65 捕まってしまいました
「ん……」
ひどく体が重い。指先一つ動かすのも億劫だが、それでもアーシャは重いまぶたを開いた。
(そうだ、私……神官長に会いに来て、それで……っ!)
見知らぬ神官長、捕らえられた精霊たち――倒れる前の光景を思い出し、アーシャはぱっと起き上がった。
「つぅ……!」
その途端全身に痛みが入り、思わず呻いてしまう。
(私は魔法床トラップで気絶して、ここは……?)
おそるおそる周囲を見回す。
白い壁に、白い床。アーシャが寝かされていたベッド以外には窓すらない、不気味なほど簡素な部屋だった。
「……フレア、ウィンディア、アクア、アース」
一縷の望みを託して呼びかけてみたが、いつも一緒に居た精霊たちが応えてくれることはなかった。
気配すらも感じられない。あの結晶に閉じ込められて、どうなってしまったのだろう。
(全部、私のせいだ……。私が、もっと慎重に行動していれば……)
ぎゅっと唇を噛みしめて、アーシャは己の軽率な行動を後悔した。
(いいえ、今からでも……みんなを助けないと……!)
ここがどこなのかすらわからない。
だが、動かなければ何も始まらない。何も変わらない。
震える足を叱咤して、アーシャは立ち上がった。
だが、その途端――足元から、シャラ……と聞きなれない金属音がした。
「え……」
思わず足元に視線をやり、アーシャは絶句した。
アーシャの細い足首に武骨な足枷が嵌められており、そこから銀色の鎖が伸びていた。
アーシャが足を動かすたびに、鎖が動いて不気味な音を響かせている。
「なに、これ……」
鎖を辿ると、どうやらアーシャが寝かされていたベッドの足に繋がっているようだった。
危機感を覚えたアーシャは、とにかく部屋の出口へ向かおうとしたが……鎖の長さが足りず、扉まであと一歩と言う所で行動を抑制されてしまう。
(私、監禁されてる……?)
そう自覚した途端、恐怖と不安が押し寄せてくる。
いつも一緒に居てくれるフレアたちどころか、ここには小さな精霊の気配すらも感じられない。
本当に、アーシャはひとりぼっちになってしまったのだ。
(あぁ、私はまた一人になっちゃったんだ……)
まるで、大好きな両親が突然いなくなってしまった時のようだ。
あの時の絶望が、恐怖が蘇ってくる。
体の力が抜けて、アーシャはぺたんとその場に崩れ落ちてしまう。
「私は、どうすればいいの……?」
そう問いかけても、応えてくれる者は誰もいない。
アーシャはただ、己の無力さを噛みしめることしかできなかった。
こうして何もない部屋で一人でいると、嫌なことばかり思い出してしまう。
(昔、魔獣の侵入が激しかった頃みたい……)
ベッドの上で膝を抱え、アーシャは幼い頃の記憶を思い出していた。
まだアーシャが5、6歳ほどだった頃、国を守る結界が弱まっていたのか、頻繁に魔獣が国内に侵入してきた時期があった。
国境近くの村に住んでいたアーシャは、魔獣侵入の報を聞くたびに、母の言いつけで狭くて暗い物置小屋に隠れさせられたものだ。
アーシャの生家がある村は、どこにでもある小さな農村だった。
幼いアーシャは畑で遊び、探検気分で農作業小屋に潜り込んだものだ。
ある時、廃棄された小屋で何かを見つけて――。
「…………あれ」
いったい、何を見つけたのだろうか。
小屋に入るところまでは覚えているのに、その先がまるで記憶に靄がかかったかのように思い出せない。
(何か、ショックで記憶が飛ぶほど恐ろしいものが……? ううん、違う)
小屋の中で何を見つけたのかは思い出せない。
だが、それがアーシャにとって恐ろしい記憶ではなく、暖かな、大事な記憶だということはわかるのだ。
(どうして思い出せないの? それに、何で魔獣は出なくなったんだっけ……)
気づけば、魔獣の侵攻は収まっていたのだった。
だが、どうして魔獣の侵攻が弱まったのかは思い出せなかった。
……不自然に、その辺りの記憶が抜けている気がしてならない。
(今までは忙しかったから気にしなかったけど、どうして忘れてしまったんだろう……)
まだ両親が生きていて、精霊たちと話せるようになる前の出来事だ。
記憶から消えてしまった過去に、いったい何があったのだろうか……。
愕然としていると、不意に扉の外に人の気配を感じた。
アーシャは思わず身構え、じっと扉を睨みつける。
ゆっくりと扉が開き、その向こうに姿を現したのは――。
「無様な格好だな、アーシャ」
「セルマン殿下……!?」
この国の王太子でありアーシャの元婚約者でもあるセルマンが、嘲るような笑みを浮かべて立っていたのだ。




