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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
一章 奏歌くんとの出会い
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19.年越しの約束

 食器を買いに行ったときに奏歌くんが選んだのは猫の足の形のコップと、猫の柄のマグカップと、猫の柄のお皿だった。


「奏歌くんって、もしかして、猫が好き?」


 思い切って聞いてみる。


「イルカとか、ペンギンとか、ジンベイザメとかがすきなんだけど、あのおみせにはなかったし、ねこもすきだよ」


 イルカとペンギンとジンベイザメには勝てないが、奏歌くんは猫も好きだった。


「いつか猫を飼ってみたいと思う?」

「どうぶつは、ひとつのだいじないのちだから、せきにんがもてなかったらかっちゃだめって、かあさんもやっちゃんもいってた」

「飼えたら飼いたいと思う?」


 本音を聞きたくて問いかけると、奏歌くんはほっぺたを赤くしてこくりと頷く。

 奏歌くんは猫が好きで、飼いたいとも思っている。

 これは私にとってはちょっとした嬉しい情報だった。


「猫は大きくても好きかな?」

「おおきいねこ……?」


 イメージがわかないのか首を傾げている奏歌くんに、私はメインクーンという種類の猫の写真を携帯電話の液晶画面に映して見せてみた。大人が抱っこしてもはみ出るような巨大な猫に奏歌くんは目を丸くしている。


「こんなにおおきいねこがいるの?」

「うん、もっと大きい猫もいるかもしれないね」


 奏歌くんのハニーブラウンのお目目がきらきらと輝く。


「ねこをかってるともだちがね、おひざにのってくるっていってたんだ。おひざにのってきたら、ねこをなでなでしたいな」

「お膝に乗ってきたら……」


 そのとき私の頭の中にいけない考えが浮かんでしまった。

 奏歌くんのお膝に頭を乗せてなでなでしてもらったらどれだけ癒されるだろう。

 ダンスと演技以外で触られるのは好きではない私だが、奏歌くんにならば触られても構わない。お風呂に一緒に入れるくらい私と奏歌くんは親密だった。


「ひざまくらって知ってる?」

「みみそうじのときに、かあさんがしてくれるよ」

「奏歌くん、私を膝枕してくれない?」


 思い切ってお願いしてみると奏歌くんは快く了承してくれた。


「ぼくでいいならするよ」


 鳥籠のソファに座った奏歌くんのお膝に私は頭をそっと乗せる。小さな手が私の髪を梳いて撫でてくれる。


「奏歌くん、気持ちいい……」

「みちるさん、かわいいね」


 撫でながら奏歌くんは私のことを可愛いと囁いてくれた。うっとりとしながら奏歌くんの膝を撫でる。すべすべの膝小僧が可愛い。


「奏歌くんに出会ってから、仕事も順調だし、体調もいいし……私の人生に奏歌くん以外の男性はいらないわ」


 ぽろりと漏れた本音に奏歌くんがくすりと笑ったのが分かった。顔が近付いてきてこめかみにキスをされる。


「かあさんも、みみそうじがおわったら、キスをしてくれたの。いけなかった?」

「ううん、嬉しい……」


 体を起こして私はキスをされたこめかみを押さえていた。そこが熱いような気がしてくる。

 まだ6歳なのに奏歌くんは男前で私をこんなにも翻弄する。

 可愛くて大好きな奏歌くん。

 お風呂に入って髪を乾かして晩御飯を食べてから、奏歌くんはもう一度ランドセルのカタログを見ていた。欲しいシンプルな水色のランドセルのページは端が折り曲げてあって、それを美歌さんに見せるのは決まっているようだった。

 お布団に入ると奏歌くんが美歌さんからの伝言を口にする。


「おしょうがつは、みちるさんにおうちにきてもらいなさいって、かあさんがいってたの。みちるさん、いっしょにおしょうがつする?」

「三十一日から三日まで休みだけど」


 口にした私に奏歌くんががばっとお布団から起き上がった。お布団が捲れて冷たい空気が入って来る。


「みちるさん、ぼくのおうちにおとまりしてよ!」


 自分の縄張りから出ることに抵抗のある私が、奏歌くんの家に泊まる。想像もできないことだったが、劇団が公演ツアーをするときにはホテル暮らしもするし、できないわけではない。今まで一度も他人の家に泊ったことがないだけで、奏歌くんの家なら平気かもしれない。


「いっしょにとしこし、しようよ。おおみそかだけは、ぼくもおそくまでおきてていいことになってるんだ」


 一緒に年越しをして、お節料理とお雑煮を食べて、初詣に行く。


「私、着物持ってるよ! 自分で着付けできる!」

「きものきるの、みちるさん! ぜったいきれいだよ」


 興奮してほっぺたを真っ赤にしている奏歌くんにお布団を被せて引き寄せる。

 舞台のために衣装を着ることはあっても、誰かのためにお洒落をするなんて初めてだった。

 奏歌くんの家にお泊りをするときに失礼があってはいけないと、海香にお泊りの極意を教えてもらうため、反省会の後で海香を呼び出すと、劇団のロビーのカフェでコーヒーを飲みながら話をすることになった。

 コーヒーが苦すぎて私はミルクをたっぷり入れたけれど、海香に笑われてしまう。


「カフェオレにすればよかったのに」

「カフェオレって、なに?」

「あんたって、そういう人間よね」


 奏歌くんはミルクティーは教えてくれたけれど、カフェオレは教えてくれなかった。コーヒーはまだ奏歌くんにとっては飲んではいけないものなのかもしれない。それならば私も飲む必要はないのだが、海香が頼んでしまったのだから仕方がない。

 ちびちび飲んでいると海香が真剣な表情になった。


「あの男、国内に帰って来てるみたいなのよ」

「あの男?」


 誰だろう。

 全然分からない私に、海香が声を潜める。


我妻(あがつま)(せい)よ」

「誰、それ?」


 本当に私はその人物のことを完全に忘れていた。名前を言われても、海香に写真を見せられても全く思い出せない。


「あんたと結婚するって騙して、借金背負わせていった男!」


 そこまで説明されてやっとそういう奴もいたかくらいの感想しか私は持てなかった。


「借金のせいで妻子に捨てられてるって話だから、あんたにコンタクトとってくるかも」

「え? いらない」

「海瑠はそうかもしれないけど、あっちはあんたの貯金に興味があるからね」

「奏歌くんだけでいい」


 我妻という男のどこが良かったのか今の私には全く分からない。当時は男性に振り回されて疲れていて、頼れる相手が欲しかったのかもしれないが、写真で見る我妻は俳優なので顔立ちは整っているのかもしれないが、奏歌くんの方が可愛いし癒されるし、全然好みではなかった。


「私、この男のどこが良かったの?」

「私の方が聞きたいわ!」


 不思議に思って海香に聞いてみると逆に聞き返されてしまった。

 そんなことよりも、奏歌くんのお家で失礼がないように習っておくのが大事だ。


「着物を着るって約束したんだけど、荷物が多すぎるかな?」

「海外公演のときのキャリーケースがあったでしょ」

「座る場所とか、食べる順番とか、作法があるの?」

「そういうのは私もよく分からない。美歌さんなら、海瑠がちょっとくらい間違えても笑って許してくれるわよ」


 そう言われて安心したが、海香ははっとして私に向き直った。


「もしかして、海瑠、『お年玉』って知らない?」

「『お年玉』?」


 耳慣れない言葉に私は聞き直してしまった。

 そんなものを過去に貰ったのかもしれないが、ダンスと歌以外に興味がなかった私は全く覚えていなかった。沈痛な面持ちで海香が額に手をやる。


「お正月には、子どもには『お年玉』って言って、特別なお小遣いをあげるのよ」

「何万円包めばいいの?」

「奏歌くんは保育園! 何万円も包んじゃダメ!」

「それじゃ、いくらが相場?」

「それは、お家によって違うから……」


 詳しく聞こうとすると海香の歯切れが悪くなってくる。

 海香もお年玉を上げたことがないので相場が分からないのだろう。

 こういうときには素直に美歌さんに聞いてしまうのが一番だと私は学んでいた。

 メッセージを送ってから、海香とケーキを追加で頼んで食べること数十分、返事が返って来た。


『気にしなくてもいいですよ。でも、包んでくださるなら、五百円でも奏歌は大喜びだと思います』


 メッセージを二人で見て顔を見合わせる私と海香。


「五百円でいいの?」

「美歌さんはそう言ってる」


 夏からあれだけお世話になった奏歌くんに対する一年間のご挨拶のような特別なお小遣いが、たったの五百円。

 もっと包みたい気持ちを抑えて、私はピカピカの五百円玉を探すことになるのだった。

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