「兄弟の、心の距離。」
あの後口数の少なくなった義兄が気になりつつもこれからの話しを家族で進める。
ライネル先生の話だと今日一日は入院し絶対安静でいるようにとの事だった。処方されたポーションも経口での摂取がしっかり出来るので明日の午後まで様子を見て問題なければその後退院という運びになった。
家の事何にも出来なくてごめんなさい。と言うと皆んな大丈夫と答えてくれた。
洗濯は明日するからね。と言うと少し怖い目をした義父さんに今は休むのが大事だ。と嗜められる。
そんな、今日だって義父さんと義兄は仕事を休んで来ているのだ。流石にこれ以上迷惑は掛けられない。
僕は申し訳なさと罪悪感で言葉を返せずに俯く。すると義兄が今日はここに泊まって行くと言い出した。
「ノアは一人で居ると勝手に仕事するだろ。
今日は俺が見てる。」
「いやいや、流石にしないって。
あ、仕事はしないからニールさんへ手紙を届けて欲しいの。あとフィリの新しい洋服の裾直しもしておきた「ノア。」
………それも駄目ですか。
仕事じゃないと思ったんだけどな〜、駄目か。
僕の発言に呆れたような視線を向ける義兄。
フィリも困ったように僕達の顔を見比べ義父さんの手をぎゅっと握る。
義父さんは苦笑を浮かべると口を開いた。
「ノア、そういう事も含めて今は休む時だ。
………会った事はない筈なのにね。お前はアミに似たのかな。」
「お義母さんに?」
「あぁ、アミもそうしていつも働いて身体を休めようとしなかった。
そんな勤勉な所も好きだったけど苦労をさせるつもりは無かったからいつも私が休むように言う役だったよ。」
そう思い出しながら笑う義父さんは懐かしそうに目を細める。
お義母さんと結婚する為に身を粉にして努力した義父さんにそこまで言わせるって……もしかして僕もお義母さんみたいにワーカーホリックだと、思われてます??
うん。これは何もしちゃいけない奴だ。
僕は今日は休日。何もしないでゴロゴロして良い日。
……神様からもお墨付きを貰ったのだから休んで良い、筈。
家の事は心配しないで。と念を押されテナー商会に伝えてくれるという義父さんとフィリを見送り漸く僕はベッドに身を預ける。
ベッド脇に置かれた椅子に座った義兄は僕の枕元に顔を寄せた。
「……ごめん。お前が疲れてるの気付いてたのに、頑張ってるお前を止めるのは駄目な気がして……」
「ううん、僕の体調管理が疎かだった所為だよ。………今日は心配掛けて本当にごめんね。」
そう言い僕よりも痛ましい顔をしている義兄にくすりと笑みが溢れ、頬に手を伸ばす。温かい頬に触れむにむにと弄っているとその手を彼がそっと掴んだ。
「………なぁノア。お前は将来どうしたいんだ。」
「ん?将来?」
「……どうして誰とも結婚しないんだ。」
その言葉に息が詰まった。
怖いくらい静かに問い掛けてくる義兄のその言葉に何も言えずに義兄の顔をまじまじと見つめる。此方を見つめ返してくる義兄の顔を見てさっきの会話を思い出した。
………聞かれていたのか。耳の良い義兄だけれど、あんな物音で掻き消える位小さな呟きも聞こえていたなんて。
「………だって、こんな身体じゃ誰も受け入れてくれないでしょ?」
「なんでそう決めつける。」
「だって………」
咄嗟に口から出た言葉に義兄はすぐに切り返してくる。
………違う、それだけじゃない。この身体の事も確かにそうだが、僕はこの世界に生まれる前から決めているのだ。
………誰とも情を交わさない、と。絶対に同じ過ちは繰り返さない。同じに成り下がるつもりは毛頭ない。
僕はこの世界で得た大事な家族と友人を傷付けたりはしない。
この幸福を、穏やかな日常を大切にする為に。
「……僕は誰とも結婚しない。そう決めたの。」
そう言い目を逸らした僕の手をぎゅっと握り義兄が言い募る。
「それじゃあ将来、お前は一人で居るつもりか。何時か俺たちとも離れて。」
「僕から離れたりしないよ。だって離れて行くのは…………」
ーー家族だから。
◇◇◇◇◇
いつも優しく見つめてくる透き通るような月白の瞳が深く昏い色に染まっていくのを見て次に投げかけようとした言葉を詰まらせた。
昏く翳る瞳が此方を見ていない事に気付き縋るように繋いだ手に力を込める。
「……辛い事があったら、頼れ。」
心からの言葉だった。
いつも家族の事を気に掛けて誰より努力している自身の大事な人は決して自分から頼ろうとはしない。
しっかり者なのに少し抜けていて、泣き虫で実は甘えん坊で、俺からの好意を嬉しく思っているのにいつも何処か哀しそうにしている人。
俺が側に居たいと思っているのと同じ位、本当は一緒に居られる事を心から願っている寂しい人。
人より優れているらしい自身の五感は大事な人の感情の機微を事細かに伝えて来る。
始めは人と違う事に気付かず周囲に何の疑いもなく話していたが、それが異常である事を知ったのは気味悪がられ拒絶されてからだった。
それ以来、極力他人と話す事を避けた。
何も言わなくても、聞かなくても、俺にはその匂いで、声音で、仕草で感情が嫌でも伝わって来る。
こんなもの欲しくはなかった。けれどこの町で得た養父は俺の個性であり長所だと褒めてくれた。苦痛を労り、苦悩を少しでも和らげようと心を傾けてくれて。
この身体と上手く付き合えるよう診療所へも通わせてくれた。
幼い頃から側に居る義妹は凄いね!と純粋な尊敬と親愛を伝えてくれてまた救われる思いがした。
何より初めて会った時から心に刻み込まれた愛しい存在ーーノアの心根はとても優しかった。
小さな身体で直向きに伝えて来る思慕と慈しみの心がとても心地良く、揶揄えば一杯いっぱいになって恥ずかしがる初心な反応に胸が満たされて。
初めて会ったあの日から心に生まれた愛情は日に日に大きくなるばかりだ。本人にとっては劣等感の原因である性別については正直、何方でも良かった。
何方でも受け入れる自信があるし、何方でなくとも構わない。ノアはノアのままだから。
その心根と性質は何も変わりはしないから。
……俺の仕事終わりの夜、愛情を刻むように触れた翌朝に時折一人で泣いているのも知っていた。
俺を受け入れてくれたように俺の想いも受け入れて欲しい。俺はどんなノアでも愛せるから。
けれど、触れた後に伝わって来る感情は哀しみに溢れていた。
そうして心配させないように笑顔を向けるのだ。
「お兄ちゃん、大好きだよ。」
と。義理とは言え兄弟でする行為では無いのだと、自分が一番理解しているのに。
自分を誤魔化すように繰り返し言うのだ。泣いた痕を隠すように。
それがノアとして生まれる前の記憶が由来している事だとは流石に気付いた。
だが、何に怯えて臆病になっているのかが分からない。
前世の事はあまり語りたがらない様子だった。何度か聞いてはみたが、以前の名前すら誤魔化して言おうとはしなかった。
いつも、そうだ。ノアは何も言わないでいつも笑顔を浮かべて見せる。
決して強い訳ではないのに、強がりだけは気丈に続けて。
ーー苦しみを共有しようとは、決してしない。




