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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
一章 奏歌くんとの出会い
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23.奏歌くんの発熱

 子ども時代のことはほとんど覚えていない。

 物心ついたら歌の教室とダンス教室に通っていた。姉の海香が通いたがっていたので私も通わせたそうなのだが、私の方がはまって私の人生は歌とダンスに染められた。

 小さい頃の記憶がない私なので、奏歌くんに誘われたときにどう答えていいか分からなかったのだ。


「みちるさん、きょうはぼく、トランプもってきたんだ。しちならべか、しんけいすいじゃくか、ババぬきしよう?」


 七並べ、神経衰弱、ババ抜き。

 そのどれもが何となく聞いたことはあるけれどルールが分からない。

 困っているのに気付いた奏歌くんが、私にトランプを見せてルールを教えてくれる。


「しちならべは、7からじゅんばんに、6のほうか、8のほうにかずをならべていくんだよ。カードがだせなくて、さんかいパスしたらまけ」

「それが七並べ」

「しんけいすいじゃくは、うらがえしたカードをめくって、おなじすうじがでたらもらえるの。まちがったらもとにもどす。さいごにもってるカードがおおいほうがかちだよ」

「裏返したカードを捲るのが神経衰弱」

「ババぬきはおなじかずのカードはすてて、のこりのカードをとりあって、さいごにジョーカーがのこったらまけなんだ」

「ジョーカーが残ったら負け」


 全部勝ち負けを決めるゲームのようだった。

 歌とダンスは努力していれば成果が出た。勝ち負けを決めるのではなくて、競争心がないわけではないが、自分との闘いだった。

 いざ奏歌くんと戦うとなると躊躇ってしまう私。


「しんけいすいじゃくしてみよう」


 テーブルの上にカードを並べる奏歌くんに私は躊躇ったままだった。


「しんけんにやってね? まけてもぼく、なかないから。ほんきでやらないと、ゲームはおもしろくないんだ」

「真剣に。分かった、頑張ってみる」


 カードを捲って行って、最初の方は全然どこに何があるのか分からないけれど、何回かやっていると同じ数字が見えることがある。


「この辺に8があったはず……あった!」

「あーぼくもおぼえてたのにー!」


 悔しそうだが奏歌くんは楽しそうでもある。ハニーブラウンの目が輝いて、頬が紅潮している。


「ここ! キング!」

「あー! やられたー! そこ狙ってたのに!」

「やったー!」


 二人きりでも神経衰弱は盛り上がることができた。

 最後に枚数を数えると奏歌くんの方がずっと多かったけれど、奏歌くんはそれに奢るようなことはない。


「ぼくのほうがなれてたからだよ。みちるさんもなんかいもやれば、じょうずになるとおもう」

「そっか。またやってくれる、奏歌くん?」

「うん、またしようね」


 平和に終われてこれならばゲームも嫌ではないと思えた。

 週末は大寒波で大雪で、私の住んでいる地域でも少しだけ雪が積もった。

 お昼ご飯のお弁当を食べると、奏歌くんはベランダに出て雪だるまを作っていた。

 雪ウサギを作る奏歌くんに習って、私も雪ウサギを作る。楕円形の形を作って、目と耳は掘って作り上げた。


「きのみとか、はっぱがあったら、めとみみにできるんだけどね」

「ベランダで育てられるかな?」

「ベランダではむずかしいかも」


 雪遊びも楽しかったが体が冷えてしまった私と奏歌くんは、早めにお風呂に入った。

 バスタブに浸かると足先と指先がじんじんとする。


「さむかったけど、たのしかったね」

「今年の雪はこれが最後かな」

「またふゆになったら、ふるかもしれないよ」


 そんなことを話してお風呂から出てハンモックで寛いで、晩御飯を食べて、奏歌くんと一緒に寝る。

 幸せな週末は過ぎて行った。

 月曜日に奏歌くんを送って稽古場に出ると、テレビの番組の撮影のひとたちが稽古場に入っていた。やっちゃんもインタビューを受けていて、ポスターの説明などしている。


「このポスターは……何を考えて作ったんだっけ……。早く帰りたいとか?」

「それじゃインタビューになりませんから! もっと、ミュージカルに関係あることを言ってください」


 あまり演劇に興味がなく、写真加工などが主な仕事のやっちゃんはあれが本音なのだろうが、テレビではそれではいけないらしい。


「なんか面倒くさそうね」

「感動のドキュメンタリーにしたいんでしょう」


 私も百合もテレビ撮影にそれほどの期待感を失っていた。

 女性ばかりの劇団だが、演出家の先生や脚本家の先生は男性もいる。それでも圧倒的に女性が多いのは否めない。そこにテレビの撮影のひとたちが入り込んでくると、いつもと違う雰囲気だった。

 男性もそれなりの数いる稽古場。

 そのせいで、我妻が紛れ込んできたことに誰も気付いていなかった。

 休憩時間に食堂でお昼を食べようと稽古場から廊下に出た私の前に、我妻が立っていた。最初私はそれが我妻だと分からなかった。

 スーツを着て肩幅の広い背の高い男性。

 番組撮影に来たひとだろうと頭を下げて横を通り過ぎようとすると、腕を掴まれる。


「何するんですか!」

「海瑠、やり直したいんだ」

「は? あなた、誰?」


 じっと見た顔に見覚えがない。

 考えても全然分からない。


「我妻清、お前の婚約者だよ」


 お前って言った。

 この男、私を「お前」って言った。

 腹を立てることなんて今までなかったのに、言われたことにふつふつと怒りがわいてくる。


「私は『お前』じゃないし、婚約者でもない!」


 言い切ると、声が思ったより響いてしまったようだ。百合が走って来る。


「海瑠、なにやってるの。テレビ撮影が入ってるんだよ」

「休憩時間だし、この男が……」

「俺が結婚しようって言ったら、頷いただろ? お前のために妻子と別れたんだ」


 それが嘘だと私は分かっていた。


「妻子に捨てられたの間違いでしょう? 借金と不倫のせいで」

「なんでそれを……」

「私だって警戒するんだからね!」


 以前のぼーっとした私と今の私を同じにしないで欲しい。

 奏歌くんに出会ってから私は自分を守ろうと思うことができた。我妻のことを興味がないけれど調べておいたのは、会ったときに対抗できるようにだ。

 私に言われて我妻は悔しそうにしている。腕を振り払うと、百合が私と我妻の間に入ってくれた。


「警備員を呼ぶわよ?」

「今日はこれで帰ってやる。だが、諦めたわけじゃないからな」


 諦めるも何も、私の眼中に我妻はないのだが。


「海瑠、あいつ、あんたのお金目当てだからね。あんたが二番手になって主演もして、テレビ出演もするって聞いたから来たに決まってるんだから」

「私もそう思う。そもそも、あんな奴、いらない」


 私に必要なのは奏歌くんだけ。

 もう私の心は決まっていた。

 奏歌くんに会いたい。ぎゅっと抱き締めて欲しい。膝枕をして髪を撫でて欲しい。

 朝別れたばかりなのに、私は既に奏歌くんに会いたくなっていた。

 食堂でうどんを頼んで食べながら携帯電話を見ると、美歌さんからメッセージが入っていた。


『奏歌が保育園で熱を出したって連絡があったんです。仕事が抜けられないんですけど、申し訳ないですが海瑠さんお迎えにいけませんか?』


 今日はやっちゃんを中心としたポスターや宣伝の部分を撮影するのでやっちゃんも仕事から抜けられない。美歌さんは看護師ですぐに変わりが見付からないので仕事を抜けられない。

 奏歌くんは熱を出して保育園で苦しんでいるのかもしれない。


「津島さん、私、今日は早退しても良いですか?」


 稽古は始まったばかりで、まだ他の相手と合わせる段階ではない。それぞれに歌の練習とダンスの振り付けをしてもらう時期なので、主演とはいえ私がいなければ絶対に稽古が進められないというわけではなかった。

 奏歌くんが熱を出していることを話すと、津島さんはすぐに歌の先生とダンスの振付師さんに話を通してくれて、私が帰れるようにしてくれた。

 津島さんの車で保育園まで送ってもらう。

 保育園に行くとぐったりとした奏歌くんが布団に寝かされていた。リュックサックに水筒と着替えを詰めて帰る準備をして、奏歌くんを抱き上げると熱いのが分かる。


「奏歌くん、大丈夫?」

「ん、へいき……」


 具合が悪そうなのに健気に言う奏歌くんに涙が出てきそうになる。


「奏歌くん、死なないで……」

「え? ぼく、しぬびょうきなの?」

「分かんない……でも、こんなに熱いんだもん」


 涙目の私と奏歌くんを乗せて、津島さんは美歌さんの務める病院に連れて行ってくれた。小児科で受診して、奏歌くんは風邪だと診断される。


「今年の風邪は胃腸にくることが多いので、食べやすいものを食べさせて、水分をたっぷりとらせてあげてください」


 お医者さんに言われて私はメモを取ったが、食べやすいものがなにか分からない。

 困っていると津島さんが帰りにうどんのチェーン店に寄って、うどんを二玉買ってお出汁と一緒に持たせてくれた。


「茹でてあるから、お出汁の中に入れて電子レンジで温めるだけで食べられると思います」

「何から何までありがとうございます」


 お礼を言った私に津島さんが微笑む。


「私がどれだけ気を付けても守れなかった海瑠ちゃんの健康を守ってくれる子です、大事にしないと」


 津島さんも奏歌くんのことを大事に思ってくれているのが嬉しくて、私はほろりと一粒涙を零した。


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