67 セルマン王子の計画
彼らにとって自らの力に頼り切った小国を滅ぼすことなど、赤子の手をひねるよりも容易い。
村を土で押し流し、街を水に沈め、大人も子どもも誰一人として逃げられはしない。
まさしく、王国最後の日となるだろう。
「お願いします。セルマン殿下、どうかお考え直しください……!」
「うるさい!」
「っぅ……!」
セルマンに強く突き飛ばされ、アーシャは絡まる鎖に足をもつれさせながら床へと倒れ込んだ。
「元はといえば何もかもお前のせいだろう!? お前が生きているから何もかもが狂ったんだ……!」
セルマンが苛立ちをあらわに強く床を踏みつけ、アーシャはびくりと身を竦ませた。
そんなアーシャを見て留飲を下げたのか、セルマンは幾分か落ち着いた態度で告げる。
「はっ、俺が怖いか? だが安心するといい。まだお前には利用価値があると言っただろう」
「それは、どういう……」
「禁術の中に、ひどく有用な物を見つけた。その術が成功すれば、すべての精霊を服従させ、その力で我が国は更なる発展を遂げることができる」
フレアたちの力を奪った、あれ以上に恐ろしい術が存在するのだろうか。
息をのむアーシャの前で、セルマンは恍惚とした表情で告げた。
「閉じ込めた精霊たちの力を結集させ、そして……人間を精霊へと造り変える。造り上げられた精霊は他の精霊を支配下に置き、未来永劫この国を守護する人工精霊となる。そうすれば、もう何も恐れることはない……!」
セルマンの告げた予想もしなかった言葉に、アーシャは愕然としてしまった。
(人間を精霊に変える……? そんな、恐ろしい術が存在しているなんて……!)
人間と精霊は根本的に別の存在だ。もしも人間を精霊に変えることができるのだとしたら……間違いなく、人間としては「死」を迎えることになるのだろう。
そんな倫理に反した研究が行われていたと考えるだけでも恐ろしい。
それも、セルマンの口ぶりだともう実用段階に入っているようにも聞こえる。
「そんな恐ろしい術、絶対に実行しては――」
「案ずるなアーシャ。栄えある素体に選ばれたのはお前だ」
「え…………?」
不気味なほど優しくアーシャを助け起こしながら、セルマンは意気揚々と続ける。
「神殿で捕まえた精霊の力を結集させ、お前の魂を人工精霊へと昇華させるんだ。そうしてお前はこの国の守護精霊となる。未来永劫この国に尽くすことができるんだ、この上ない光栄だろう?」
セルマンの手のひらが優しくアーシャの頬を撫でる。だがその瞳に宿っているのは、狂気的な光なんだ。
「俺はこの国を救った英雄として王に即位し、カティアは歴史に残る最高の聖女にして王妃だ。お前が精霊たちを統率してくれれば、他の国へ攻め入ることも容易いだろうな」
「……正気に戻ってください、セルマン様」
「何を言っている、俺はずっと正気だ。お前だって精霊の仲間になれるんだ。いつも虚空を見つめてぶつぶつと喋っていたお前なら願ってもない待遇だろう?」
(あぁ、この人には……もう何を言っても通じないんだ……)
遅ればせながら、アーシャはそう悟ってしまった。
きっと、自分はセルマンを見誤っていたのだ。
彼はこの国の第一王子。アーシャとは相容れなかったが、この地の精霊を愛し、共存し、カティアと共にこの国を良い方向へ導いてくれると信じていたのに……。
(何もかもが、間違っていた)
愕然とするアーシャの前で、セルマンはどこまでも澄んだ瞳で理想を語るのをやめなかった。
◇◇◇
「カティア、聞いてくれ! この状況を打開する策が見つかったぞ!」
セルマンが呼びかけると、カティアはおそるおそるといった様子で扉を開ける。
そのまま部屋の中へ足を踏み入れ、セルマンは愛しの婚約者を抱きしめた。
「これで……何もかもがうまくいく! 君もこんなところに閉じこもる必要なんてなくなるんだ!」
各地で災害が起こるようになってから、当然現聖女であるカティアへ向けられる視線は厳しくなった。
少し前など、王城を出たところで荒れ狂う民衆に襲撃されかけたのだ。
カティアは怯えてしまい、こうして室内に閉じこもっている。
もちろん、そんな状態で聖女の務めなど果たせるわけがない。
そうしているうちにも、どんどんと国内の状況は酷くなっていく。
カティアの聖女の資質を、それにカティアを擁立したセルマンの責を問う声は日に日に高まっていき、
(くそっ、どいつもこいつも……すべては生贄の役目を放棄したアーシャのせいだというのに……!)
このままでは、カティアだけではなくセルマンの地位も危ない。
元聖女である母と共に、被害が大きい地域へ向かった父からは廃嫡もほのめかされたのだ。
冗談じゃない!
セルマンは生まれた時からこの国の王となることが運命づけられているのだ。
こんな……不測の事態で輝かしい未来が閉ざされてよいはずがない。
だが、天はセルマンを見捨てなかった。
(アーシャを精霊へと変え、従えれば……すぐにこの事態も収められる。俺は国を救った英雄だ……!)
そうなれば今までの失態など、すぐに挽回できるだろう。
皆はセルマンとカティアを崇め称え、父もすぐさま国を任せてくれるに違いない。
「本当にうまくいくのでしょうか、セルマン様……」
「あぁ、何も心配することはない。計画通りアーシャを捕まえられたんだ。後は何もかもがうまくいくさ」
アーシャも永劫にこの国に仕えることができて本望だろう。
偽の手紙でおびき出した時のように、アーシャに近しいものを人質に取ればいうことを聞かせるのも簡単だ。
「やはり、正義は勝つのだな」
自らの計画に陶酔していたセルマンは知らなかった。
アーシャがこの国を出てからいったい何をして、どんな者たちを味方につけていたのかを。
そしてその者たちが敵にまわると、どれだけ恐ろしいかを……。




