちゃんと魔王様に相談していたら……)
少なくとも、彼らをあんな目に遭わせることはなかったかもしれないのに。
そう考えると涙が零れそうになって、アーシャは俯いた。
そんなアーシャの態度をどう思ったのか、セルマンは機嫌よく口を開いた。
「ふん、ようやく自らの行いを反省する気になったようだな、アーシャ。人間としての最後の言葉を聞いてやらんでもないぞ」
アーシャは顔を上げ、真っすぐにセルマンを……彼の隣で硬い表情をしたカティアを見据えた。
そして、ゆっくりと二人の前へと跪く。
「どうか……お二人にはこの国をより良き方向に……精霊と共存し、互いに支え合うような国へと導いていただけることを、切に願っております」
その言葉を聞いてカティアは息を飲み、セルマンは苦々しく表情を歪めた。
「……ふん。そんな殊勝なことを言えば、俺が意見を変えるとでも思っているのか? 素直に命乞いでもすればいいものを……」
「いいえ、これは私の心からの言葉です。どうか、いつまでもお忘れなきように」
セルマンが蘇らせた禁術が成功するのか失敗するのかはわからないが、もし成功したとしてもきっとアーシャはアーシャでなくなってしまう。
だから、せめてその前に伝えておきたかった。
聖女の座を退いた後でも、この国を想う気持ちは変わらない。
セルマンが心を入れ替え、良き王としてこの国を導いてくれることを願うのみだ。
「っ……もういい! 早く昇華を始めろ!」
セルマンの声に呼応するように、アーシャは例の装置の目の前まで連れていかれる。
自分の命が終わる時だというのに、恐怖心はなかった。
ただただ、いつも一緒に居てくれた精霊たちを巻き込んでしまうことが申し訳なかった。
「フレア、ウィンディア、アクア、アース……みんな、ごめんね」
自分はどうなっても構わない。せめて、実験が失敗し、彼らだけでも解放されれば……。
アーシャはただ、そう願っていた。
「中に入れ」
そう促され、一歩足を進める。
自分が消えてしまうことなど怖くない。
そう思っていたはずなのに……。
――「人の国より参られし聖女よ。そなたを我が伴侶に望み、結婚を申し込みたい」
――「なるほど……承知した。君のために三食とはいわず、間食や夜食も用意しよう、花嫁殿」
次々と、優しい記憶がよみがえってくる。
――「べっ、別にこれはあなたの考案した収穫祭だから成功させたいというわけではなく、魔王様の威光を皆に知らしめる良い機会だというだけですので!」
――「結局またあいつに負けて、今度こそどうするか悩んでた時に、お前が声をかけてくれた。その時初めて思ったんだよ。もしかしたら俺たち、戦い以外にも何かできることがあるんじゃないかってな」
――じゃあ私、ファッションデザイナーになりたい! もっともっと、みんなに可愛い服を広めるんだ」
無理難題を吹っ掛けられたこともあった。いきなり誘拐されたこともあった。集団で詰め寄られたこともあった。
だが、彼らは人間の国で聞いていたような……恐ろしいだけの生き物ではない。
ルキアスの元で過ごすうちに、アーシャは自然とそう受け入れるようになっていた。
……楽しかったのだ。
あの場所で、過ごした時間は。
知らず知らずのうちに、足を前に踏み出そうとして躊躇してしまう。
――……あの場所へ帰りたい。
そんな思いが沸き上がって、アーシャは呆然とした。
(そんな……未練なんて、ないと思っていたのに……)




