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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
二章 奏歌くんとの二年目
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9.シュークリームはラスボスだった

 舞台の上で殺陣(たて)もやるけれど、私は他人に暴力を振るったことがない。ワーキャットということで通常の人間よりも腕力のある私は、他人に暴力を振るうと危険だと言われて、両親と海香に絶対に暴力を振るうなと躾けられて来たのだ。


「あんたのことを両親が『可愛い子猫ちゃん』って言ってたのは暗示の意味もあったわけよ」

「私は可愛い子猫ちゃんだよ?」

「子猫がじゃれつく程度にしておかないと、海瑠が間違えてひとを殺したなんてことになったら、私たちは全員逃げなきゃいけなかったからね」


 ちょっと大きいだけで私は自分のことを子猫ちゃんだと思っているのに、海香は「あんたは豹よ」と繰り返す。どうしてそんなことを言うのだろう。

 奏歌くんも豹と言いかけて、言い直していた気がするし。


「本性になって鏡を見てみなさい」

「えー……」


 本性を晒すのは本当に心を許した相手以外では躊躇われる。奏歌くんの前ならばどれだけでも晒しても良いのだが、海香でも気軽には晒す気になれなかった。

 海香の家の洗面所に一人篭って本性になって鏡を見る。

 ちょっと丸っこい耳と小さな顔、大きくて細長い体、長い尻尾……どれも私の髪の色と同じ漆黒で艶々と輝いている。


「子猫ちゃんよね……え? 子猫ちゃんじゃ、ない!?」


 海香の言うとおりに私は豹なのだろうか。

 二十五年間信じて来たことが崩れそうになって私は元の人間の姿になってふるふると首を振った。


「海香、この鏡おかしいよ」

「鏡じゃなくて海瑠の認識がおかしいのよ!」

「奏歌くんは私を可愛い子猫ちゃんだって言ってくれるもん」


 信じられるのは奏歌くんだけ。

 海香なんて信じられない。

 今度奏歌くんにも海香の家に来てもらって説得してもらおうと私は考えていた。


「それで、お目当てのものは見付かったの?」

「うん、ありがとう」


 中学のときに私の両親が亡くなってから、海香と二人でこの家に住んでいた。歌劇の専門学校を卒業したら両親の遺産をもらって買ったあのマンションに移ったのだが、それまでは私はずっとこの家に住んでいた。

 私が出て行くと決めたので海香はこの家を相続した分、私のマンションを買う資金を援助してくれた。縄張り意識の強い私が伸び伸びと暮らせて安全なセキュリティーのしっかりしたマンションを買うように勧めてくれたのだ。

 最上階は全部私が買ったのでご近所づきあいも気にしないで良い。一人だけで閉じこもっていられるあのマンションはとても快適だった。


「昔っから海瑠は、不思議ちゃんだったもんね。反抗期にはクローゼットに閉じこもって出てこなかったし」


 小学校のときに来た反抗期には私はクローゼットに入り込んで出て来なかった。両親も海香も心配してくれたが、自分が人間でないことを教えられた時期で、他のひととは同じ寿命を生きられない、みんな置いて行ってしまうのだと理解した年齢だった。

 ひととは違う自分を受け入れるまで両親は待つつもりだったが、私が中学に入って少しして事故で亡くなってしまった。それからは駆け出しの脚本家の海香と何もできない私で、大変な日々が始まったのだった。

 あの頃を思い返すと今がどれだけ平和かが分かる。

 ずっと寂しくて堪らなかった私の心を、奏歌くんの存在が暖かく埋めてくれている。美歌さんにやっちゃんという私の秘密を知られても構わない家族もできた。

 海香もいずれ誰かと結婚して、私から遠く離れていくのだろうと一人で生きて行けるか不安しかなかった人生に光を差し込ませてくれたのが奏歌くんだった。

 奏歌くんは私を置いて逝かない。

 吸血鬼の回復力の強さや生命力の強さを美歌さんから聞けば聞くほど心強さを感じる。

 今は小さな奏歌くんでも、いつかは大きくなって私と並んで一生を歩いてくれる。運命のひとだから、それは確定事項だった。


「それじゃ、貰っていくね」


 段ボール箱いっぱいの中身は、私のアルバムや動画のデータ。実家にならば残っているだろうと思ってもらいに来ていたのだ。

 奏歌くんの写真集を真里さんから貰ってしまったから、それを見ている間に奏歌くんの機嫌を損ねないように、私のアルバムを渡せばいい。我ながら妙案を思い付いたと嬉しく思いながら奏歌くんを学童保育に迎えに行く。

 学童保育の建物の前には公園があって、子どもたちはよくそこで遊んでいた。季節も冬に差し掛かって寒くなって来るのでこれからはあまり遊ばないかもしれないが、今は遊ぶことがある。

 公園で遊んでいる奏歌くんをカメラで撮っている不審者……ではなく、真里さんの姿を見て、私は足を止めた。


「何してるんですか? 通報しますよ?」

「僕は奏歌の父親だもん!」

「その年で『もん』って言うの、ちょっと恥ずかしくありません?」


 話していると私に気付いた奏歌くんが駆けて来る。


「みちるさん、むかえにきてくれたの?」

「うん、今日はお土産もあるんだ」

「なにかな?」

「何気に僕を無視しないで」


 完全に真里さんを無視して私は学童保育の先生に挨拶をして奏歌くんと荷物を取りに行った。ランドセルを背負った奏歌くんが建物から出てくると撮影会が始まってしまう。


「僕の妖精さん、物凄く可愛いよ」

「へんたいみたいなこと、いわないでー!」


 ひとに暴力は振るってはいけないと言われたけれど、吸血鬼にならばどうなのだろう。真剣に奏歌くんが嫌がっている様子に考えてしまう。

 怒りながら一人で真里さんから離れようとした奏歌くんに近付く影があった。


「君、可愛いね……ちょっとだけ、お兄さんのうちに遊びに来ない?」


 本物の不審者だ。

 急いで駆け戻ってくる奏歌くんに真里さんが耳打ちをする。


「奏歌、海瑠さんから血をもらうんだ」

「で、でも……」

「何度も奏歌を狙って来るかもしれない。奏歌だけじゃない、他の子が犠牲になるかもしれない。不安の種は先に潰しておくんだよ」


 奏歌くんとよく似た声で暗く囁く真里さん。

 どうすればいいのか私が迷っていると、奏歌くんは私に問いかけた。


「みちるさん、ちをもらってもいい?」

「う、うん」


 これが正しいことなのか分からない。

 分からないけれど、逃げ出そうとしている変質者が、これからも奏歌くんをつけ狙ったり、他の子どもを狙ったりする事件が起きれば、奏歌くんも平穏でいられないし、学童保育でも行動を制限されるようになる。

 差し出した手首に唇を付けて奏歌くんが血を吸う。

 ちくりと僅かに痛んだが、血を吸われた後の傷は不思議とすぐに治ってしまう。

 顔を上げた奏歌くんが変質者を睨み付けた。

 その目が赤く光ったのか見えた気がする。


「ひぃ……お許しください……もうしません……もうしません!」


 アスファルトの上に崩れ落ちて許しを請う変質者に、私は警察に連絡をして、学童保育の先生にも話をしておいた。変質者は無事に警察に連れて行かれた。


「日本にいる間にもう一度くらい会いに来るよ」


 大荷物を持って立ち去る真里さん。

 あの明るい笑顔の裏に、奏歌くんにひとを操らせようとする闇が潜んでいる。そのことを私は忘れないようにしなければいけなかった。

 マンションに戻ると海香が買ってきてくれていたシュークリームでおやつにする。ミルクが半分のミルクティーを淹れて、シュークリームにフォークを添えたのだが、奏歌くんはふるふると首を振っていた。


「みちるさん、シュークリームはね、おかしのなかではものすごくなんいどがたかいの!」

「そうなの!?」

「フォークなんてむり!」

「フォークが歯が立たないの!?」


 奏歌くんの説明にシュークリームが突然ラスボスに見えてくる。

 このラスボスとフォークなしでどう戦えばいいのか。


「フォークできろうとしても、さしても、クリームがでてきちゃうんだ」

「そ、そんな……!? それなら、どうやればシュークリームを食べられるの?」

「ほうほうは、いくつかある」


 真面目に奏歌くんが解説してくれる。


「こういうかたちのシュークリームなら、うえのかわをてでとっちゃうんだ」

「皮を手で取る?」

「それで、クリームをすくいながら、たべる。これがいちばんおじょうひん」

「なるほど?」


 その他にも食べ方があるらしい。


「じゃどうなんだけど、クリームをすってさきにのんじゃうのも、あり! かみついたら、クリームがうしろからでてきちゃうからね」

「吸うの!? シュークリームは吸うものだったの!?」

「うん、そうしないと、だいさんじになっちゃうんだ」


 それ以外にもまだ食べ方があるようだった。


「どうしてもフォークでたべたかったら、うえのかわ、くりーむ、したのかわのじゅんばんにぶんかいするといいよ」

「分解……」

「どれにする?」


 おすすめの食べ方三つの中で私は一番目の手で食べる方法を選んだ。


「上の皮を取って、クリームを掬って食べるのね」

「うん、これがぼくもいちばんすき」


 二人でシュークリームを駆逐して、手を洗って歯磨きをして、私は奏歌くんの写真集を、奏歌くんは私のアルバムを見る。


「やだ、奏歌くん、可愛いー!」

「みちるさん、こんなにちいさかったの? かわいい!」


 歓声を上げながら私たちは二人きりの時間を楽しんだのだった。

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