『雨呼びの匙』を渡しますか?▼
【メギド ミューの町 郊外】
一番初めに話し始めたのは水棲族だった。
水棲族には色々種類がいるが、今回の代表者は両生類型の者だ。
身体中に滑らかな水陸両用に対応しているぬるぬるとしている皮膚がついており、リザードマンのような形態の者もいれば、人型の者もいる。
人型とは言っても、四肢があって人間の体躯に多少近いとはいえ、頭部の造形はカエルなどの両生類のソレだ。
身体は1メートル程度でそれほど大きくないが、水中での機敏な動きと、武器を巧みに使いこなす器用さがあるので人間は水中では到底太刀打ちできないだろう。
「ここのところ水害が多すぎて、まともに暮らしていけない。ここ最近はかなり酷い。魔道具で意図的に雨を降らしていると聞いているが、即刻辞めてもらいたい」
それに続いて鳥獣族が話を始める。
鳥獣族も多数種類がいるが、此度の代表者は身体が大きく、それに付随した大きな翼と嘴を持ち、脚には鋭い爪を持つ者だった。
体長は私とそれほど変わらない程度でかなり大きい。
鮮やかな羽が生えており、かなり目立つ。
屈強な太い脚が身体から伸びていて、これに蹴られでもしたら一撃死もありえる。
「私たちも同じです。洪水で木がなぎ倒されたり、獲物が逃げ出してしまって食べる物がなくなったりしている」
どうやら鳥獣族も『雨呼びの匙』の雨によって被害を被っているらしい。
確かに災害が多くなればその場に住んでいる他の動物がいなくなり、食料に困るということも十分に考えられる。
「ならここから離れて別の場所へ行けばいいだけでしょう」
吐き捨てるように小声で町長が言うと、当然反感と怒りを買うことになった。
「何故我々が人間の都合で住む場所を追われなければならない!?」
ガッ!
結界の壁に阻まれたものの、鳥獣族の鋭い爪は確実に町長の喉元を狙っていた。
結界がなければ今すぐにでも引き裂かれていただろう。
届かないことを良いことに、町長はわずかに笑みを浮かべている。
それを見て私は「本当にろくでもない人間だな」と落胆した。
「結界があって良かったな。まぁ、私が今すぐにでも解除すれば爪が届くようになるわけだが」
そう言われて町長は恐怖して目を泳がせた。
普段は雄弁な様子だが命がかかっているとなると途端に委縮してしまったようだ。
「それで、お前たちが来た目的をもう一度町長の前で話せ。素直にな」
私が悪魔族に話を振ると、私に噛みついてきた黒い髪を一本に縛っている悪魔族の男が話し始めた。
「俺たちは……人攫いが目的。水棲族と鳥獣族がここんちの人間に困ってるっていう話を聞いて、こいつらを利用して攫って行こうとしてた」
「どこに?」
「魔王城に」
「魔王城に、さ……攫って行ってどうする?」
町長がびくびくしながら訪ねると、悪魔族の男はあまり話したくなさそうな表情をしたが、諦めたように答えた。
「……正直、何に使うのかは知らない。でも、大量の人間が必要だって言われた」
「何に使うのかも言っていないのか?」
「それは知らされてないです。正直、何考えてるのか全然俺ら下っ端じゃ分からないんですよ。本当です」
「…………食料か、あるいは拷問用と考えるのが自然か……? にしては手間が異常にかかるが……」
――あるいは別の使い方があるか……? ゴルゴタが考え付きそうな人間の使い方などその程度のことだろうが……センジュがゴルゴタに何か入れ知恵するとも考えにくい
「パイの町の人間も、今頃何に使ってるのかさっぱり分からないです」
どうやらこの者たちは嘘はついていないようだ。
ただ攫ってこいと言われたから攫いに来たというだけでは、人攫いについてのこれ以上の情報は手に入れられないだろう。
「で? 町長、お前の返答は?」
「え?」
「『雨呼びの匙』の使用をやめろと言う者と、攫って行こうという者が来ている訳だが、結果的にここの町に人間がいなくなれば必然的に『雨呼びの匙』は使われなくなるという訳だ。目的はほぼ合致している」
「……自分たちの身を守るために使っているんです。魔族の侵略から身を守るためには必要なんですよ」
「だが、先ほどこの悪魔らに聞いたが、豪雨が降っていてもこの町に侵入することは容易いと聞いたぞ? 翼があるからな。それでは身を守れないだろう」
「そのために別の武器があるんですよ」
「ジュウとかいうやつのことか? 魔法壁で十分防げる。俺らがいる限り、無駄だ」
そこまで悪魔の男が言ったところで、町長は失笑して笑い出した。
「ふっ……はっはっはっはっは! こんなところで魔王に拘束されているのに、何が“無駄だ”ですか! 笑わせないでくださいよ!」
傲慢な態度に、その場にいたほぼ全員が町長に対して怨嗟を抱いたことだろう。
私もその言い分については耳障りに感じた。
だが、これでいい。
「ほう。いつ私がお前たちの味方になると言った?」
「……は?」
町長は笑っていた顔を強ばらせ、私の方を凝視している。
当然、タカシやカノン、佐藤も驚いた表情で私の方を見ていた。
「結界よりも『雨呼びの匙』の方が良いと言っていたではないか。それに、私は結界を張らないと言った。覚えているか?」
私の言葉を聞いて、町長は焦り気味に私に反論した。
「な、なにを、こんなときに言っているのですか。あなたは人類の方を重んじると……」
「そんなことは一言も言っていない。私は『雨呼びの匙』を借りる為の交渉条件を提示しただけだ。私に託す方が人類の生存率は上がると。そうすれば私は代替案として、結界を張ると。でも、お前は『雨呼びの匙』を私たちに渡さないのだろう? だったら、この町の人間を守る意味も私にはないな」
「ちょっと、メギド。その言い方はあんまりじゃ――――」
タカシが口を出そうとしたので、いつも通り口を魔法で封じた。
「カノン、佐藤、その単細胞を抑え込んでおけ」
「んんんー!」
必死に抗議してくるタカシを無視して私は話を進める。
「私は幸い、魔の王であり、魔族の味方だ。鳥獣族が町長を正当な理由があって引き裂きたいというのなら、私はそれを咎めはしない。だから、結界を今すぐ解いて、悲願を叶わせてやってもいいと考えている」
「ま……待ってくださいよ! そんな……分かりました。お金ならいくらでも払いますから」
「いくらだ?」
「私の総合財産の10分の1……」
「10分の1? 話にならないな」
この期に及んでここまで欲の皮が張っているやつがいるものかと、私は呆れてくる。
「分かりました。分かりましたから……半分、半分でどうですか?」
「私が話している内容をもう一度頭の中で精査した方が良いぞ。私は“何を”所望しているか? まぁ、財産の半分とは中々いい条件だ。もらっておいてもいい」
恐怖に慄いているからなのか、それともそれほどまでに『雨呼びの匙』を渡したくないのか、町長は黙っている。
私は右手の中指と親指をつけた状態で町長の前に良く見えるように提示した。
「この指を弾いて音を鳴らす程度の手間で、私は結界を消せるのだぞ。ほら」
パチン……
私が指を弾いて音を鳴らすと、拘束していた悪魔らの拘束が解けた。
動けるようになった悪魔らは自分の身体の動きを確かめている。
それを見た町長は更に焦り始めた。
「これでもう魔法壁を使ってこの町の武器は無効化できるな。どうする? 試しに結界の外に脚の1本でも出してみるか? どうなるか見物だな?」
乱暴に町長を掴み上げ、結界の際まで引きずっていく。
その状態で顔をぎりぎりまで近づけると、鳥獣族は再び町長の喉を狙って鋭い爪を繰り出した。
ガキンッ!
あと1センチ程度前に出ていたら、町長の鼻はなくなっていた事だろう。
寸でのところで町長を守ったのは結界だった。
「ひぃっ! 助けてください! 死にたくない!」
「大丈夫だ。まだ結界がある。だが、もう一度言うぞ。私のこの美しい指を見ろ」
町長の前に再び私は指を弾く体制を整え、良く見えるように突きつけた。
「お前の出方次第では、結界は今すぐ解除する」
「それだけは! 助けてください!」
私に縋りつくように手を伸ばしてくるが、その手を避けてかわす。
「では私の質問に答えろ。嘘をついたらすぐに分かるからな? 私が味方しているのは人間と魔族のどちらだ?」
「えっと、ま、魔族です!」
「よし。それで、何故私は『雨呼びの匙』を所望している?」
「え……あ……人類の生存率を上げる為……」
「そうだな。それで、お前にとってはこの町の外の人間はどうなってもいいと、そういう訳か?」
「そんなこと、ありません!」
嘘だ。
この男は外の人間のことなど微塵も気にしていないらしい。
「ほう。嘘をつくわけか。本当はこの町の外の人間などどうでもいいと思っているのに、良い印象を与えようと今、嘘をついたわけだ」
「ご、ごめんなさい! つい、見栄を張ってしまって……建前を……」
「次はないぞ。それで、お前の本心としては本当はこの町の人間もどうでもいい、自分だけ私腹を肥やせれば、他の人間の事なんて道具程度にしか思っていない。どうだ?」
「…………そ、それは…………はい……」
ただでさえ私が散々水をかけた事とは別に、町長は相当に冷や汗が出てきている様だった。
心臓の鼓動もかなり早い。
「人間の滅亡の瀬戸際に来ても、まだ自覚が足りないか? 私が言った事実を軽視している。そうだろう?」
「すみません……この町は、外部の情報があまり入ってこないので……」
「ふむ。しかし、今まで自分が投資してきた事業の失脚、言い換えれば自分の生活の質が落ちるということの方が、人類の滅亡よりも怖いと、そう思っているな?」
「…………はい……」
それを聞いたタカシらは、怪訝は表情で互いの顔を見合わせている。
口には出せないが「なんてやつだ」と言いたげな顔をしていた。
「それで? 話を戻すが私はどんな条件をお前に提示した?」
「あ……あの……『雨呼びの匙』を渡す代わりに、結界を張って行くと……」
「でも魔道具は渡せない、結界は必要ないと、話し合いはそういう結論に至ったわけだな?」
「あ……えっと……それは……」
「では、私は今すぐに結界を解除して、お前を始めとするこの町の人間をこの者たちに渡しても構わない訳だな?」
指を鳴らそうと力を込めたところで、町長はついに私の期待していた言葉を口にした。
「分かりました……! 分かりました…………『雨呼びの匙』をお貸ししますから……」
その言葉を聞いて、私は指に込めていた力を抜いた。
それを見て町長は安堵したようだったが、私は質問を続けた。
「お前の財産の半分は?」
「そ、それは横柄では……――――」
パチン!
「ひぃいっ!」
私が指を弾いて音を鳴らして見せると、町長は情けない声を出して慌てて後退りをした。
しかし、結界は消えてはいない。
ほんの冗談だ。
「もう一度聞くが、お前の財産の半分は?」
「は……はい……軍資金として贈呈いたしますので……どうか、結界を解くことだけは勘弁してください……」
「そうか。そこまで言うなら私も気が変わった」
鳥獣族と水棲族は町長が『雨呼びの匙』を手放すと聞いて、一先ずの溜飲は降りた様子だった。
だが悪魔らはそれには当然納得できない。
「メギド様、それじゃ俺たちは……」
「言っただろう。いずれ側にいるだけでどうしようもない理由で殺されるぞ。収穫無しで戻って一か八かにかけるよりはまだ私に協力した方が建設的だぞ」
「…………協力って、何をすればいいですか?」
悪魔らはかなり渋っていたが、私に協力する気になったようだ。
あれだけ私よりもゴルゴタの方がいいと言っていたものの、私のふるまいを見て考えが多少変わったのかもしれない。人間に対して非情な面もあることが理解できたようだ。
「賢明な判断だな。まぁ……そうだな、私がここにいたことは漏らさないようにしろ。亡命している間に発見された場合は“別の町の人間を探しにきている”とか、適当な理由をつけて言い逃れをすればいい。一番良いのはゴルゴタに会わない事だな。それから、知っている情報を全部私に話せば一番役に立つ」
「……最近、上機嫌で……自分だけの武器作ったり、余裕そうにしてますよ」
「…………」
新しい玩具と言っていたのは武器のことか。試したいようなことを言っていたが、何か凶悪な武器を作ったという事だろうか。
私が思考を巡らせていると、肩に乗っていたレインが駄々をこね始めた。
「ねぇ、まだ話長くなりそう? 僕、もう休みたいんだけど」
「……そうだな。もう夜も更けてきたことだ。お前たちはもう宿に戻っていろ」
「んー! んんんー!」
タカシは自分の口を指さしながら唸っている。
そう言えば黙らせておいたのを失念していた。
魔法を解くとやかましいのでもう少し黙らせておくことにする。
「町長は『雨呼びの匙』を取ってこい。私を待たせるなよ」
「い、今からですか?」
「そうだ。お前が持ってこい。他の者をつかわせるな。本物かどうか分からないものを掴まされたくないからな。お前が持ってくれば本物かどうか尋問するだけで真偽が確かめられる」
「でも、距離が……」
「時間がかかるのなら尚更早く行け。私はここで魔族らと話をまとめておく」
「…………」
絶望したような顔をして町長は唖然としているが、私は町長を更にたきつけた。
「何を茫然自失としているのだ。さっさと行け。待たせるなよ」
町長はとぼとぼと歩き出したので「死ぬ気で走れ」と言うと、町長は懸命に走り出した。
走り方がぎこちない。
恐らく、走るのはかなり久しぶりなのだろう。
あるいは本当に死ぬ気で走ったことで死んでしまうかもしれない。
「はぁ……お前たちは先に宿に戻っていろ。カノンは残れ」
「はい」
タカシの口を封印していた魔法を解いた後、レインは羽ばたいてタカシの頭に乗り換えた。
タカシは色々言いたげだったが、「さっさと宿に戻れ」と言うと佐藤に連れられて黙って去っていった。
カノンを残したのは負傷した者の治癒をするかどうかという話をする為だった。
負傷している者はそう多くない。
カノンの体力にもよるが、治し切れない数ではないはずだ。
鳥獣族と水棲族らの怪我の処置について
悪魔族からのゴルゴタの情報収集
町長が戻ってきたら『雨呼びの匙』の鑑定
今後の『雨呼びの匙』の運用方法
私の家来と悪魔らの和解について
私も消耗していて早く休みたかったが、ここで解散させてしまうと悪魔らがゴルゴタに報告しに戻ってしまうかもしれないという懸念があった。
目的が遂げられないと確信している以上は、すぐにでも逃げ出してしまうかもしれない。
――我ながら、狡猾な悪魔族は信用できない
「さて……まずは怪我の処置の話だが――――」
その後、町長が戻ってくるまでの1時間30分の間、ずっと話し合いが続いた。