40 私が一肌脱ぎましょう
「大丈夫、私は正気です。えっと、プリムさん。つまりプリムさんは、私を倒して魔王様の婚約者の座に戻る予定は――」
「まったくないよ」
「あらら」
これは想定外だ。てっきりアーシャにキャットファイトを仕掛けてくるかと思ったプリムは、最初から戦う気なんてなかったようである。
(あれ、でも……)
――「今すぐその聖女とやらをここに呼びなさい。身の程知らずの泥棒猫に焼きを入れてやるのよ!」
――「魔王様はうちのお嬢との婚約を無視して、人間の聖女を迎え入れたのよ!」
――「ほら、来なさいプリム。あんたも言ってやんな! 聖女だか何だか知らないけど、人の物を奪った薄汚い泥棒だってね!」
プリムと一緒にいた者たちは、殺意がみなぎっていた。
……もしかして、彼女たちとプリムの間には意見の相違があるのだろうか。
「私もプリムさんと事を構えなくて良いのは安心しますが……それで、他の方は納得されますか?」
そう問いかけると、プリムの肩がびくりと跳ねる。
やはり、なにやら問題がありそうだ。
困ったように眉根を寄せたプリムは、おずおずと口を開く。
「……私は、聖女様と戦う気も魔王陛下の妃になるつもりもない。でも、夢魔族の皆は……私を魔王陛下の婚約者に戻そうとしてるの」
「それは大変ですね……」
「魔王の妃になれば、夢魔族の地位は向上するからね。今日だって皆に聖女様をボコボコにして立場をわからせてやれって言われたけど、そんなことできないし……」
プリムの縋るような視線がアーシャを捕らえる。
「このまま帰ったら、長の孫の癖に役立たずの腰抜けだって失望されちゃう……!」
プリムはもはや半泣きになっている。どうやら外にいた女性たちはプリムにとってよほど恐ろしい存在のようだ。
《うわ~、魔族も大変なんだねぇ》
《権力闘争、面倒……》
《なんか可哀そうだな》
《この子が魔王の婚約者に戻ればアーシャは魔の手から解放されると思ったのに……残念ですわ》
そんな精霊たちの雑談を聞きながら、アーシャはプリムを元気づけようとそっと彼女の手を握った。
「元気を出してください、プリムさん。私にできることならなんでもお手伝いしますよ」
「なん、でも……?」
プリムの目に光が灯る。次の瞬間、彼女はがしりとアーシャの手を強く握った。
「お願い、聖女様。私に協力して!!」
「私にできることでしたら、喜んで」
「うぅ、なんでそんなに優しいの……。魔王陛下にいいように騙されたりしてない?」
「大丈夫ですよ、ちゃんと大切にしていただいてます」
アーシャがにっこり笑うと、プリムは不可解だというように表情を歪めた。
「信じられない……。私の知ってる魔王陛下って、超強いし、近づいただけで殺気放って来るし、顔怖いし、誰かを大切にするようには思えないのに……」
アーシャの知るルキアス像とはまったく真逆の印象の数々に、アーシャは思わず目を丸くしてしまった。
(昔の魔王様って、そんなに危ない御方だったんでしょうか……)
彼はいつもアーシャに優しい。だが、プリムのようにルキアスをひたすら恐れている者が大勢いるのも事実だ。
いったい彼に何があったのだろう……と飛びかけた思考は、プリムの声に現実に引き戻される。
「聖女様には、皆の前で一芝居打ってほしいの」
「芝居ですか? 私にできるでしょうか……」
「えっと、こういう内容なんだけど……」
誰かに盗み聞きされることを警戒したのか、プリムがこしょこしょと耳打ちしてくる。
その内容に、アーシャは大きく目を見開いた。
「えっ、そんなことしちゃうんですか?」
「うん、こうすればとりあえずは丸く収まるはずだから!」
……正直に言えば、少し抵抗感はある。
だがぶるぶる震えながら縋るように瞳を揺らしているプリムを見ていると、断るなんて選択肢は浮かんでこなかった。
「わかりました。プリムさんのために一肌脱ぎましょう!」
「ありがとう、聖女様!」
「アーシャでいいですよ。普段からそう呼んでいた方が自然でしょう?」
これからの演技では、プリムがアーシャのことを「聖女様」なんて呼ぶことは許されない。
なのでそう提案すると、プリムは驚いたように目を丸くした後……少し照れたようにはにかんだ。
「……うん、ありがとう。アーシャ」




