7.真里さんと奏歌くんの内緒話
「奏歌」
ホテルに部屋を取ってあるという真里さんが美歌さんの家を出ると、玄関から庭まで奏歌くんが見送りに行った。靴を引っかけて出た私は見つめ合う親子の姿に、思わず身を隠して耳を澄ませてしまった。
「僕は奏歌の十倍以上は生きているけれど、運命のひとには出会えなかった。その代わり、奏歌という宝物を得た」
「とうさん?」
「運命のひとに出会うことがどれだけ稀有なことなのか、奏歌にはよく分かって欲しい」
真剣に話す真里さんに、奏歌くんも真剣に問い返す。
「けう、ってなに?」
「とても珍しいこと。滅多にないことだよ」
「ふぅん……みちるさんとであえたのは、きせきだってことだね」
運命のひとと出会えたことが真里さんは羨ましくもあるような言い方だった。父親らしく膝を折って奏歌くんに視線を合わせて話しかけている。
玄関の陰に隠れながら、日の落ちた庭で私は奏歌くんがそのまま攫われてしまわないかを警戒していた。
「不審者がいるって言ってたね」
「とうさんじゃなかったの?」
「僕は昨日日本に帰って来たばかりだから違うね。不審者に襲われたら、奏歌はどうする? あのひとに守ってもらう?」
強そうなひとだし、強そうな本性を持っていたけれど。
真里さんの言葉に、奏歌くんはふるふると小さな頭を振った。
「みちるさんを、ぼく、まもりたい」
「それなら、覚えておいたらいい。僕たち吸血鬼はひとの心を操ることができる」
「え?」
美歌さんが聞いたら止めそうな話だったが、奏歌くんは息を呑みつつもその先を聞きたがっていた。これは美歌さんに報告した方が良いのか悩んでいる間に話は進んでいる。
「奏歌はまだ吸血鬼として幼くて弱いから、人外には無理だろうけれど、ただの人間だったら、襲われる前に血をもらって、睨み付けて『自分に従え!』と心の中で唱えるんだ」
「そうしたら、どうなるの?」
「相手は恐怖に勝てずに奏歌に従うようになるよ」
ひとの心を操るなんて技を7歳の奏歌くんが覚えてはいけない。止めようとする前にきらりと真里さんの目が私の方に向いた。とっさに玄関の中に隠れたけれど、あれは絶対に気付かれている。
「大事な大事な運命のひとを手放しちゃいけないよ」
忠告するように言って去っていく真里さん。
「みちるさんは、ぼくのものじゃないもん……みちるさんはみちるさんのもの」
小さく呟いて奏歌くんは玄関の方に戻って来た。
出かける準備をしていた美歌さんが私に声をかける。
「海瑠さん、そこにいたんですか。車でマンションまで送って行くので、乗って行ってください」
「みちるさん、いたの!?」
きいてた?
疑惑の瞳を向けられて私は素直にそうですとは言えなかった。
吸血鬼にはひとの心を操る能力がある。それは吸血鬼の秘密なのではないだろうか。自分たちのことを忘れさせる能力も、その一つなのだろう。
奏歌くんの秘密を思わぬところで知ってしまった私は動揺して、美歌さんにそのことを相談することができなかった。
車の中で美歌さんがお願いしてくる。
「あんなひとでも、奏歌の父親なんです。次の土曜日、海瑠さんお休みでしたよね? 奏歌とあのひとが出かけるのを監視してくれませんか?」
「か、監視ですか?」
「そうです、あのひと、奏歌が小さい頃は酷かったんです」
1歳になったくらいから奏歌くんにありったけの予防接種を受けさせて、ことあるごとに海外に連れ去っていたという真里さん。おかげで奏歌くんは完全に注射嫌いになってしまったし、一時期は日本語が覚束ないような状態だったという。
美歌さんは奏歌くんのパスポートを隠してしまって、真里さんが奏歌くんを海外に攫って行かないようにしていたが、真里さんは奏歌くんがパスポートを紛失したとして新しく発行したりして対抗していた。
「最終的には、次勝手に海外に連れて行ったら、二度と奏歌に会わせないと言って、辞めさせたんですけどね」
「奏歌くんは色んな国に連れて行かれていたんですね」
「小さすぎてあまり覚えていないと思いますが、治安のよくない国も多かったから、帰って来るまでは心配で」
小さな奏歌くんが父親の真里さんに攫われて海外に連れて行かれるのは、それは心配だっただろう。
海外や遠い場所に奏歌くんを攫って行かないように真里さんを監視すること。それが私の土曜日の役目のようだった。
「できる限りのことはします!」
約束した私だったが、相手は年上の吸血鬼。どんな手を使われるか不安でもあった。
土曜日に奏歌くんと私を真里さんの泊まっているホテルに送り届けた美歌さんは呆れていた。
「こんな高級ホテルに泊まって……本当に金銭感覚がおかしいんだから」
自分に言われているようでちょっと耳が痛い。
奏歌くんはきゅっと私の手を握っていた。
上機嫌でホテルのロビーから出て来た真里さんは、私たちをタクシーに乗せた。タクシーのトランクには大荷物を乗せてもらっている。
「どこに行くんですか?」
「近場だよ」
「みちるさんをへんなところにつれていったら、ゆるさないんだから!」
ほっぺたを膨らませる奏歌くんに真里さんは笑って答えなかった。
連れて来られたのは郊外の撮影スタジオだった。
「マリちゃん、相変わらず若いね」
「今日は使わせてもらうよ」
挨拶をして荷物を持って入って行く真里さん。
スタジオの中にはアンティークの家具のセットが置いてあって、幾つかの衣装と更衣室も設置されていた。
「僕の可愛い奏歌に運命のひとが現れたんだから、記録を撮っておかないと行けないと思ってね」
「ダメ!」
「奏歌はいつも僕が写真を撮ろうとすると嫌がるんだから」
「そういうんじゃないの! みちるさんは、げきだんのひとなんだから、かってにとっちゃダメなんだよ」
そうだった。
私は劇団との契約があるのでプロの写真家である真里さんに作品として撮ってもらうことはできない。
「劇団の規則で無理なんですよ」
「家族写真を撮るだけだよ? 別に賞に出したりしないし」
「とうさんのことばは、しんようできない!」
奏歌くんの写真を絶対売るための写真集にするなと言われたら、個展で展示する。売らないが写真集にして知り合いに配る。などなど、真里さんには前科がたくさんあるのだと奏歌くんは教えてくれた。
信用していいのか分からない。
「みちるさんにめいわく、かけないで!」
一生懸命になってくれる奏歌くんも可愛くてかっこいいのだが、私は用意されている衣装に目が行ってしまっていた。
「これ……スーツタイプのウエディングドレスじゃないですか?」
「そう。急だったから準備してもらうの大変だった。身長は176センチって劇団サイトに書いてあったけど、靴のサイズは書かれてなかったから、数種類準備したよ」
とあるブランドで発表されたスーツタイプの肩からヴェールをマントのように下げるウェディングドレスは私も興味があった。純粋に着てみたいと思う。
その横に吊り下げてある奏歌くん用らしきタキシードがショートパンツタイプで、ソックスガーターにソックスという可愛いものなのだ。
これを着た奏歌くんを見てみたい。
私もこのウエディングドレスを着てみたい。
私は欲望に負けた。
「誓約書を書いてください」
「書いたら着てくれる?」
「絶対に撮影した写真をどこにも出さない、個人的に所有するだけにする、私と奏歌くんには渡すという内容で」
交渉に入った私に奏歌くんが驚きの顔で私を見上げている。
「いいの? みちるさん?」
「お義父さんの願いだもの。叶えてあげたいじゃない?」
嘘です。
私がウエディングドレスを着たくて、奏歌くんにタキシードを着て欲しいだけです。
とても本当のことは言えないけれど、真里さんは素直に誓約書を書いた。拇印も押してくれる。
それを撮影スタジオのコピー機でコピーして、原本を私が受け取り、コピーを真里さんに渡して契約は成立した。
奏歌くんと私だけの秘密の結婚写真。
まだまだ奏歌くんと結婚式を挙げるのは先の話だからこそ、今の奏歌くんと約束するように着て写真を残しておきたい。
真里さんと私の思惑は一致してしまった。
「みちるさんがいいなら、いいんだけど……」
気乗りがしない様子だが、奏歌くんも衣装を持って更衣室に入って行った。
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