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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
五章 奏歌くんとの五年目
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20.海香の修羅場

 二月にはバレンタインデーのディナーショーがある。今年の奏歌くんとのバレンタインデーは一月中に済ませてしまったので、私は心に余裕をもって二月を迎えることができていた。

 大好きな奏歌くんに喜んでもらうためにバレンタインデーには気合を入れなければいけないと、ちょっとは私も緊張していたようなのだ。

 バレンタインデーのディナーショーに向けての練習も伸び伸びとしていたが、ディナーショーのための取材が入って私は喜咲さんと百合と、やっちゃんのいる取材陣からのインタビューに答えていた。


「瀬川さんは私生活が謎だと言われていますが、どんな食べ物が好きとかあるんですか?」

「好きなものはチーズです。それと……最近、お寿司に行ったかな」


 私の答えにインタビューをしてくる記者さんが身を乗り出す。


「お寿司では何が好きですか?」

「なんだろう」


 奏歌くんと食べたネタは一つも忘れていないのだけれど、どれも美味しくて優劣がつけがたい。特に美味しかったものといえば、奏歌くんの取ってくれたお皿を思い出す。


「煮卵! 煮卵の握りが美味しかったです」

「へ?」


 なぜか取材陣の表情がおかしくなっている気がするのだが、それがなぜなのか私には分からない。


「豚トロも美味しかったです。サーモンサラダも」

「海瑠、もしかして、回るお寿司に行ったの?」

「うん、すごく楽しかったよ」


 百合に聞かれて笑顔で答えると、百合が目を丸くしている。


「えーいいなー! 私、行ったことない。今度連れてってよ」

「百合は自分で行けばいいじゃない」


 言い合う百合と私の横で喜咲さんが爆笑していた。

 雑誌のその部分がカットされていることを知るのは後の話。

 取材を終えて私は奏歌くんを迎えに行った。奏歌くんは家で宿題をしていた。


「来年度から五年生でしょう。勉強も難しくなるんだって」

「五年生かぁ」


 水色のランドセルを買うときに悩んでいた奏歌くんが、後二年しかそのランドセルを背負って通学しないのだと考えると感慨深いものがある。奏歌くんはどんな中学生になって、高校生になって、大人になるのだろう。

 背が伸びなくても、ずっと可愛いままでも構わない。この素直で優しい性格さえそのままならば私は永遠に奏歌くんを愛せそうな気分だった。


「茉優ちゃんは今日、中学校の説明会に行ってるんだ」


 茉優ちゃんの姿が見えないと思ったらそういうことだったようだ。今日は茉優ちゃんは美歌さんと中学校の説明会に行っていて、制服や体操服を注文してくるらしい。


「制服や体操服はサイズがあるから計らなきゃいけないんだって。鞄は統一だけど」


 私はこの校区で育っていないので分からないが、中学の制服は男女で違うと奏歌くんが教えてくれた。男の子は学生服で、女の子はセーラー服なのだという。


「海瑠さんは中学時代どんな制服だった?」


 聞かれて私はその辺りの記憶が綺麗に抜けていることに気付いた。中学校の間どんな制服を着て学校に通ったか覚えていない。歌劇の専門学校の頃は朧気にグレーのワンピーススカートにグレーのジャケットだったような気がする。歌劇の専門学校の頃の記憶があるのは、服装に関する規定が厳しかったからだろう。

 男役か女役かで悩んだのも覚えている。

 どちらもできる私は、どちらをメインとするかでとても悩んだ。結局身長が高く伸びたので男役の方を選んだが、今でも女役をやることが少なくない。


「写真が残ってるかも」


 奏歌くんを連れてマンションに帰るつもりだったが、私は寄り道をすることにした。海香に連絡をすると、大喜びされる。


『ついでにさくらのお迎えもしてきて!』

「分かった。奏歌くん、良いよね?」

「うん、さくらちゃんのお迎えに行けるのは嬉しい」


 海香と宙夢さんの家に行く前にさくらの保育園にお迎えに行く。

 さくらは私と奏歌くんを見つけると爆走ハイハイでこちらにやってきた。途中にマットがあろうと、よじ登って真っすぐにやってくる。

 来たさくらを抱っこしてオムツを取り換えて、保育園の先生に挨拶をして海香の家に向かった。抱っこされている間、さくらはもぞもぞと動くし、仰け反るし、落とさないようにするのが大変だったが、赤ん坊とはこんなものだ。それは奏歌くんと見た動画でも学んでいた。

 海香と宙夢さんの家に行くと海香がリビングで死んだ魚のような目でパソコンに向かっていた。


「春公演の脚本が終わらなくて……」


 春公演自体は演目がもう決まっている。

 新選組の物語で、一番隊長を喜咲さんが演じて、一番隊長と淡い恋中にあったのではないかと言われている医者の娘を百合が、私が鬼副長と呼ばれた色男をやることになっていた。

 脚本も前半はできていて稽古に入っているのだが、後半は作成中という状態。大まかなストーリーができ上ってはいるのでそれでもなんとかなるのだが、こういうことがこれまでにもなかったわけではない。

 脚本の出来が遅れて、ぎりぎりになってラストの脚本が渡される。そこから大急ぎで練習をして公演に間に合わせるという、役者にとっては最悪の事態に今回がならないことを劇団全体で願っているのだが、海香の顔を見ているとかなりヤバそうな気がしてくる。


「さくらが寝ないのよ……夜泣きが酷くて」

「さくらが!?」


 さくらは以前に預かったときに私の歌では眠ってくれなかった。なかなか眠らない赤ん坊の相手をするのは大変だろう。


「さくらちゃんは、ハイハイもつかまり立ちも上手になったね」


 ベビーサークルの中で遊ぶさくらを見ている奏歌くんが、さくらの手を取って歩かせている。手を握っていてもらえると、さくらはよちよちと歩くこともできるようだ。

 手を放すとすぐに四つん這いになって爆走ハイハイをして、ベビーサークルにぶつかって怒って泣いている。


「この子、運動量凄いんじゃない?」

「そうなのよ……こんなに赤ん坊が動くなんて思わなかったわ」


 ハイハイでベビーサークルの端まで行ってはぶつかって泣き、方向転換させてもらってまた爆走ハイハイする。

 こんなに動いていたらお腹も空くだろう。


「そうだ、お腹が空いてるんじゃない?」

「お腹も空いてるんだろうけど、動くから疲れてミルクと離乳食を食べさせたら途中で寝ちゃって、お腹が空いてまた起きるけど、泣いて疲れるから、またミルクと離乳食の途中で寝ちゃって……」


 しっかり食べられない状態が続いていて、さくらはずっと空腹の状態のようだった。疲れているので食べているとどうしても寝てしまうようだ。


「抱っこで運動量を減らそうと思っても、嫌がって仰け反るし、泣くし……」


 どうにかして海香をゆっくり眠らせなければ劇団に迷惑がかかってしまう。どうすればいいか分からない私に奏歌くんが表情を引き締めた。


「母さんの傍なら、寝ないかな?」


 そうだ、さくらは運命のひとである美歌さんのことが大好きだった。


「母さん、今日は休みを取ってるし、明日の朝、出勤するときに保育園に預けてもらえば良くない?」


 一日でもさくらがしっかりと眠って、ご飯とミルクで満腹になることができれば、さくらの生活リズムが整うかもしれない。奏歌くんの妙案は私たちに光を差し込んだ。

 さくらの着替えやお泊りセットをバッグに詰めている間に、美歌さんに連絡を取ると、今晩預かるのを了承してくれた。


「離乳食は瓶詰のやつで大丈夫だから」

「母さん、きっと作れると思うよ」

「美歌さん、すごいわ……」


 体力が切れそうになっている海香はとりあえず寝かせて、私はさくらを連れて奏歌くんと篠田家に戻っていた。美歌さんを見つけると、さくらは爆走ハイハイで近寄って、座ったまま両手を広げる。

 抱っこされて幸せそうに胸に顔を擦り付けているさくら。これで少しは運動量が減るのではないだろうか。

 持って来たおんぶ紐で美歌さんに括りつけられたさくらは、嬉しそうにきゃっきゃと笑っているが、美歌さんがキッチンで料理を始めるとうとうとと眠ってしまったようだった。

 眠っている間に美歌さんは私たちの晩御飯とさくらの離乳食を作ってしまう。

 少しの間だが眠れたさくらは離乳食を完食し、ミルクも飲んでご機嫌で遊んでいた。

 私も篠田家で夕食をご馳走になって、帰る支度をする。


「美歌さん、さくらのことよろしくお願いします」

「久しぶりに赤ちゃんと過ごせて楽しいわ」


 美歌さんに抱かれているさくらも嬉しそうに胸に顔を擦り付けていた。

 さくらのことがあって私のアルバムは探せなかったが、それは次の機会に。

 今は海香が脚本を仕上げることが第一だった。


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