38 そのころの王太子殿下は~破滅の足音~
「殿下、また魔獣の侵入報告が!」
「このままではいくつもの集落が壊滅します!」
「早く聖女様に結界を――」
「うるさい! 何としてでも持ちこたえろと指示しろ!!」
そう怒鳴り散らし、セルマンは助けを求める声を無視して王城を後にした。
……聖女交代以降、王国の状況は危機的だ。
各所で自然災害が起こり、甚大な被害をもたらしている。
更には国を守る結界を越えて、魔獣が侵入してきている始末。
(アーシャめ……! あいつが呪いをかけていったに違いない!)
この事態はすべて、アーシャがこの国を去ってから始まった。
きっと彼女は不相応にも、聖女の座を奪われたことを恨み、この国になんらかの呪いをかけたのだろう。
(そうだ。聖女なんてただのお飾りの役職だ。結界なんて誰にでも張れる。尊き血を継ぐカティアが、あんな平民女に劣っているはずがない……!)
だが、アーシャの悪行に気づいているのはセルマンただ一人。
城の重鎮たちは、無理に聖女を交代させたからこの事態を招いたなどと世迷言をほざく始末。
(馬鹿馬鹿しい。そうやっていいように神殿に操られているからこんなことになるんだ! 必ずや俺がこの国の歪みを正してやる……!)
代々神殿は自分たちの息のかかった女を聖女に選び、王妃の座に据え国を操って来た。
だが、いったい彼らにどれほどの力があるというのだろうか。
聖女なんてただの名誉職でしかない。アーシャを聖女の座から引きずり落とし、カティアをその座に据えたから精霊たちの怒りを買ったなどと、そんなことがあるはずがないのだ……!
「カティア! 無事か!?」
神殿へたどり着いたセルマンは、「祈りの間」の扉を開く。
中にいたカティアが、憔悴した表情で振り返る。
「セルマン様……!」
「こんなところに閉じ込められて……もう少しの辛抱だ、カティア」
聖女の祈りなど、何の意味もないただのポーズだ。
だというのに、神殿の上層部や国の重鎮たちはしきりにカティアに祈らせるようにとプレッシャーを与えてくる。
本当はセルマンとて、愛する者をこんな何の面白みもない場所に閉じ込めたくはない。
だが「何の力もない聖女」のレッテルを張られ傷つくのはカティアだ。
仕方なく、セルマンはカティアに形だけでも祈りを捧げるようにと頼んでいた。
(くそっ、アーシャさえ大人しくしていればすべてがうまくいったのに……!)
あの女が生意気にもこの国に呪いをかけたせいで、セルマンもカティアもこんなに苦しんでいる。
カティアを抱きしめながら、セルマンは歯噛みした。
(一刻も早くこの事態を収め、カティアこそが俺の妃にふさわしいと認めさせなければ……)
そう誓った時だった。
「王子殿下! すぐに王城にお戻りください!」
祈りの間の扉が開き、無粋な声が飛び込んでくる。
恋人との時間を邪魔され、セルマンは舌打ちした。
「おい、誰の許可を経て聖女の祈りを邪魔している? これで更なる被害がもたらされたら貴様は責任を取れるのか?」
「ヒッ! し、しかし……国王陛下がお戻りになられました!」
「父上が!?」
国を空けていた父王が帰国したと聞いて、セルマンは驚きに目を見開いた。
父の帰国はもっと先の話だと聞いていたが……もしや今の事態を聞きつけたのだろうか。
だったら、しっかりとアーシャの罪状を伝え、しかるべき対処をしなければ。
「仕方ない。私は少し外すが、すぐに戻ってくる。息苦しい思いをさせて済まないな、カティア」
「い、いえ……殿下のお戻りをお待ちしておりますわ」
再びカティアの体を抱きしめたセルマンは、彼女の表情が青ざめていることに気づいていなかった。
「どこをほっつき歩いていた、この馬鹿者がっ!」
王城に帰り着いたセルマンを出迎えたのは、怒りに顔を真っ赤にした父王の叱責だった。
彼はセルマンの姿を見つけた途端、ものすごい剣幕で胸倉をつかんできたではないか。
「いったいなんなのですか、父上!」
「お前はっ……まだ自分が何をしたかわかっていないのか!?」
父は怒りの形相でそうまくしたて、その背後では母である王妃が顔を真っ青にしていた。
(まったく……父上も母上も神殿の世迷言に騙されているのか?)
「お言葉ですが父上、この事態を招いたのはすべて前聖女であるアーシャです。彼女のせいで、我が国は危機的な状況を迎えていますが、カティアのおかげで何とか持ちこたえているのですよ」
しごく真剣にそう説明すると、父王は胸倉をつかむ手を緩め、大きく目を見開いた。
やっとセルマンやカティアに非がないことを理解してもらえたのかと思ったが、次の瞬間父はがくりとその場に崩れ落ちたのだ。
「私は……どうやら育て方を間違えていたようだな」
父が力なく呟いた言葉に、セルマンはムッとしてしまった。
「いったい何が間違っているというのです、父上。私はこの国のためを思って――」
「よく聞け、セルマン。この国は古くから、精霊の加護に守られてきた。豊かな自然も、魔獣の侵入を許さない強固な結界も、精霊の力あってのものだ。それはわかるな?」
セルマンは頷いた。
そうだ。この国は昔から精霊に愛され、精霊の加護を得て繫栄してきたのだ。
アーシャが余計なことをしなければ、何もしなくとも安泰だったのに――。
「精霊はこの国を守っている。それは……我々が精霊の愛し子に『聖女』という座を与え、厚遇し、王の妃として懐に迎え入れているからにすぎない。精霊はこの国を愛しているから守っているのではない。愛し子である聖女がこの国を愛しているから、聖女が妃となり国を守る義務を負っているから、聖女のために守護しているにすぎないのだ」
何度も何度もセルマンに言い聞かせるように、父王は告げた。
「よく聞くのだ、セルマンよ。精霊が愛しているのは愛し子であってこの国ではない。すなわち……もしも愛し子――聖女がこの国を捨てた時は、精霊たちもこの国を捨て、すべてが崩れ去ってしまうのだ……!」
父王が慟哭する様を、セルマンは呆然と見つめることしかできなかった。
 




