「夢、紅。」
ーーー夢を見ている。
深く沈み散った意識を少しずつ集めるように段々と夢の中で覚醒していく。ぼんやりと揺らぐ思考の中、何時か見た哀しい夢を思い出す。
……曼珠沙華、と夢の中で呟いた途端目の前に現れる紅の波。
懐かしい光景に思わず目を細める。
今はもう二度と見られない故郷の田園風景。
僕は、この景色が大好きだった。
静かに、だが凛と花弁を開き身を寄せ合う曼珠沙華がとても綺麗で。視界いっぱいに広がる艶やかな紅が鮮烈で。
………自分もその中に居るのだと只漠然と信じていた。
小さくとも、他より頼りなくともその中で同じように何時か大きく花開くのだと信じて疑いもしなかった。
……幼子の童心は時に盲目的なまでに愚かだ。
始めからその中に居はしなかったのに。
生まれた時からずっと身近な人達を、周囲を、自分自身ですら騙していたのに。
そんな事知りもしないで愚かに、無邪気に、只笑っていた。
ーーー穢れた色を身に纏って。
◇◇◇◇◇
「…………」
ーー最悪な夢から目を覚ました。
暫く起き上がる気力も起きず、天井をぼんやり見つめたままぼ〜っと寝起きの思考に耽る。
………もう見ないと思っていたのに。
未だに僕はあの事をずるずると引き摺っているのか。今更どうにもなりはしないのに。
もう、全て諦め手放した事なのに。
そこまで考え、思わず自嘲の笑みが溢れた。
自身の吐き捨てた声が思ったよりも冷たくて自分で自分に少し驚く。
するとその声に気付いたのか、隣で眠っていた義兄が目を覚ました。
「……んぅ…ノア、どうした」
「………何でもないよ。ただ、少し嫌な夢を見ちゃっただけ」
「………そうか。」
そう言いぎゅうと僕を抱き寄せる彼。もう反対側に居るフィリは未だ夢の中から起きては来ない。
僕のあの声を聞かれなくて良かった、と何故か酷くそう思った。
それと、義兄には聞かれてしまった後ろめたさ。
夢の事なんて忘れようと思う程、頭の中にこびりついて消えてくれない。久しく感じていなかった強烈な不安感と虚しさに襲われ自身を包む義兄に縋るように抱き着いた。
いつもより強く抱き着く僕に、しかし何も言わずに優しく頭を撫でてくれる義兄。
…………なんだか無償に泣きたくなった。
「……お前は一人じゃないから。辛いことがあったら頼れ。」
寝起きの少し掠れた声でそう言う義兄に何も言えず、彼の胸に顔を埋め返事を誤魔化す。
義兄の落ち着いた鼓動を感じて僕は一人ではないのだと安堵が胸を満たし始める。
しかし未だに燻り続ける虚無感と恐怖すら感じる不安感は胸の内から消え去ってくれない。
……もう、今更どうしようもない事なのだ。
時折発作のようにこうして胸を襲う過去の傷に、僕は諦めと希望を示す事で毎回押さえ込んで来た。
僕にはあの人達が居る。今更もう思い出させないで。と
生きる意味は、もうあの時定めたから。
生まれた意味なんて反吐が出そうな程考えたくもない事だった。
………それなのに、僕はこうして別の人間としてまた生まれ落ちた。
あの時の記憶も感情も持ったままで。葛藤も、哀しみも、痛みも抱えたままで。
中途半端な存在として、今度はそれが身体にも現れて。
……………僕はどちらの性にも、なりたくない。
男にも、女にも、どちらにもなりたくない。絶対に同じ過ちは繰り返さない。
僕は誰とも愛情を育みは、しない。
幼く愚かな子供を卒業したらもう義兄とはこうして抱きしめ合う事も少なくなるだろう。
……いつか彼の隣に現れるちゃんとした女性がその愛情を受け取るのだから。
ーー義兄にありがとう、と言い身体を離して貰う。
そろそろ朝の準備を進めなくては。今日は見習いの仕事があるし帰って来たら組紐を編んでおかないと。
昨日は遅くまで書類作成を進めていたから寝不足だな。
重く怠い頭と身体をのそりと起こし目元を擦る。義兄ももう起きる事にしたらしく身体を起こした。
疲れているのかな。最近、商会に勉強に見習いの仕事にと忙しくてゆっくりする時間があまり取れなかった気がする。
だからあんな嫌な夢を見たのだろう。
そう思いベッドから降りようとした途端、目の前がぐらりと揺れた。
力が入らない足は身体を上手く支えられず、重力に従い落ちて行く。
倒れる。と覚悟した瞬間後ろから何かが身体を支える感覚がして僕の身体は糸が切れたようにカクン、と傾いだ。
「っノア!大丈夫か!」
すぐ近くから聞こえる義兄の声に後ろから抱き留めて貰ったのだと認識する。
ありがとう、と言おうとしたが口からは声にもならない息が漏れただけだった。
嘘、今が大切な時期なのにこんな……しっかりしてよ僕の身体。
けれど視界は段々と黒色に染まり始めそのまま僕の意識は真っ暗な闇に落ちていったーーーー




