33 いきなり刺激が強すぎます
仄かに窓から差し込む月明かりを頼りに、アーシャは静かに魔王城の螺旋階段を上っていく。
目的地は最上階――魔王陛下の私室だ。
魔王城には夜行性の魔族も多いと聞くが、さすがに最上階まで来るとあたりは静寂に包まれている。皆、ルキアスを畏怖し無意味に私室に近づくような真似はしないのだろう。
コツコツと軽い足音を立てながら、アーシャは一歩一歩ゆっくりと足を進めた。
――「今夜、就寝前に俺の部屋へ来てくれ」
晩餐の場でルキアスにそう言われた後、アーシャは散々悩んで唸ってベッドの上をゴロンゴロンした挙句に……結局彼の言うとおりに部屋を訪れることにしたのだ。
《アーシャ、無理に行く必要なんてないんだぞ!?》
《そうですわ! 夜中に淑女を部屋に呼ぶなんて、ろくな男ではありませんもの! いいですか、教えた通りあの男が何か仕掛けてきたら、即座に急所を狙って――》
「ま、魔王様にそんな意図はありませんよ……! きっと何か、他者に聞かれたくない大事なお話があるんでしょう」
フレアとウィンディアはアーシャがルキアスのもとに行くことに大反対で、今もぎゃんぎゃんとやかましく喚いている。
世俗に疎いアーシャとて、彼らの懸念はわかる。
だがアーシャにはどうしても、ルキアスがそのような意図でアーシャを呼びつけたとは思えなかった。
(そう、きっとただ事務的なお話をしたかっただけで……)
はやる鼓動を落ち着かせようとそう自分に言い聞かせているうちに、ルキアスの私室の目の前までたどり着いてしまった。
左右にガーゴイル像の飾られた物々しい扉を、おっかなびっくりアーシャはノックした。
すぐに、ゴゴゴ……と重い音を立てて扉が左右に開く。
その向こうにも真紅の絨毯が敷かれた廊下が続いており、魔王の私室に続いているようだ。
《全自動じゃん、便利……》
《でもさぁ、部屋の前にガーゴイル像があるとかリラックスできなくない?》
そんな精霊たちの駄弁りを聞きながら、おそるおそるルキアスの私室へと足を踏み入れる。
だが――。
《うぉっ!?》
《ちょっと、どうなってるんですの!? 入れませんわ!》
「えっ!?」
どうやら部屋の入口に、精霊たちを阻む結界が貼ってあったようだ。
フレアとウィンディアはイラついたように結界を殴ったり蹴り飛ばしたりしているが、びくともしない。それどころか、再びゴゴゴ……と音を立て扉が閉まり始めてしまった。
《おい、アーシャ!》
《危険ですわ、すぐに戻って――》
《今戻るのは、逆に危険。挟まる……》
《頑張ってね~》
「……閉まっちゃった」
ぴっちりと扉が閉まり、精霊たちの姿も見えなくなる。
そういえば最初に会った時も、魔王ルキアスはアーシャの守護精霊を吹っ飛ばしたのだった。
魔王という立場もなかなか複雑そうである。暗殺などを防ぐために、こういった結界を貼っているのかもしれない。
だが、そのおかげでいよいよアーシャは一人でルキアスと対峙しなくては行けなくなってしまった。
(いやいや、大丈夫、大丈夫……)
精霊たちと離れて急に不安が押し寄せたが、ここまで来ておめおめと逃げ帰るわけにはいかない。
意を決して、アーシャは真紅の絨毯を踏みしめ廊下を進んだ。
廊下の突き当りにあるのは……ガーゴイル像に挟まれた重々しい扉とは打って変わって、木製のシンプルな扉だった。
アーシャは気を落ち着かせるように、何度か深呼吸を繰り返す。
そして、覚悟を決めて扉を叩こうとしたが――。
「よく来てくれたな」
「ひぇっ!」
アーシャの拳が扉に触れる直前、向こうから扉が開いたので素っ頓狂な声を上げてしまった。
そんなアーシャを見て、扉の向こうの人物――魔王ルキアスはくすりと笑う。
「入ってくれ」
「お、お邪魔します……?」
いよいよ私室の中に足を踏み入れ、アーシャは驚いてしまった。
円形の形をしたその部屋は……意外にもシンプルだったのだ。
真っ先に目を引くのが、部屋の中央に置かれた真っ黒な天蓋付きのベッドだ。
だがそれ以外には、簡素なテーブルとイス、小さなソファと棚が置いてあるくらいで、これなら前に訪れたファズマの私室の方がよほど凝っているくらいだ。
「なんていうか……思ったよりも慎ましい生活をされているんですね……」
「別に困らないからな。もっと広い部屋を使えと言われたこともあるが、使い勝手が悪そうなので断った」
「あはは……」
魔王という立場に似合わない庶民的感覚に、アーシャは思わず笑ってしまった。
だが、平民育ちのアーシャからすればその方が親しみが持てるのも事実だ。
(確かに……広すぎる部屋って掃除とか大変そうですもんね)
まぁ彼の場合は自分ではなくモフクマたちが掃除をするのだろうが……やはり大変なのは大変だろう。
くすくす笑うアーシャに、ルキアスは穏やかな目を向けている。
「さて、君をここに呼んだ理由だが――」
いよいよ本題に入りそうなので、アーシャは慌てて真面目な表情を作り、背筋を伸ばした。
さて、どんな真剣な話が飛び出すかと思いきや――。
「君と、一緒に寝たい」
「…………へ?」
そこからの記憶は、曖昧だ。




