「草案と名付け。」
僕の使う亜空間を驚いた様子で見つめたニールさんだったが、テーブルへ並べた書類に視線を向けるとおや?という顔をした。
「これは商会についての草案ですか?」
「はい。それと……商会の名前を考えておいて欲しい、と言っていたと思うのですが……」
「…これ全部名前の候補ですか?」
「……はい」
ニールさんが手に取った紙に踊る文字の列。そこには僕が考えた商会の名前が書き連ねられていた。
ーーダフテンド商会、クリンゲル商会、クライス商会………
その他にもラテン語の花からフロース商会、素晴らしい大地と言う意味のテラ・エメリタ商会等々……この国ではあまり馴染みのない名称も紙には綴られている。
そしてそれぞれの名称の下には看板に使えるようにロゴマークも幾つか描かれている。商品や看板にマークを描くようにすれば、一目でどの商会の品物か分かり易いと思ったのだ。
あの日家に帰ってからいろいろ候補を出してみたは良いが結局一つに絞れなかった。なのでニールさんに会える今日、相談してみようと書類に纏めてみた。
その他の書類には商会の運営に関する提案を幾つかの項目毎に纏めている。主に運営の基本理念の条項とテナー商会側で揃えて貰っている従業員の雇用条件等だ。
ここケルヴィナ国の法律は雇用主の立場が強い程、労働者に対しての補償が大きくなっている。地位が高い=王侯貴族やそれに連なる人々の元で勤めている人間も一定数いるからだ。
貴い方々に仕える為にはそれなり以上の教養と礼儀、技術が必要になってくる。
そういった人材はキャリアアップの機会が少ないこの世界では貴重な上に、それぞれの立場上の機密やプライバシーを悪戯に吹聴されないよう大事に扱っているという側面もある。
その分情報漏洩や横領、不正等が見つかった場合厳重な処分が下るらしいが……
なので悪徳貴族に乱暴に扱われる使用人という話は極々稀らしい。
逆に言えば小さな町工場や個人経営のお店等では簡単に職を失ってしまうリスクを抱えているという事だ。
僕はそういった事が自身の商会で起こらない為に前世の記憶を元に雇用契約の条件も併せてニールさんに見せたのだ。
いや義父さんに近隣諸国の法律や制度を教えて貰っているのだけれど、どの国も福利厚生の面が弱いんだよね〜……
法律に明記していないからどの国や組織も慣習やなぁなぁで済ませているケースが多いと言う話も聞いている。
そして被害を被る最たる存在が従業員……立場の弱い庶民だ。
出来るなら保険制度や失業手当等補償の明確化位はして欲しい………女性の社会進出もこの世界は職種毎にはっきり分かれてしまっているのだ。
これに関しては前世の世界を知っている僕からしたら考え方が固い&古い!の一言に尽きる。
……そりゃあ、前世でも色々と障害や対応すべき問題点は多々あったけれどここまで文化レベルが違うと思わず閉口してしまいそうになる……
良識ある人ならこの現状をどうにかしたいと思いますよね。
歯痒い思い・損を被る人が多数いる現状を自分の手で変えられる可能性があると来れば、歴代の愛し子の人々が積極的に動いたのも頷けるよ。
そんな愛し子の思想を受け継いでいる最たる組織が冒険者ギルドだ。
僕も見習いとして所属しているこの大規模組織は現在では大陸中に支部を構え、組織としての仕組みも民間発足の中ではトップクラスの運営を維持し続けている。
そんな冒険者ギルドも大昔に一人の愛し子が発足した自警団が発展した物らしい。その当時から組織としての形態や運営の仕組みは殆ど変わっていないそうなので、やはりこの世界にとって愛し子というのは発展・向上になくてはならない存在なのだろう。
誰もやらないなら、せめて自分の手の届く場所位、大切にしたい。
そんな僕の想いてんこ盛りな草案を思案顔で見つめるニールさん。義兄も難問を前にした時のようにジッと僕の置いた紙の一部を読み続けている。
フィリはまだ制度関連は教えて貰っていない為全部を理解するのは難しいとは思うが、不思議そうな顔をしながら書類に踊る文字の列を眺めていた。
「……此方の草案、とても興味深いですね。
この国いや、大陸にない制度……この妊娠・出産・育児休暇というのも初めて拝見しました。
これは夫である男性にも適応させる物なのですか?」
「はい。僕の居た国では実際にこの制度を利用されていたケースはそこまで多くなかったのですが、それでもこの制度は世間で認知されていましたし、先進国では極当たり前に利用されていた物です。」
「なるほど……有給制度というのも考えた事もなかった斬新なアイデアです……
これは労働者の立場を守る、新たな取り組みになります。
宜しければテナー商会で此方の草案について話し合ってみても良いでしょうか?」
「はい。是非お願いします!」
「この制度、可能なら叔父もテナー商会で取り入れたいと言う筈です。
……そうなった場合、此方の草案を元にさせて頂いても宜しいでしょうか?」
「勿論大丈夫です。僕はこの制度が広まってくれる方が嬉しいので」
「ありがとうございます。草案は私が責任を持って厳重に保管させて頂きます。……では後は商会の名前、ですね。
一つ気になったのですが、此方の文字は……?」
「………僕の前世で生まれ育った国で使われていた文字です。」
その言葉に皆んなが静かに息を呑む。
数々の名前が並ぶ紙の下方ーー他の文字より少し小さく書かれた文字。
あの世界で27年間慣れ親しんだ、今では書く機会もぐっと減ってしまった日本語が小さく存在を主張していた。
ずっと昔、この世界に生まれるよりもずっと前に聞いた言葉を思い出すーーー
ーーー幸篤堂………篤志を忘れずに、細やかな幸せも分かち合うって意味なんだよーーー
……おばあちゃんはそう言っていたっけ。
指の腹でそっと文字を辿る。孤独だった僕に、「コドクじゃない、コウトクだよ」と笑うおばあちゃんの顔を思い出す。
あの日、あの世界でおばあちゃんが亡くなってから僕の家族は一人も居なくなってしまった。それ以来家族と呼べる人は永遠に居なくなってしまった。
……この世界に生まれ落ちるまで。
そっとニールさんが聞いてくる。
「…この言葉は何と読むのですか?」
「……コウトク、コウトクドウです。
堂は屋号…お店の呼び名で、幸篤は篤志を忘れずに、細やかな幸せも分かち合うという意味です。」
「成る程…良いですね。これにしましょう。」
「え?」
「商会の名前です。コウトク、僕は良いと思いますよ。」
そう言い、どうですか?と兄妹に問い掛けるニールさん。
「……良いと思う。義父さんが篤志の考えを持っていたから俺たちこうして一緒に居られる訳だし。」
「わたしもこの文字好きだよ!はじめて見たけど、模様みたいできれいな字だね」
義兄とフィリもそう言い賛成してくれる。
フィリは初めて見るこの字が気に入ったようで光魔法で空中に書こうと真似てみせる。
僕は日本語について全くと言って良い程家族にも誰にも教えていない。書き順というものすら知らないフィリが僕の字と睨めっこしながらも少しずつ書いていく文字を僕は無意識の内に一心に見つめていた。
所々潰れていて拙く線の揺れたその字はそれでも自身の慣れ親しんだ故郷のもので……気付けば縋るように義兄と繋いだ手をぎゅうと握りしめていた。
……もう見られない物だと思っていた。自分の手で残す以外にあの世界との繋がりはもう無いのだと、あの世界で経験し育った証である知識も教えも、この世界にとっては只、益を齎す道具でしかなくて。
愛し子としての価値を認識した時縁としてはいけないのだと、大事なものではないのだと言われている気がして。
けれどニールさんもお兄ちゃんもフィリも良いと言ってくれた。
………一人心の内に仕舞って来た、大事にして来たものが認められたような、そんな気がした。
「ノア兄この字ってむずかしいね…今度教えて?」
そう言い笑んで見せる義妹の顔が眩しくて。
目頭が熱くなる感覚に思わず書類を見るフリをして下を向く。
うん。と答えた声は震えていなかっただろうか。
ーーーおばあちゃん。おばあちゃんの教えてくれた大事な言葉を、大切な人達が良いと、好きだと言ってくれたよ。
………僕は果報者だね。
揺れる視界の中、涙を誤魔化す為手に取った書類の文字が写る。紙に並ぶ商会の基本理念、その一行目に書いた条文を心の中で唱えるーーーーー幸篤の心を大事にします。




