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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
十二章 奏歌くんとの十二年目
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26.パーパードライバーへの道は閉ざされた

 奏歌くんに怒られています。


「海瑠さん、ペーパードライバーになるために自動車学校の合宿に行きたいって、本気で言ってるのかな?」

「本気だよ! 一週間も奏歌くんと会えないなんて耐えられないもの!」

「海瑠さん、よく聞いて。男役トップスターが合宿なんて、絶対にダメ!」

「えぇ!?」


 車の免許を取って実際の車に乗ってみたら私の演技の幅も広がる。それに会えない期間も奏歌くんと一緒に過ごすことができる。一番の方法だと思ったのに、奏歌くんは私の行動に大反対だった。


「免許を取る合宿にはすごくお金がかかるんだよ? 運転しない車の免許のために海瑠さんにそんなお金を使って欲しくない」

「で、でも、奏歌くんと一週間も会えないのよ? 私、耐えられない」

「僕と会いたいからっていう不純な動機なら尚更だよ。海瑠さんは劇団の男役トップスターという立場としても、無駄なお金を使わないという観点からも、免許習得の合宿には参加しない方がいい」


 はっきりと断られてしまった。


「車を運転できない役者より、運転できる役者の方が演技に幅が広がるかと思ったの」

「海瑠さんは男性として生まれてないけど、男性を演じることができているでしょう? 経験しないと絶対に演技ができないなんてことはない。経験してなくても海瑠さんは演技ができる素晴らしい役者だよ」

「お金なんてそれほどでもないし……」

「海瑠さんが一生懸命舞台で稼いだお金を、僕はどぶに捨てるようなことはして欲しくない。もっと海瑠さんのため、有意義なことに使って欲しい」


 奏歌くんの言うことは全部正論だった。

 ただ一つ分かることは、私が夏休みに奏歌くんに一週間も会えないことが確定してしまう。

 意気揚々と気合を入れていただけに悲しくて、つらくて、涙が出てきそうになった私に、奏歌くんが優しく言ってくれる。


「合宿所の傍にいい宿がないか探してみるよ」

「え?」


 あまりのことに涙がほろりと零れてしまった私に、奏歌くんがティッシュの箱を渡してくれる。涙を拭いて鼻をかんでいると、奏歌くんが優しい笑顔になっていた。

 これまで私のことは全肯定だった奏歌くんが、私の意見に反対した。クリスマスの特別公演で退団しようかと考えたときに、春公演まで頑張ってほしいと言われたときには、確かに私と意見は分かれたけれど、私も本当は少しでも長く劇団にいたかったので、奏歌くんの意見をすぐに取り入れた。

 今回はそれとは全く違う。完全に奏歌くんは私がペーパードライバーを目指して免許の合宿に行くのに反対していた。

 私的には最適な方法を見つけたつもりだったのに、それを否定されてしまって、奏歌くんに一週間会えないことが確定して、悲しみの余り涙が零れた瞬間、奏歌くんは折衷案を出してくれた。


「食事の時間になんとか合宿所から抜け出してみるよ。海瑠さんが合宿所の近くの宿に泊まってたら、会えるでしょう?」

「い、いいの?」

「海瑠さんは僕と離れたくなくて一生懸命考えたんだよね。僕も海瑠さんと離れたくないし、海瑠さんを泣かせたかったわけじゃないんだ」


 優しい奏歌くんの言葉に私は涙が止まらなくなる。

 かつて私の周囲にいた男性は、自分の利益のために私にお金を使わせた。奏歌くんと出会ってから私は倹約することを覚えて、高いものを買うことが奏歌くんを喜ばせるわけではないと学んだはずだった。

 私は免許の合宿に行くお金を大したことがないと考えていたし、自分が男役のトップスターであることも忘れて免許の合宿のコースを申し込もうとしていたが、奏歌くんは冷静にそれを止めてくれた。

 それだけでなく、私が奏歌くんが合宿の間も奏歌くんと会う方法を考えてくれた。


「合宿所はここだから、海瑠さんのマンションとは劇団を挟んで逆方向になるね。この距離だったら、劇団にも通えると思う」

「う、うん」

「携帯電話で調べたら、合宿所の近くにジャグジーのあるホテルがあるみたいだから、そっちの予約を取ろうね。ホテルに七日間泊まる方が、合宿の値段よりずっと安いし、海瑠さんも寛げると思う」

「ジャグジーってなに?」

「豪華なお風呂みたいなものだよ」


 合宿所から徒歩で通える範囲に奏歌くんはホテルを探して予約を取ってくれた。マンションとは劇団を挟んで逆方向になるが、劇団に通える位置なので劇団を休むこともない。

 免許の合宿でペーパードライバーになるために七日間劇団を休もうと思っていた私が、劇団を休むことなく奏歌くんと過ごせるように、奏歌くんは細かく考えていてくれた。

 これだけの優しさを受け取って、奏歌くんに改めて惚れ込んでしまう。涙も奏歌くんが話しているうちに引っ込んでしまった。

 しかし、もう一つ私には心配事があった。

 持ち帰っていた袋をそっと奏歌くんに差し出す。


「よく分からなくて、一番高いのを買っちゃったの……奏歌くん、怒る?」


 おずおずと奏歌くんに聞いてみると、袋の中からワイヤレスのイヤホンの箱を取り出して奏歌くんはハニーブラウンの目を輝かせていた。


「これ、僕が欲しかったイヤホンだ」

「え? 本当に?」

「値段が高くて手が出なかったんだ。お年玉の貯金は崩したくなかったし、すごく悩んでたんだけど、海瑠さんが買ってくれるなんて思わなかった」

「無駄遣いって怒らない?」


 免許の合宿の件に関しては「お金をどぶに捨てる」とまで言われてしまったから警戒していた私だが、奏歌くんは私の手を握って答えた。


「免許の合宿とこのイヤホンだったら、ゼロが一つ違うからね? それだけの金額だから僕は反対したんだよ?」

「ゼロが一つ……」

「イヤホンはとても嬉しい。これは金額の分も何年も僕が大事に使うからね」


 免許の合宿は払ったお金に対して、私はペーパードライバーになると始めから決めていて、免許を使うことがないと決まっていたからいけなかったのだと奏歌くんは丁寧に説明してくれた。

 闇雲に叱るのではなく、きちんと理由を教えてくれて、理屈があって奏歌くんは判断している。それが分かると私も安心できる。


「奏歌くんの進級祝いのつもりだったのよ。奏歌くん、高校三年生、おめでとう」

「ありがとう、海瑠さん。とても嬉しいよ」


 私が劇団に通いながらも免許の合宿に行っている奏歌くんと会う方法を考えてくれて、進級祝いのイヤホンは喜んで受け取ってくれたので、落ち込みかけていた私の気持ちはすっかりと浮上した。

 

「海瑠さん、覚えてる? 僕の今年の誕生日プレゼント」


 奏歌くんに問いかけられて、私はこくりと頷く。


「奏歌くんの結婚指輪よね」

「僕のだけじゃなくて、僕と海瑠さんのだよ」


 私と奏歌くんでお揃いの結婚指輪を作る。それは私にとっても奏歌くんにとっても、幸せを予感させる出来事だった。奏歌くんは夏には18歳になる。結婚できる年齢だ。

 奏歌くんのために指輪を作る気でいたが、私の分も必要となると、その準備も始めなければいけない。


「海瑠さんの誕生日付近にマダム・ローズのところに行ってみない?」

「マダム・ローズに私たちの関係を打ち明けるの?」

「マダム・ローズは気付いていると思うよ」


 気付いているけれど私と奏歌くんのことを温かく見守ってくれているのではないかというマダム・ローズ。結婚指輪を作ってもらうならばマダム・ローズのお店しかないとは私も考えていた。


「デザインを決めて、出来上がりに時間がかかるだろうから、早めに行かないとね」

「分かったわ。マダム・ローズに予約を入れておくわね」


 どんな風に言えばいいのか分からないけれど、マダム・ローズに指輪が欲しい旨を連絡しておくことにする。春公演が終わって私の誕生日までの期間にマダム・ローズのお店の予約が取れた。

 奏歌くんと私の結婚指輪を作ってもらう。

 結婚式自体は来年だけれど、結婚が現実味を帯びてきたようで、私はドキドキとしていた。

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