戦場の男たち
『ここは[ダール平原]。
我らボルワール帝国とオスル王国との国境にある平原だ。
現在、我々帝国兵は野営を張り、明朝の進軍に備えている。
明日の朝、丘を越え少し先にある都市[カルザス]を、
ここの領主の兵達と一緒に攻める。
[カルザス]は元々我ら帝国の領地で、この平原で放牧する様な牧歌的な中核都市だった。
それが王国との領土争いによって王国領となり、現在強固な城壁を建築中だ。
我々はこの城壁が完成する前に、[カルザス]を、ダール平原を奪還する命を受けた。
ここの領主は最近代替わりしたそうで、昨日見かけたが随分と年若だった。
先代は王国相手に随分領土を削られ、皇帝陛下に厳しく叱責されたと聞いている。
一族の恥を雪ぐため、武功を焦っているだろう。
無茶をしなければ良いが………。』
兵士長[ゴダー]は日課の日記を書き終わり、日記帳を閉じる。
ほんの数ページ前には彼の日常、妻との会話や子供の成長を記していたその日記帳は、
今は行軍日誌となっている。
「楽な戦と聞いているが……。」
事実、上官達に気負いはなかった。
理由は一つ、[オスルの悪魔]の不在だ。
オスル王国が召喚した異世界人。
[カルザス]を含むアルレンス地方の多くをオスル王国に割譲したのは、奴の存在が大きい。
数年前の領土争いにおいて嘘か誠か、ここの領兵のほぼ全てを単騎で屠ったという。
曰く[血まみれの剣鬼]、曰く[無慈悲なる魔術師]、曰く[一騎当萬]…。
そんな悪魔が数年前に異世界へ帰ったらしい。
以前の領土争いから数年、兵を集め、鍛え、兵装を揃え……準備に今まで掛かってしまった。
しかし、今回の遠征でその苦労も報われる。
帝国は旧領を回復し、自分は国元に残してきた妻子にも程なく会えるだろう。
「一杯飲むとしようか。」
ゴダーは日記を懐にしまい、英気を養うため天幕を出た。
「おいっ!略奪のお許しが出たぞっ!」
「旧領の奪還と言うから、略奪はナシかと思ってたが…。」
「オマエはお許しが出なくてもヤってたろうがっw」
「街から逃げ出さなかった奴らは自分の領民じゃねぇとよっw」
「ギャハハッ!なんて領主様だよっ!」
「とにかくっ!これで遠慮なくヤり放題だっ!」
「イカした領主様に乾杯っ!!」
「ガハハハハッ!!!」
野営地の端、領兵の中で一際騒がしく、品がない一団。
ここの領主が大慌てで雇い入れた傭兵団だ。
若き志願兵[マウール]は、彼らを蔑むような目で見る。
「何見てんだぁ?」
傭兵の一人が、マウールの視線に気付く。
「ご、誤解だよっ」
慌てて否定する。こんな奴らとは関わらないに限る。
踵を返し、その場を立ち去ろうとするマウールに、
「なんだぁ、テメェっ?!」
「ママのおっぱい、恋しくなっちゃったぁ?!」
「金玉ついてんのかぁ?!」
「ぎゃははははっ!!」
傭兵達は罵声を浴びせる。
『構うもんかっ!』
早足で歩きながら、マウールは心の中で叫ぶ。
『俺は祖国の危機に立ち上がった救国の戦士!
アイツ等は金のために戦う、自分のような高潔な意思の無い卑しい奴らだ!
そんな奴らと一緒になんて、居られるものかっ!!』
己の臆病さに目を背け、信念の高潔さを糧に心の中で啖呵を切る。
マウールは貧しい田舎の農村の出身だ。
娯楽も何も無い、年頃の男女には退屈な村。
そんな生活の中で、マウールは同じ村のある少女に密かに想いを寄せていた。
しかし、彼女たちには、村の男など垢抜けない、道端の石のようなものだった。
そんな彼女たちにとって、自分たち農民とは違う騎士は憧れの対象だ。
マウールが想いを寄せる少女もまた、時折村に訪れる騎士に夢中だった。
どうすれば少女を振り返らせられるか、少女と騎士を眺めながら考えていた。
自分が騎士になるのはどうだろう?
農民のマウールが騎士になるのは難しい。
そんな時、領地奪還のための志願兵が募られた。
彼は年老いた両親が止めるのも聞かず、戦いに志願した。
出征の日、彼らを見送る沿道の人々の中に、涙を浮かべてその少女はいた。
『泣かないでくれ、恋人よ!俺は立派に戦い、領地を奪還し、君の元へ帰ってくる!』
マウールの頭の中は、彼女との幸せな未来で一杯だったが、
少女の瞳にはあの騎士しか写ってはいなかった…。
野営陣の中、一際大きく、目立つ陣幕がある。
その中に野営陣とは思えない、豪華な敷物や調度品、高価そうな酒が並ぶ。
細やかな細工の施された豪華な机を囲み、二人の男がこれまた高価そうなグラスを傾ける。
「将軍、帝国軍の精悍さは噂通り、いやそれ以上ですなっ!」
「伯爵閣下こそ、これほどの軍備を進められておられるとは、お若いのに閣下は聡明であられるっ!」
「これで、此度の戦は楽勝ですなっ!!」
二人の男が上機嫌でグラスを酌み交わす。
一人は父親から家督を譲られたこの地方の若き領主、[オスク・ド・アウル伯爵]。
ギラギラとした瞳に野望を隠さない、若き野心家だ。
オスル王国に大きく領地を奪われた戦いの後すぐに家督を継ぎ、領地奪還を目指し軍備を整えてきた。
父親から家督を譲られたとは聞こえがいいが、実際には皇帝からの叱責に憔悴した父親からの、
爵位の簒奪であった。
『オスルの悪魔は不在というのに、帝国軍の力を借りて旧領を回復出来るは、
名誉の回復は出来るは、皇帝陛下の覚えもめでたくなるは…万々歳だなw』
「親父殿の失態のお陰かw」
自然と口元が緩む。
「どうかされたか?」
「いや失礼、楽な戦に笑いが堪えられず。」
立派な鎧に身を包んだ将兵に酒を勧める。
「おぉ、これはかたじけない!」
グラスを差し出し、献杯を受けるこの男、名を[インダール]、帝国軍の将軍の1人だ。
今回のカルザス奪還作成に際し、帝国軍部隊の指揮官として将軍に任命された、
成り立てホヤホヤの将軍だ。
本来、指揮官となっての初陣、緊張で胃がキリキリしても仕方ないだろう。
しかし、彼にはそんなそぶりはなく、むしろ今までの戦争より生き生きしている。
それもそのはず。将軍になっての初戦とはいえ、あまりにも楽勝な戦。勝ちが保証された様な戦。
何せオスルの悪魔が不在だ。
今回の作戦指揮を任された事は、先輩将兵達からは随分妬まれている。
こんな簡単な戦で武功を立て、自分たち古参の将兵より出世されては堪らない、と。
出発前の先輩将兵達からの白い目はキツかったが、いざ出立してしまえば自然と笑みが溢れてしまう。
心配事があると言えば、一緒に戦う領主のことだ。
数年前に家督を継いだばかりの若輩で、しかも随分領地を削られた貴族の子弟と聞いていたので、
随分と気を揉んでいたが、それすらも杞憂。領主はかなりの兵を用意していた。
中々目端の利く男の様で安心した。
これで勝利は確実になり、そしてさらなる出世も約束された。
叙勲、いや、爵位を賜る可能性も十分ある。
『俺がお貴族様かw』
インダールはグラスに注がれた酒を呷り、自分の領地を想像してほくそ笑んだ。
皆が皆、緩んでいる、と言えばそうなのだが、それすら仕方ないと思うほどの戦だった。
そう、[だった]のだ。
[オスルの悪魔]が再召喚されたほんの2日前までは。
つづく