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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
六章 奏歌くんとの六年目
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21.自転車禁止と津島さんの嬉しい知らせ

 劇団から通達があって、それを津島さんが伝えに来た。

 男役のトップスターになるのだからその心得とか色々と学ばなければいけないことがあるのだろうと気を引き締めていると、津島さんが徐に口を開く。


「自転車で通勤するのはやめてもらえませんか?」

「えー!? 奏歌くんと自転車に乗れるようになったのにー!?」


 予想外の言葉に私は大きな声を出していた。

 楽屋で津島さんと顔を突き合わせて二人きり、話す内容は自転車のこと。


「プライベートで自転車で移動することまでは制限できませんが、男役のトップスターになったのですから、身の回りには気を付けないと」


 以前にもストーカー事件や我妻が奏歌くんの保育園まで押しかけて来た事件などが起きているが、劇団は男役トップスターになる私にそんな事件が起きないようにできるだけ安全に稽古場に来て欲しいようだった。


「海瑠ちゃんは車の運転ができないから、私が送り迎えしましょう」

「奏歌くんとデパートに行ったりするのは良いんですよね?」

「それもできればタクシーで」


 自転車のおかげで行動範囲が広くなったと喜んでいた私の気持ちはすっかりとしぼんでしまった。車は運転できないが私にもできることがあったのだとせっかく思えたのに、津島さんと劇団は私の安全のために自転車通勤はやめるように言う。それだけでなく、自転車でデパートに行くのもやめるように言う。

 スーパーなど近場ならばいいけれど、自転車だと顔バレがしやすいし、ファンの皆様は私たちのために配慮してくださる方が大多数だが、中にはファンになったばかりでルールが守れない方もいる。ファンクラブやファン同士で暗黙の了解で、私たち劇団員のプライベートには踏み込まないというのがあるのだが、それを知らない新規のファンもいるわけだ。

 自転車通勤がすっかり有名になってしまった私は、自転車を諦めて津島さんに送り迎えされることとなった。


「私もいつまで海瑠ちゃんのマネージャーができるか分からないんですからね」


 津島さんの言葉に私は固まってしまう。


「津島さん、辞めるんですか?」

「辞めないけど……赤ちゃんができたんです」


 赤ん坊を産む間と産んだ後しばらくは産休と育休で津島さんは休まなければいけない。春公演まではいてくれるが、秋公演の頃には産休と育休に入っているというので、私は慌ててしまった。


「津島さん以外のマネージャーさんが来るってことですか?」

「きちんと引継ぎはしておきますし、海瑠ちゃんは女性のマネージャーに慣れているから女性が来るようにお願いしておきます」


 そこまではきっちりとしてくれると約束してくれた津島さん。安堵してから私は気付く。


「おめでとうございます、津島さん」

「ありがとうございます」


 妊娠、出産はおめでたいことだ。さくらが生まれたときに海香は大変そうだったが、命懸けで赤ん坊を産まなければいけない津島さんの負担にならないように私も努力していかなければいけない。

 秋に生まれるという赤ん坊を楽しみにしながらも、私は津島さんに送り迎えしてもらうという負担をかけることを申し訳なく思っていた。

 稽古の休憩時間に食堂で百合に話せば、百合も津島さんの妊娠の話は知っていたようだ。


「津島さんは私のマネージャーでもあるでしょう。この機会に、私に新しいマネージャーが付いて、海瑠一人のマネージャーになれるようにするらしいけど」

「子どもが生まれたら育児もあるもんね」

「津島さんに甘えてばかりじゃいけないわよね」


 百合と共に決意を新たにした私。

 津島さんの負担を減らすべく、百合が申し出てくれた。


「海瑠のマンションなら、行きがけに寄るのは大変じゃないから、私が送り迎えしようか?」

「良いの?」

「休みが違う日や、帰りの時間が違う日は津島さんにお願いすることになるけど」


 劇団の男役のトップスターなのだから専用の運転手を雇っても良いのではないかと考えてはいたが、そこまでしなくても百合が送り迎えを申し出てくれる。女役のトップスターに送り迎えされるというのは少々贅沢な気もしたが、私と百合は幼馴染で親友なので一緒に通勤しても構わないだろう。

 その話を津島さんにしてみると、驚いていた。


「百合ちゃん、良いんですか?」

「津島さんの負担が軽くなった方が良いし、海瑠と私がラブラブなのもアピールできるでしょう?」


 劇団の方針で男役のトップスターと女役のトップスターは夫婦と思って互いを尊重し合うべしというものがある。百合曰く、私は百合の婿で、百合は私の奥方様なのだ。

 劇団のトップスター同士が仲睦まじいと、その期間の演目は上手くいくという劇団の習わしもある。百合が私を送り迎えすることに津島さんは反対しなかった。


「百合が休みの日や、百合と帰る時間が違う日は津島さんにお願いすることになりますけど、普段は百合に頼みます」

「そうしてくれると助かります」

「津島さんは自分の体を大事にしてくださいね」


 演劇の専門学校を卒業してからずっとマネージャーでいてくれる津島さんとは、もう十年以上のお付き合いになる。私にとっては姉のような相手なので、海香同様健康に赤ちゃんを産んで欲しい気持ちは強かった。それは百合も同じだろう。

 新しいマネージャーさんが見習いとして入って来て、私は津島さんではない女性に警戒しつつも大人しく挨拶をする。


「瀬川海瑠です」

園田(そのだ)です」

「海瑠ちゃんには、お姉さんの海香さんの後輩の息子さんという、可愛がってる親戚みたいな子がいます。その子のチケット手配も必ずしていますので」


 そうだった。

 新しいマネージャーさんが短期的にでも来るのであれば奏歌くんのことを紹介しておかなければいけない。

 奏歌くんは私にとって大事な相手だと津島さんは知っていてくれるが、新しいマネージャーの園田さんは奏歌くんと私の関係を全く知らないことになる。

 恋愛関係ではないのだが、そのうち恋愛関係になるというのは劇団の規則に触れそうなので黙っていることにして、どう言えばいいかを私は考えて奏歌くんに相談することにした。稽古を終えてマンションに帰ると奏歌くんが自転車で部屋に来ている。


「ただいま、奏歌くん」

「お帰りなさい、海瑠さん」


 私が手を洗っているうちに奏歌くんは紅茶を淹れてくれる。甘いキャラメルの匂いの紅茶を飲みながら、私は今日の報告をする。


「津島さんに赤ちゃんができたから、新しいマネージャーさんが来るの」

「津島さんに赤ちゃんが?」

「そうなのよ。あ、それと、自転車通勤はトップスターになったからやめなさいって言われちゃった」


 自転車通勤を禁じられたことでしょんぼりしていた気持ちは、津島さんの妊娠の話を聞いてすっかりと消えてしまっていた。


「自転車で通勤がダメなら、またタクシー?」

「百合が送り迎えしてくれるって言ってくれたのよ。百合が休みの日や帰る時間が違う日には津島さんのお世話になるけど」


 説明してから私は奏歌くんに相談してみる。


「新しいマネージャーさんに奏歌くんのこと、どう説明すればいいかな?」


 私一人ではいい考えが浮かばないので聞いてみると、奏歌くんは少し考えた後でにっこりと微笑んだ。


「やっちゃんと海香さんを巻き込もう」

「やっちゃんと海香を?」


 どうやっちゃんと海香を巻き込むのだろうと考えていると、奏歌くんが説明してくれる。


「やっちゃんは劇団の広報のお仕事をしてるでしょう? やっちゃんの甥っ子が、海瑠さんのお姉さんの海香さんの後輩の息子で、その関係で小さい頃からときどき預かったりしてた。今でも交友があって、劇団のファンでいてくれるって言ったらどうかな?」


 同じ劇団の仕事をしているやっちゃんの甥っ子で、劇団の脚本家の海香の後輩の息子さんという二重の御縁があって、6歳から一緒にいる子どもならば、その後も可愛がっていてもおかしくはない。奏歌くんの説明に齟齬はないように思えた。


「僕、新しいマネージャーさんにも挨拶に行くよ」


 明るく言ってくれる奏歌くんに私はほっとする。

 津島さんにも自分から挨拶をすると言ってくれた奏歌くんは、6歳のときから変わらず頼もしかった。

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