1.最悪な男運は私のせい?
瀬川海瑠、24歳。
職業は舞台女優。
演劇の専門学校を卒業して、そのまま女性しかいない劇団に入った私は、男役も女役もこなせる若手としてファンクラブもできるようなスターになっていた。
小学生の頃からダンスと歌のレッスンだけが活き活きとしていて、それ以外はぼーっとした子だったので、姉の海香は私のことを相当心配してくれていた。
中学で両親が事故で亡くなって、海香は脚本家として働き始めたばかりで忙しく、ただただ、私は寂しかった。
それがいけなかったのかもしれない。
劇団に入ってから、友達を作ろうと仲良くなった男性という男性が、酷い相手だったのだ。
私はなまじ劇団で男役をやっているだけに、女性と友達になると、「仕事と私とどっちが大事なの?」とか「あの子と私とどっちが好きなの?」とか難しい問いかけをされる。それが良く意味がわからなくて、男性となら友達になれるだろうと思ったのがいけなかったようだ。
「海瑠、付き合ってるんだから、もうそろそろいいだろう?」
何がいいんだろう。
そもそも、劇団は恋愛禁止なので私は断じてその男性と付き合っていない。
それどころか、私は男役なのでそのイメージを崩さない男性に見えるような格好をしてしかその男性と会っていないはずだ。なんでこんな勘違いをされるのか意味が分からない。
よく分からない私を押し倒そうとした男性には、金的を見舞って逃げ出した。
「こんなに好きなのにどうして分かってくれないんだ!」
ストーカーと化して付き纏う男性は、警察に相談して、しばらくマネージャーの津島さんに送り迎えをしてもらう羽目になった。
気をもたせるようなことをしたつもりはないのだが、男性のような格好の私でも友達になると男性は勘違いしてしまうものなのか。
その他にも、食事に行けば支払いは全部私。私に物を買わせるためだけに呼び出す。私の幼馴染の百合に近付きたくて私と仲良くする等々、色んなことがあって、私は姉に呼び出された。
「海瑠、あんた、男運が悪いんだから男性と関わっちゃだめよ」
私も薄々そうではないかと思っていたので、男性とは距離を置こうと考えていた今年の春、年上の俳優に告白された。真っ向から告白してくる相手は初めてだったので、私は狼狽えてしまった。
「君の劇団が恋愛禁止だって言うのは分かってる。何年でも待つ。いつか俺と結婚して欲しい」
今は約束だけで良いからという彼は、初めて私に告白して来た相手だったので、私の方も舞い上がってしまった。
その後に海香が私に情報をくれた。
「彼、妻子持ちよ?」
「嘘!?」
結婚を公にしていない彼は実は妻子がいた。
それが分かったときには、彼は私に借金を背負わせて妻子と共に海外に逃げていた。
付き合ってないのに付き合ってると勘違いした男性には押し倒されそうになって、しつこい男性にはストーカー化されて、挙句の果てに結婚をちらつかせた年上の俳優に借金を背負わされて消えられた。
積み重なる心労で私は倒れて救急車で運ばれた。
そこから先が大変だった。
食べ物が喉を通らなくなったのだ。
元々私はぼーっとしていて、演劇以外に興味がなくて、食事も今まで自分が何を食べていたか分からないくらい興味がなかった。それがますますひどくなって、食事をすることを拒むようになった私は痩せて倒れそうになって、病院に点滴に通うようになった。
無理に食べ物を口に入れても吐いてしまうことが多いのだ。
夏になっても長袖の下には点滴の痣が無数に隠されている。
そんな状態で引き受けた雑誌取材。
酷い男運の中で、唯一そこそこ仲が良いのに絶対に私に性的関心を抱かない篠田さんは、私の安心できるひとでもあった。同じ年だが私も篠田さんが恋愛対象になることはないであろうと思っていた。
海外の血が入っているのか自然なハニーブラウンの髪と目に少し彫りの深い顔立ちの篠田さん。彼から入った電話の内容は取材の相談だった。
『日程が急に今日になってしまって、実は夏休みで甥っ子を預かっているんです。留守番させるには心配な年齢なんで、連れて行ってもいいですか?』
小さい子と触れ合ったことはないけれど、劇を見に来るお客さんの中には子どもさんもいる。稽古風景を見て、次の公演の雰囲気を掴んでもらって、宣伝用のポスターや雑誌記事を作ってもらう契約だったので、篠田さんが来ないことには私も稽古に入れない。
「いいですよ。連れて来てください」
答えると篠田さんは何度もお礼を言ってくれた。
しばらくしてやってきた篠田さんの後ろには青いマリンキャップを被ったちょっと丈が短くておへそが見えそうなセーラー襟のシャツの可愛い男の子がいた。小学一年生くらいだろうか。
篠田さんと同じでハニーブラウンの髪と目をしているが、顔立ちはお目目が丸くて大きくて可愛らしい。
「その子が甥っ子さんですか?」
「瀬川さん、許可をいただいてありがとうございます。隅の方で大人しくしてますんで。かなくん、このひと、瀬川海瑠さん」
紹介してもらうと可愛い男の子がぺこりと頭を下げた。
「しのだかなたです」
篠田奏歌くん、6歳。
彼が私の人生を変える男性になるなんて、この時点ではまだ想像もしていなかった。
じっと私の顔を見上げた後に、奏歌くんはイルカの柄のリュックサックを降ろして、中からお菓子を取り出した。
チョコパイ、サブレ、ビスケット、マドレーヌ、チョコレート。
「かおいろがわるいの。ちゃんとたべてる?」
「えっと……あんまり」
「はい、これ!」
差し出されたお菓子は一つ一つ奏歌くんが小さな手で包装を解いてくれる。渡されたから食べると、甘い味が口に広がった。
美味しい。
美味しいなんて言う感覚を自分が持っていたことが驚きだった。食べ物は食べないと死ぬから摂取するだけで、食べないで済むのならその時間を稽古に当てたいくらいに私は食に興味がなかったのだ。
それだけではない。
海香曰く「お前は生きるのが下手だ!」とのことで、生活の全般が私はできないことだらけだった。
それなのに奏歌くんのくれたお菓子は、暑い気温と熱い子どもの手でちょっとしけっていたり、溶けていたりするのにとても美味しく感じられた。
もそもそとマドレーヌを食べていると、奏歌くんが黄色い水筒の蓋をコップにして中身を注いでくれる。
「おのどがかわいたでしょう? なつはねっちゅうしょうになるから、すいぶんほきゅうがだいじなんだよ」
渡されたコップの中身を私は一気に飲み干していた。冷えた麦茶が喉を通って、自分がこんなにも渇いていたのだと実感する。
「美味しい……」
「かなくん! もう! すみません、瀬川さん。うちの甥っ子に付き合ってもらって」
「いいえ、ありがとう、奏歌くん」
お礼を言えば奏歌くんは難しい顔で私に言った。
「ちゃんとごはんたべなきゃダメだよ?」
こんな小さな子にも心配される自分が情けなかったが、私は「はい」と素直に返事をした。
「名誉挽回するから、舞台稽古見ていってよ」
「ぶたい?」
「そう、歌って踊るの」
これくらいしか私にできることはない。
舞台に立った私は役になり切った。通し稽古で一時間以上。汗だくになって舞台から降りて休憩時間に入ると、奏歌くんは客席の一番前で一生懸命小さな手を鳴らして拍手をしてくれていた。
「よくわからなかったけど、すごかった! かっこよかった!」
白い頬を真っ赤に染めて言う奏歌くんに名誉挽回ができたのかとホッとする私に、篠田さんが近付いてきた。
「コンセプトとか、演じた感想とか、聞いて良いですか?」
興奮して喜んでくれている奏歌くんとは対照的に篠田さんはどちらかと言えば反応が薄い。演劇がよく分からないと言っているけれど、彼の作るポスターや宣伝記事は劇団でも伝説と言われるくらい良いものなのでインタビューに応じる。
話している間奏歌くんのことが気になったけれど、身体が小さいのか視界に入って来ない。
奏歌くんはどこに行ったのだろう。
インタビューを終えて奏歌くんの座っていた席に行って、私は小さな茶色のものを見つけた。
それは蝙蝠の子どもだった。
「蝙蝠? なんでこんなところに?」
奏歌くんがこっそり持って来たのだろうか。
目を回している蝙蝠をそっとハンカチに包んで、篠田さんに挨拶して私は楽屋に持ち帰った。
その後で奏歌くんがいなくなったと篠田さんが探しているのを、私はまだ知らなかった。
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