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可愛いあの子は男前  作者: 秋月真鳥
一章 奏歌くんとの出会い
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14.奏歌くんのいない日々

 秋の公演が終わって、風もかなり涼しくなった。ストーカーはそれ以後私に手紙を送ることもなかったし、接触もしてこなかった。それでも警戒は怠りなくしなければいけない。

 ストーカーのせいで私の日常が侵食されるなんて冗談ではなかったが、奏歌くんのためにも何事もないようにしなれば。

 警察から聞いた情報に私はぞっとした。


「最近、ここの近隣の保育園や小学校の周りに不審者が出て、瀬川さんの写真を見せて『このひとを知ってる?』と小さな男の子に聞いて回っているんです」


 幸い奏歌くんの保育園は私の住んでいる地区から少し離れた場所にあるのでまだ不審者は現れていないが、それは奏歌くんを狙う前触れのように感じられた。

 私の劇団は劇団内の仕事以外はほとんど回されず、テレビの露出が全くないので写真を見せられても分からない子ばかりだったという。一部の劇好き以外には私は有名ではないのだ。


「声をかけられた子は大抵髪の色が薄かったそうで」


 あぁ、間違いない。

 奏歌くんを探しているのだ。

 マネージャーの津島さんも同席してもらった警察との話し合いで、私は美歌さんとやっちゃんにそのことを伝えておいた。まだ奏歌くんまで辿り着いていないが、ストーカーが奏歌くんを探し出そうとしているのは確かだ。


『しばらくの間奏歌をそちらに泊めない方がいいかもしれませんね』


 美歌さんから帰って来たメッセージに私は膝から崩れ落ちそうになった。

 奏歌くんがいない。

 クリスマスの特別公演に向けての稽古で仕事は忙しくなっていたが、奏歌くんが泊まりに来る日を私は心待ちにしていた。

 奏歌くんのために見やすい壁掛けの時計も買った。カレンダーも買って奏歌くんが来る日には赤いペンで奏歌くんの名前を書いていた。

 奏歌くんに会えないとなると私のテンションは下がってしまった。

 歌もダンスも大好きで稽古は楽しいし、活き活きするのだが、練習が終わると体が重くなる。部屋に帰るとやたらと部屋が寒くて、食欲も落ちてしまった。

 冷凍のお惣菜を温めて食べるのも億劫になって、炊飯器でご飯も炊かなくなる。

 前の生活に戻りかけている自覚はあったが、それを止めることができなかった。

 使わなくなった電気ケトル。お湯を沸かして紅茶を淹れても半分ずつにして飲む奏歌くんがいない。緑茶を溶かして飲んでも、一緒に和菓子を美味しいねと食べる奏歌くんがいない。

 止まったまま洗濯物が溜まる洗濯機。

 お風呂もシャワーだけにしてしまったので、身体の冷えが更に酷くなった。

 震えながら布団にくるまってもなかなか寝付けない。

 そういえば奏歌くんと出会うまでは私は寝つきの悪い体質だった。奏歌くんを抱き締めていると暖かくて安心してよく眠れていた。奏歌くんがいない日でも奏歌くんの匂いの残ったベッドに入るとよく眠れた。


「奏歌くん……」


 会いたいよ。

 全然温まらない冷たい布団の中で、小さく呟いた。

 次に奏歌くんと会えたのは季節が冬に近付いてからだった。曜日感覚のない私は、やっちゃんの取材の日が土曜日だということに気付いていなかったのだ。

 やっちゃんは奏歌くんを稽古場に連れて来てくれていた。


「奏歌くん!」

「みちるさん!」


 やっちゃんを素通りして駆け寄ると、奏歌くんが持っていた紙袋を私に渡してくれる。中にはお手紙がたくさんと、蜂蜜らしき瓶詰があった。


「これね、やっちゃんにおねがいしてつくってもらったの。ショウガのはちみつづけ」

「奏歌くんがお願いしてくれたの?」

「うん、ひえには、ショウガがいいって、かあさんがいってたんだ」


 蜂蜜をお湯に溶かして飲むと体が温まるのだと奏歌くんは教えてくれた。


「こうちゃにいれてもおいしいよ」

「紅茶……ずっと淹れてない」

「みちるさん、やせた?」


 指摘されて私は項垂れた。奏歌くんとの生活でせっかく血が美味しくなったのに、またまずくなってしまったかもしれない。


「奏歌くん、ぎゅってして」

「うん、みちるさん。あいたかった」


 屈むと奏歌くんが小さな手を伸ばして私を抱き締めてくれる。奏歌くんの匂い、体温に安心して私は涙が出そうだった。


「瀬川さん、仕事の後でちょっと良いですか?」


 やっちゃんに言われて私は頷く。不審者の件でやっちゃんが私と奏歌くんを引き離そうとしても、私は離れる気は全くなかった。奏歌くんがいない時間でどれだけ奏歌くんが私に取って必要な人物かを思い知っていた。

 クリスマスの特別講演のために作られたパンフレットを確認して、演出家さんは問題がないと判断した。百合とのインタビューが乗っているページを確認していると、百合が「あ」と声を上げた。


「最近海瑠が食生活改善した話をしたけど、これ、載せるの良くなかったかもしれないわ」

「修正入れますか?」

「ストーカーを刺激するかも」


 こんなところまで気にしなくてはいけないのかとため息が出る。打ち合わせが終わった後で、やっちゃんと奏歌くんを私は楽屋に招いた。

 鍵をかけるとやっちゃんが真剣な眼差しで私を見る。


「もっと大人にならないと吸血鬼は血を欲しがることはないはずなんですよ」


 奏歌くんの話だと私はすぐに分かった。


「奏歌くんに何か?」

「朝起きたら、蝙蝠になってることがあって」


 子どもの蝙蝠なのでとても小さくて最初はいなくなってしまったかと大慌てで探したのだが、奏歌くんが起きて声を出したので分かったのだという。


「俺も姉さんも、吸血は輸血パックで我慢してます。吸血鬼のために安全で新鮮な血液を売ってくれる吸血鬼の医者もいるので」

「奏歌くんも輸血パックじゃダメなんですか?」

「かなくんは……運命の相手の血の味を知っているから」


 輸血パックの血を飲ませようとしたら、奏歌くんは「のめない!」と吐いてしまったのだという。それで毎日のように朝は蝙蝠になってしまうのだから、血を求めているのは間違いないとのこと。


「会わないのはかなくんにも負担なんです。認めたくないけど、瀬川さんはかなくんの運命のひとなんです」


 奏歌くんは会わない間私の血を求めて苦しんでいた。

 私は奏歌くんに会わない間生活でやる気がなくなって、食欲も失せて、寒さに苦しんでいた。


「奏歌くん、血、吸っても良いよ」

「みちるさん、いいの?」


 黙って聞いていた奏歌くんを膝の上に抱き上げると、長袖を捲って手首に歯を立てた。ちくりと痛みが走って奏歌くんの唇が傷口を吸い上げているのが分かる。

 こくりと血を飲み込んだ奏歌くんの眉が下がった。


「またおいしくなくなってる……」

「あぁ! ごめんなさい。奏歌くんが来なくなってから、全然食欲がなくて、あまり食べてなかった」

「もういちど、おいしくなってもらわなきゃ」


 危険でも私と奏歌くんを引き離すことはできない。

 それがやっちゃんと美歌さんの結論のようだった。


「瀬川さんの部屋への送り迎えは俺か姉さんがします。車が下に停まったら瀬川さんは降りて来て、奏歌くんを受け取って、部屋に速やかに戻ってください」

「分かりました」

「宅配も不審者かもしれないから、宅配ボックスに入れてもらって、直接の受け取りはしないように」

「はい」

「宅配ボックスに取りに行くときも、警戒してくださいね」


 奏歌くんに迷惑をかけてしまわないようにしないといけないと頷く私に、やっちゃんは苦々しい表情になる。


「本当は瀬川さんの方が被害者なのに、これだけさせられるなんて納得できないと思います。でも、相手は理屈が通じないだろうから、くれぐれも気を付けてください」

「やっちゃん……私の味方をしてくれるんですか?」

「かなくんとのことは早すぎると思ってるけど、今回の事件は瀬川さんは被害者でしょう」


 常識的な考え方に私は救われる。

 こんな優しいひとに育てられたから奏歌くんも優しくて男前なのかもしれない。


「やっちゃんね、みちるさんがげんきになるように、DVDいれてくれてるんだよ」

「か、かなくん」

「ぼくとみちるさんのこと、みとめないっていってるけど、やさしいんだ」


 私のために奏歌くんに頼まれたとはいえ蜂蜜のショウガ漬けを作ってくれたり、奏歌くんの幼い頃の写真や動画をDVDに焼いてくれたり、やっちゃんの心遣いが有難かった。


「ありがとうございます、やっちゃん……」


 お礼を言うとやっちゃんは照れたのか、無言で手を振って「どうということはない」というジェスチャーをしていた。


「どうしよう、奏歌くん。私、やっちゃんに惚れられてたら」

「え? そうなの、やっちゃん?」

「いや、それだけはない」


 絶対ない。

 繰り返すやっちゃんは真顔で、私も自分で言ってみたもののやっちゃんとどうこうなる可能性は絶対にないと確信していた。

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