61 故郷からの手紙です
「そんな、まさか……これって、神殿の――」
アーシャが育った神殿で、教えられている聖なる魔力。
魔族の支配するこの地では感じるはずのない力が、確かにこちらに近づいてきている。
慌てて窓を開け、遠くへ目を凝らす。
かすかな星明りに照らされた宵闇の中を……鳥のような物がこちらへ向かってくるのが見えた。
「あれは……」
驚きに目をみはるアーシャの方へと、どんどんと鳥は近づいてくる。
すぐ目の前までやって来て、アーシャはやっとその存在の正体に気が付いた。
それは、鳥の形をした紙だった。
アーシャが手を差し出すと、紙の鳥はアーシャの手のひらの上に降り立ち、くしゃりと一枚の手紙へと姿を変える。
アーシャはごくりと唾を飲んだ。
これは、神殿の中でも高位の者しか扱えない、機密文書を送る際の秘術だ。
つまりはアレグリア王国の神殿の者が、秘密裏にアーシャに何かを伝えようとしているのだ。
(どうして。私は生贄として追放され、もう神殿にとってもいない者のはずなのに……)
神妙な顔で手紙を見つめるアーシャに、フレアが真剣に声をかけてくる。
『どうする、燃やすか』
「いいえ……まずは、中を見てみなければ」
アーシャは震える手で手紙を開く。
そして中の文章に目を通すうちに……心臓が止まるような心地を味わった。
手紙の中には、
「生贄として旅立ったはずのアーシャが勝手な行動を取っているせいで、精霊たちの怒りを買い王国中が大変なことになっている。このままでは、精霊たちの怒りを鎮めるために巫女たちを新たな生贄を捧げなければならない。元凶であるアーシャは責任を取り、今すぐに王国へ戻ること――」
……と、信じられないようなことが書いてあったのだ。
『そんなのおかしいよ! アーシャが生きてるからって精霊たちが怒るわけないじゃん!』
『事実誤認……』
『勘違いも甚だしいですわね、やはり燃やして忘れるべきですわ』
『よっしゃ、任せろ!』
「待ってください!」
手紙を燃やそうとする精霊たちを、アーシャは慌てて押しとどめた。
手紙の内容は、正直言って理解できなかった。
アレグリア王国はアーシャを追放したが、新たな聖女であるカティアを迎え、繁栄を迎えているはずなのに。
(なのにどうして、こんなことになってるの……)
いったい何があったのだろうか。それに……巫女たちを生贄にするなんて、信じられない暴虐だ。
アーシャにとって神殿の巫女たちは、共に育った仲間だ。
生贄というのはアーシャのように魔族の地へ追放するのか、それとも……。
(精霊の怒りを鎮めるためといったら……川の中に沈められたり、生きたまま炎に投げ入れられることだって……!)
その光景を想像し、全身の血の気が引いた。
「……戻ります。戻って誤解を解かなきゃ」
『アーシャ! あんな奴らほっとけばいいだろ!』
「放ってなんておけません! 私のせいで大変なことになっているなら、なんとかしないと――」
『はぁ……アーシャは本当にお人よしですのね。まぁ、そこがいいところなのですけど』
急いで荷造りを始めるアーシャたちを横目に、精霊たちはやれやれと肩をすくめている。
ある程度の荷物をまとめると、アーシャはルキアスの事態を知らせようと部屋の外へ出ようとした。
だが、ドアノブに手を掛けた途端にふと思いとどまる。
(あんまり、魔王様に心配はかけたくないな……)
アーシャの不始末で、あまり彼を煩わせたくはない。
それに、おそらくアレグリア王国には彼の想い人がいるのだ。
彼が想い人の危機に昔の凶暴さを取り戻し、アレグリア王国に攻め入ったりしたら……。
(全面戦争……それだけは避けないと!)
なんとか迅速に王国に戻り、事態を収拾しなければ。
そして、またすぐに戻ってこよう。
そうすれば問題ないはずだ。
(うん、みんな……私がいなくても大丈夫だよね……)
収穫祭の時の、バルドやプリムの晴れやかな顔を思い出す。
しばらくアーシャがいなくなっても、彼らは大丈夫だろう。
そう考えると胸が痛んだが……それに気づかない振りをして、アーシャは部屋の中へ戻り簡単な走り書きを残した。
――「珍しいキノコの話を聞いたので、ちょっと獲りに行ってきます。しばらく留守にしますが心配しないでください」
「よし、これで大丈夫!」
部屋を出たアーシャは、誰にも見つからないように外へ出て、ポチを呼び出す。
そしてポチの背に乗り、国境へ向かって駆け出した。
……これが、王太子セルマンの仕向けた罠だとは少しも思わずに。




