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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
六章 奏歌くんとの六年目
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8.いつか来る別れを思って

 OG科ができること、私が次のトップスターの男役になれること、奏歌くんに話したいことはたくさんあった。

 汗だくで稽古を終えて帰って来た私にお風呂の用意をしてくれていた奏歌くんは、汗を流してさっぱりとした私にアイスクリームまで準備してくれた。


「お湯を使ってもいいことになったから、紅茶だって淹れられるよ」


 ミルクティーとアイスクリームのおやつを食べながら、私は奏歌くんに報告する。


「劇団を去った後も所属できるOG科ができることになったのよ。それに私、次のトップスターになるの!」


 トップスターになることは海香からも聞いていたはずだが、奏歌くんはその辺を突っ込まずにちゃんと聞いてくれる。


「おめでとう、海瑠さん。僕の身長140センチよりも、海瑠さんのトップスター就任を祝わなきゃ」

「ありがとう」


 お礼を言いながら私はしみじみしてしまう。

 奏歌くんと出会った頃には私は既に男役の二番手か三番手の位置にはいた。いつトップスターを譲られてもおかしくはなかったのだが、私が若すぎることと、男役も女役もこなす変わった男役ということもあって、トップスターに選ばれることはなかった。

 同期の喜咲さんが私を追い越してトップスターに選ばれた時点で、自分はもうトップスターにはなれないのではないかと覚悟していた部分もある。それでも私は劇団が大好きで、舞台でしか生きることができないから、劇団を辞める選択肢はなかった。それでも役者として舞台に立った以上は、一番を目指したい気持ちがあった。

 報われなくても舞台は続けたい。一番になれなくてもなろうと努力し続けたい。

 それが遂に叶う日が見えている。


「私がトップスターになって、トップスターの喜咲さんも劇団にOG科として残れるなんて、最高だなと……すごく幸せなの」

「良かったね。海瑠さんの努力が認められたんだね」


 私の努力が認められた。

 ずっと私が努力し続けていたことを6歳から見守ってくれている奏歌くんは知っている。来年の春公演はまだ29歳だが、五月には私は30歳になる。節目の年でもあった。その年をこんな嬉しい出来事で迎えられるなんて。


「奏歌くんのおかげかな」

「え? 僕は何もしてないよ?」


 お礼を言わなければいけないと奏歌くんに向き直ると、食べ終わった抹茶アイスのカップに蓋をしながら奏歌くんはきょとんと目を丸くしている。


「奏歌くんと出会わなければ、栄養失調で倒れてた。そうでなくても、奏歌くんが応援し続けてくれなかったら、どこかで諦めてた気がする。ありがとう、奏歌くん」


 どんな端役でもDVDの端に映っている私を見つけて、奏歌くんは私を応援してくれた。美味しいご飯を奏歌くんと食べるようになったから体力が付いた。

 これからはトップスターとしてますます活躍しなければいけないから、体力づくりのために自転車での稽古場への移動も大事になってくるかもしれない。


「奏歌くんと自転車で出かけることもできるね」

「デパートまででも、自転車で行けるんだよ」

「停めるところは?」


 自転車をどこに停めればいいか分からない私に、奏歌くんが教えてくれる。


「スーパーには入口の前に駐輪場があるでしょう? デパートは地下駐輪場が近くにあるんだよ」

「知らなかった。奏歌くんはよく知ってたね」

「僕、母さんに自転車でデパートに連れて行ってもらったことがあるんだ」


 奏歌くんがまだ小さな頃に美歌さんはママチャリの後ろに乗せてデパートに買い物に行ったことがあるという。車で行くと車を停める時間が惜しくて、奏歌くんが小さい頃は美歌さんは車ではなく自転車を使っていたようなのだ。


「僕がチャイルドシートを嫌がるから、時間がかかって車よりも自転車の方が早かったんだって」


 その頃奏歌くんは3歳くらいだったと聞いて驚いてしまう。


「奏歌くん、3歳の頃の記憶があるの?」

「うん、なんとなく覚えてる」


 私は小学校どころか中学校の記憶も朧気だ。演劇の専門学校に行った頃からやっと記憶がある。


「いや……あれ、何歳だったんだろう」


 一番古い記憶がパッと浮かんで私はミルクティーのマグカップを置いた。

 小さな百合がダンスの稽古をしていて、ずっと一人なのが気になっていた。気になっていたけれど声をかけられずにいたら、海香が百合に声をかけた。


「5歳くらいかな……百合と初めて話したの」


 百合も同じ年で、海香が入りたいからダンス教室に通っていた私たちとは違って、百合は両親が百合を持て余していてお稽古事で時間を潰させてできるだけ自分たちとの時間を作らないようにしていたのだと後に語ってくれた。私の両親が亡くなるまでは百合は頻繁に私と海香の家に通ってきていて、両親が亡くなった後は同じ演劇の専門学校に受験しようと私を誘ってくれた。

 ずっと百合に手を引かれていた人生のような気がする。

 大人になって手を放してしまったけれど、同じ劇団の男役と女役のトップスター同士としてまた手を取り合うときがやってきた。


「早く嫁いできなさいって、そういう意味だったのかな」


 百合にとっては舞台の上でのパートナーは私だったのかもしれない。ずっと違うトップスターを組んでいたけれど、百合は私を待っていてくれた。


「百合さんと仲良しだもんね」

「うん、一番の親友なの」


 呟いてから、胸がすかすかするような不思議な気分になる。

 結婚するのだから奏歌くんとは一生一緒にいるつもりだが、百合とはいつか離れなければいけなくなるときがくる。私が人間ではないことを百合は知らないし、知らせるつもりもない。

 百合と過ごせる時間は残り何年なのか。

 普通の人間と違って老いるのが遅い私の正体がばれないように、そのうち劇団を去って、百合の前からも去らなければいけないことは決まっていた。


「どうしよう、奏歌くん……私、寂しいかもしれない」


 奏歌くんが傍にいてくれるのに寂しいとは何事なのだろうと思われるかもしれないが、素直な気持ちを口にする。


「海瑠さん、ソファに移ろうか」


 私より小さな手で奏歌くんが私を招いてソファに座らせてくれる。膝の上に頭を乗せると、自然と猫の姿になっていた。


「私、いつか百合と離れなきゃいけないんだわ……美歌さんもやっちゃんも、連絡を取り合って会えるだろうし、海香も会えるけど、百合とはいつか、お別れしなきゃいけない」


 ワーキャットとして生きるために居場所を転々とする私に、長くお付き合いができるのは美歌さんややっちゃんや沙紀ちゃん、それに海香や宙夢さんやさくらなどの人間ではないひとたちだけだ。当然奏歌くんは一緒にいてくれるだろうが、5歳からの親友の百合と別れなければいけないのだけはつらかった。


「百合さんに、海瑠さんの正体を言うのはダメなのかな?」

「私の正体を? 信じてもらえないと思う」


 人間生活に溶け込んでいる人外たちは、いないもののようにして扱われている。私たちの両親も私たちが産まれるまでは住居を転々としていたようだし、私たちが育てばまたどこかへ行ってしまったのだろう。


「奏歌くんのお祖母様だって、どこかに行ってしまったでしょう?」


 お祖父様に正体を明かすことなく、奏歌くんのお祖母様は別れを告げて、美歌さんとやっちゃんが育ったら自分もどこかに行ってしまった。どこにいるのか分からないのだから、人間よりもずっと長い生を生きるということはそういう風に隠れながら生きなければいけないというのを体現していた。


「海瑠さんは、百合さんを信じても良いと思うんだ」

「百合を、信じる?」


 奏歌くんが私の毛並みを撫でながら優しく穏やかな声で告げる。


「一番の親友なんでしょう?」


 今はまだ百合に自分の正体を告げる勇気はない。私の正体を告げてしまったら、海香の正体も知られてしまうし、奏歌くんや美歌さんややっちゃんも勘繰られることとなる。

 それでも、いつか私は百合に自分の真実を告げられるのだろうか。

 私はまだその覚悟ができていなかった。


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