59 魔王様の過去
盛況のまま、収穫祭は幕を閉じた。
『アーシャ、ずいぶんたくさん食べていましたけどお腹を壊してはいませんか?』
「大丈夫ですよ、まだ腹八分目です」
『胃袋ブラックホールじゃん』
「ふふふ、まだまだいけますよ……!」
精霊たちとおしゃべりしながら自室へ戻ってきたアーシャは、部屋の前に誰かがいるのを見て一瞬身構えた。
だがよくよく見れば、人影はアーシャのよく知る者ではないか。
「あれ、ファズマさんどうしたんですか?」
壁に背を預け、仏頂面で腕組みしながら待っていたのは、(一人しかいない)四天王の一人、ファズマだった。
首をかしげるアーシャに、ファズマは少々言い出しにくそうに口を開く。
「……聖女様に、少しお話が」
「……? わかりました、中へどうぞ」
「いえっ! いくらなんでも、年頃の女性……それも、魔王陛下の婚約者の部屋に入ることはできませんので」
アーシャはずかずかと何度も彼の部屋にお邪魔してしまったが、ファズマの方はそういう一線は引いているようだ。
「手短に済ませますので、ここで構いません」
ファズマは普段のピリピリした態度が嘘のように、静かにそう告げた。
彼のいつにない雰囲気に宛てられたように、アーシャもごくりと唾を飲む。
「……本当は、黙っていようと思っていました。真実を知ったところであなたがどうなろうと、私には関係ない。ですが……それでは少し、フェアではないと思いまして」
「……ファズマさんは、何か私に不都合な真実を知っているということですか」
「不都合かどうかはわかりませんが、場合によってはあなたは傷つくかもしれませんね」
『なによ、まだるっこしいわね。さっさと口割りなさいよ!』
『しっ、静かになさい』
しびれを切らして文句を言い始めたアクアは、即座にウィンディアに大人しくさせられた。
ちらりと彼らに視線をやってから、アーシャはファズマの言葉の続きを促した。
「……教えてください、ファズマさん。たとえどんな話でも、私は知りたいと思います」
そう告げると、ファズマはアーシャから視線を外した。
……まるで、これから自分が告げる言葉で、アーシャを傷つけることを恐れているかのように。
「これからお話しするのは、魔王陛下のことです」
「魔王様の……」
「もう十年以上も前になりますが……魔王陛下が平定するまで、この地は種族同士で争い続ける修羅の地でした」
「……はい、その話は聞いています」
血で血を洗う戦いが繰り広げられ、強い者しか生き残れなかった。
バルドやプリムから、断片的にその時代の話は聞いていた。
「魔王陛下……ルキアス様は、夜魔族の長筋にあたる御方です。その鬼神のごとく強さで、敵対する勢力を次々と葬っていました。まるで退屈しのぎのように」
「退屈しのぎ……?」
「えぇ、魔王陛下は最初からこの地に平和をもたらそうとしていたわけではありません。むしろ、私の目からは破壊を楽しんでいるように見えたものです」
「そんな……」
ルキアスの優しい視線が蘇る。
そんなわけがない、と反論したかった。
だが、アーシャの脳裏にバルドやプリムの言葉が蘇る。
彼らは、昔のルキアスはもっと荒れていて、恐ろしい存在だと口にしていた。聞いた時は信じられなかったが、今のファズマの話が本当だとすれば、彼らの態度や言葉にも納得がいく。
(魔王様は、本当に皆に恐れられるような存在だったんだ……)
「彼が通った道には血の雨が降る……なんて恐れられていましたね。かつての私は無謀にも彼に挑み、そして完膚なきまでに負けた。そこで殺されても恐ろしくはなかったのですが、何の気まぐれか魔王陛下は私にとどめを刺さず、私は彼の配下となることを許された……。一歩間違えれば、私は彼に殺され今この場にいることもなかったでしょう」
「そんな……」
「では聖女様、そんな彼が……どうして今のように争いを終わらせ、王の座についたのだと思いますか?」
そう問いかけるファズマの視線には、どこかアーシャを気遣うような色が含まれていた。
彼の瞳に映る自分は、そんなにひどい顔をしているのだろうか。
気を落ち着けるように息を吸い、アーシャはなんとか言葉を絞り出す。




