「老紳士。」
あれからカフェを出た僕達はニールさんと別れ家路に着いていた。
心もお腹も一杯になってしまった僕は右手を義兄と、左手を義妹と繋ぎながら静かに歩く。ご機嫌なフィリに繋いだ腕を大きく振られながら大通りで別れたニールさんの姿を思い出す。
「今日はご一緒出来て良かったです。
では、此方は持ち帰り家族と相談してみますね。」
「はい。今日は本当にありがとうございました。宜しくお願いします。」
優しい笑顔で僕達へ手を振ってくれたニールさんがその足ですぐテナー商会へ向かったのは想像に容易い。きっと今頃はウォルターさんと草案についてあれこれ話し合ってくれている筈だ。
そんな事を考えているとニコニコ笑顔のフィリがとびきり可愛い顔を僕へ向け口を開いた。
「今日は楽しかったね、ノア兄!」
「そうだね。食事の席でお仕事の話をしちゃってごめんね。トルテ美味しかった?」
「うん!」
「なら良かった。お兄ちゃんもまた今度一緒に行こうよ」
「そうだな。今度はちゃんと俺の膝に乗せるからな」
「いや、今日はニールさんが優しかったから良かっただけでやっぱり公共の場であれは……」
「じゃあ見られないようにまた個室で予約しておくか」
「……………。」
……お兄ちゃんは本当にブレないね。
この分だと膝乗せ&あ〜んは決定事項か………まぁ身内だけなら問題ない、かなぁ……???
あんまり度が過ぎれば義父さんも止めてくれるだろうし僕も嫌な訳じゃないから良いけど……恥ずかしいものは恥ずかしいのです。
「ディル兄、外であんまりノア兄を困らせちゃダメだよ?」
「……嫌がる事はしない」
それって恥ずかしい事はするって意味ですよね??
どうしよう、そのうち外で僕に触れてたいとか言い出してお兄ちゃんが擽りをし始めたら。
最近フィリも面白がって擽ってくるようになったから僕はいつか笑い死にそうで怖いです……。
なんてお喋りをしているとあっという間に家に着いた。
義父さんは出勤日なのでまだ帰って来ていない。外に置いてあるカモフラージュ用の魔石がちゃんと発動しているのを確認してピケゲートを開き前庭に入る。
春の終わりに差し掛かった今、沈丁花の花はもう散ってしまっている。けれど庭に植えたハーブがそれぞれに庭を彩っていた。
風に揺られ優しい香りを運ぶハーブの合間を進み玄関の鍵を開ける。中へ入ると聖霊の皆んなが姿を現し「お帰り」と心に伝えて来てくれた。
フィリがカホちゃんを抱き締めて、ただいま〜!と嬉しそうな声を上げる。
ナギちゃんがお兄ちゃんの指に吸い付き、お帰りの挨拶をした。
僕は腕に舞い降りて来たハレくんの頭を撫でながら皆んなへ返事を返す。
「ふふ、ただいま皆んな」
◇◇◇◇◇
店舗契約も無事に済み大通りの入り口近くにコウトク商会は店を構える事となった。
ニールさんとの相談の結果、先ずは現在取引をしている顧客・店舗への商会設立の周知と挨拶を行いコウトク商会からの販売は再来月からを目処にスケジュールを組む事となった。
テナー商会に置いてある在庫の納品に加え、コウトク商会で雇った従業員への契約内容の詳しい説明と工場に配属される人達には柔軟剤等の配合を教えないといけない。
そうして万全の準備を整えた後、初夏に開店となれば避暑に訪れる人達の目にも留まりやすいだろうという意図もあった。
これが軌道に乗れば西側諸国での販路拡大も目指したいとニールさんは言っていた。
話を聞くとテナー商会の名で既に流行の国ヴァレルでも柔軟剤やハーバル化粧品を卸してみたらしい。
販売数自体は少なかったものの評判は概ね好評だという事だった。其方の販路の根回しも既に始めている。
忙しい日々を送っているが充実している毎日だ。
僕の存在は変わらず公表していない為、顔訳としてあちこちに出向いているニールさんの負担が凄い事になっているのだが本人は楽しそうな笑みすら浮かべて
「夢が叶って人生の中で一番燃えていますよ。」
と返してくれた。
その手で早速貴族向けの商品案内を作っていたニールさんを頼もしいと感じたのは記憶に新しい。
僕が冒険者見習いをしている事や魔法の勉強を続ける意志がある事も快く賛成してくれた。
流石にニールさんだけに負担を背負わせる訳にはいかないので挨拶の手紙や契約の書類作成等、表に出なくて済む作業は僕が任せて貰っている。
い、一応会頭だからね。まだ実感は湧かないけど……
そして今日はこの間申請していた融資が無事受理されたので役場へ細かい条件の確認に来た。
そう言えばこの間は商会設立に当たっての手続きを済ませたのだが、なんと担当者がファーザーさんだった。
あの人、本来は前世でいう所の住民課の担当の筈なんだけど……税務署の管轄に入って大丈夫なのだろうか??
受付の方がファーザーさんを見て驚いていたのが気になる………。
事前に商会設立の手続きをするのは伝えていたのだが商会の会頭が僕であるという事に驚いた様子は無かった。
ニールさんと義父さんから上手く役場へ説明をしてくれたらしい。
ファーザーさんとは赤ん坊の頃に初めて会ってから既に10年の月日が経っている。
壮年から老年に入った彼だが後5年は辞めるつもりはないのでどうぞ宜しく。と言われてしまった。
本当にこの世界の人達は逞しいというか……
今日の融資の件もファーザーさんが担当して下さるそうなので僕としても有難かった。
◇◇◇◇◇
「……では、支給は来月の頭からという事で。
商会名義の口座へ振り込みで宜しいですな?」
「はい、宜しくお願いします。」
難しいお話合いを一通り終えた僕はホッと息を吐いてテーブルに広げられた書類を皺を作らないように一つに纏める。この書類が融資受理の正式書類なので無くしたら大変だ。
今回発行された原本を役場と商会側でそれぞれ保管する事になる。これの控えも二部発行して貰い、ニールさんと僕とで把握できるようにして貰った。
お金の絡む契約はこの世界でも神経を使う。
こういう場は久し振りで長らく感覚を忘れていた。
前世での社会人経験が無かったら今日この日だけで話の全てを飲み込めなかったと思う。
隣に座るニールさんと互いにお疲れ様でした。と労っていると向かいに座るファーザーさんが面白そうに口を開いた。
「しかしグレイの倅……いや済まない。子供が商会設立とは、世の中何があるか分からないな」
「ファーザーさんは義父さんとは長い付き合いなんですか?」
「あぁ彼奴が若造の頃からの腐れ縁だよ。
彼奴の奥方がこの町の出身でね……私もその頃は王都にいたんだ。」
「王都ですか?」
「そうだ。そもそも彼奴が留学生としてソリュンテーゼから王立学園へやって来た時に文房具店に奉公していたアミーシャに一目惚れして………おっと、この話をした事はグレイには言わないでおくれ。」
「ふふ、はい。」
そう戯けたように話す義父さんとお義母さんとの馴れ初めに僕とニールさんは興味津々で耳を傾けたーーー




