「その眼差しは。」
義兄、ここに来て漸く登場です。
「…ぁ。……さい!……起きなさい、ノアッ」
「……ぇ?」
僕を呼ぶ声に意識が浮上する。
ゆっくりと瞼を上げると、目の前には此方を酷く心配そうに見つめる義父さんの姿があった。
あれ…そうか、僕寝ちゃってたんだ。
ゆっくりと身体を起こし時計を確認する。
義父さんが帰って来ている事からてっきり夕方かと思っていたけれど、予想よりも早い17時前だった。
いつもは18時を過ぎないと帰って来ないのに…今日はどうしたのだろう。
不思議に思い義父さんを見上げると義父さんは安心したように安堵の息を吐き、小さく笑みを浮かべていた。
「起きたかいノア。帰って来たらこんな所で横になっているから何かあったのかと驚いたよ」
その言葉に何処で眠っていたか思い出す。
そうだ、キッチンの床に眠ってしまっていたんだ。
いけない。義父さんに心配をかけてしまった。
ふと、キョロキョロと辺りを見渡すと一緒に居た聖霊達の姿がない。
あれ?と思っていると義父さんは徐に立ち上がり僕に手を差し出す。
その手に僕は腕を伸ばし引き起こして貰う。
「ごめんなさい、夕食を作り終えて寝ちゃってたみたい。カホちゃん達が暖かくて…」
その言葉に途端、人差し指を口に当てる義父さん。
喋るな。のサインに僕はすぐ口をつぐむ。
一体、どうしたのだろう?
義父さんは敢えて穏やかに話すようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「今日はノアに会わせたい子が居るんだ。…此方へおいでインディル」
ーーーその言葉に義父さんの背後から誰かが身じろぐ気配がした。
やがて緩慢な動作で此方へ近づいて来たその姿を僕はジッと見つめた。
歳の頃は…8.、9歳位か。
幼くも子供にしては高い背、ぼさぼさの長い栗色の髪。長い前髪から覗く瞳は髪と同じ栗色なのに何処か荒んだ色をしていた。
そして無表情ながら彼は一心に此方を見つめている。
ーー男の子だと、一眼で分かる容姿。
その姿に、僕は見ないようにしていた足元が揺らいだ気がした。
義父さんはそんな僕を静かに見つめた後、隣に立つ彼の肩を引き寄せゆっくりと口を開く。
「インディル、この子は私の養い子のノアだ。この子が赤ん坊の頃から一緒に居る。
…ノア。この子はインディルという。最近、近くの村からこの町の酒蔵に見習いとしてやって来たんだがね…」
ーー彼はこのブルースの町から少し離れた小さな農村から大通りの酒蔵に一か月程前に奉公に出されたらしい。
どうやら身売り同然の境遇だったようで殆ど荷物も持たないままやって来たそうだ。
それでも幼いながら体力があるとの事で貴重な働き手として酒蔵でも好感を持たれていたらしい。
ところがある日、事件が起こった。
身売り同然としてやって来た彼に長年酒蔵で勤めていた先輩の大人から直接嫌がらせを受けたのだ。
その先輩からしたら気に入らない子供への憂さ晴らしのつもりだったのかもしれないが身売りだと貶された彼はカッとなり、その先輩に手を挙げたそうだ。
それも立てなくなる程、容赦なく。
先輩は男性だったそうだが彼に手も足も出なかったらしい。
顔をぼこぼこに殴られ血だらけになったその先輩の様子に警ら隊を呼ぶ程の騒ぎとなり、遂には役場の人間も調査に入った。
その騒ぎを聞いた酒蔵の主人は青ざめ役場へ状況を全て話し、その先輩も彼も辞めさせる事となったそうだ。
その殴られた大人の人は正直身から出た錆だと思ったがそれでも子供の彼に手も足も出ないなんて……
それから彼は一旦教会に預けられたがなにぶん小さな町だ。噂はすぐに広まる。
彼の容赦ない姿を見た酒蔵の人間から話が漏れ、それは教会に通う子供達にも伝わった。
同年代の子供達からは怖がられ、その親御さんからは忌避され、我が子に累が及ぶ事に不安を抱き教会に抗議する人も居たそうだ。
ーーそんな悪循環の中を彼は一人で耐えていた。
静かに彼の肩を抱きながら義父さんは話し続ける。
「そこで教会から相談を受けたファーザーから私の方に話が来た。この子を家で見てはくれないかと」
成る程、それで今日はいつもより早めの帰宅になったのか。
義父さんの事だ。ファーザーさんから連絡が届いてすぐに彼に会えるように仕事を調整したのだろう。
僕もその話を聞いて心はすぐに決まった。
彼は、僕達の新しい家族だ。
僕は意識して穏やかに、にっこりと笑みを浮かべると彼に話し掛けた。
「初めまして。ノアって言います。貴方の事、何て呼べば良いですか?」
「!……別に、好きに呼べば良い」
「そしたらお兄ちゃんって呼んでも良い?
僕、兄弟が居るのに憧れてたの!
お腹空いてない?夕食作ってあるから一緒に食べよう」
そう言って僕は彼の手を握ろうとする。が、途端に弾かれる手。
しまったという顔をした彼を見て咄嗟に笑顔で話す。
「ごめんなさい、急でビックリしたよね。良かったら席に着いてて。義父さん、僕夕食の準備をしてるね」
「あぁ、私も準備を終えたら此処に戻るよ」
「うん!あ、お兄ちゃん苦手な物とかあるかな?」
「………特にない、と思う」
「分かった!」
そう言いくるりとキッチンに向く。
鍋がセットしてある竈の魔石を発動させスープを温めておく。
そして戸棚を開け中から物を取り出すフリをして亜空間からラム肉の香辛料焼きを出す。
2人分しかよそっていない為もう一つのお皿を出して僕の分を量を少なめに取る。
それからテーブルの上を密かに浄化の加護を掛けると水差しとグラス、カトラリーを並べていく。
席に座っている彼に何やら驚いた顔をされたけれど彼はこういう食事は慣れていないのかな?
バゲット籠に数種類パンを入れテーブルの中央に置いていると、丁度スープが温まった頃だった。
スープを人数分よそいテーブルに並べて、最後にラム肉の香辛料焼きを置いていく。
う〜ん、食べ盛りな男の子だとこれだけだと少ないかな?
もう一度戸棚を開け仕舞ってあったザワークラウトを千切ったレタスに手早く和え、これは好きなだけ取って良いようにボウル皿に入れる。
取り皿も出せば料理下手な僕でもそこそこ見栄えのする夕食が出来上がっていた。
僕にしては頑張ったと思う。
密かに義父さんに褒めて貰えるのを心待ちにしながら彼の隣の席に着く。
と、丁度扉が開き義父さんが戻ってきた。
外套を脱ぎシャツとベスト姿で来た義父さんは今日もカッコ良い。
これがロマンスグレーというものか……
イケおじ好きな前世の友人の気持ちが最近分かってきたよ。
どうして手元の釦を緩める姿すら様になるのだろうか……
僕が義父さんにキラキラした目線を送っているとそれに気付いた義父さんはフッと笑いながら僕の前の席に腰を下ろした。
何やら隣の席から痛いくらいに視線を感じるけれど……気の所為じゃないな、これ。
「どれも美味しそうだね。今日はノアが一人で料理を作ったのかい?」
「うん。と言っても下拵えとかはスーザンさんがやってくれた物ばかりだよ」
「それでも凄いよ。いつもありがとうノア」
「えへへ」
義父さんに褒められてとても嬉しい。
隣を向くと彼につい、と視線を逸らされる。
流石に出会ってほんの小一時間で気を許してはくれないか。
「それでは頂こうか」
義父さんの声に指を組み星母神様への祈りを唱える。
隣の彼も同じように繰り返すと恐る恐るカトラリーに手を伸ばした。
あぁ、こういう食事に慣れていないんだ。
それに気付いた僕はそっと義父さんに視線を向けると義父さんも心得ていたようで優しい目で彼を見つめていた。
「無理に合わせる必要はないよ。普段通り、食べやすい方法で食べなさい」
その言葉に彼はホッとした様子で肩の力を抜きナイフを元に戻した。
僕も気持ち普段よりマナーの砕けた食事にする。
すると義父さんは戯けたような視線を送ってくると態とスープ皿を持ち、直接口を付け飲み始めた。
ふふ、偶にはこういう食事も良いね。
いつもより会話の少ない、静かな食事の時間。
それでもその場にいる皆んなに居場所はあった。