もふもふされますか?▼
【クロ ミューの町 宿】
雨音がやけにうるさい。
外は雨の匂いにかき消されて、他の匂いはあまりしない。
宿の中は湿気で木が腐っているのか、黴ているような深いな匂いが立ち込めている。
「タカシお兄ちゃんたち、大丈夫ですかね?」
「この雨では偵察にいけないですから……どんな敵が来ているのか分からないですしね。町の構造上、すぐに攻め込まれるようなこともないとは思いますけど」
人間族の女児――――メルと、妖精族の女――――ミューリンが外の窓を見ながら不安そうに話をしている。
私は魔法で身体を小型化して宿の中にいるが、洞窟などのないこんな平地でこれほどの雨に降られたら絶えず氷の屋根を作り続けないとならない。
体毛が濡れるのは苦手だ。
身体が重くなる上に、身体に毛がはりついてくるのは気持ちが悪い。
「クロさん、あたしたち大丈夫でしょうか」
不安そうにメルが私に対して近寄ってきて顔を覗き込んできた。
「この雨と町の構造上、簡単には攻め込まれないだろうな。それに関わらず既に攻め込まれているはずだ」
「でも、ずっと雨が降っていると他の町とか集落に影響が出るんですよね?」
「だろうな。川が決壊したり、地面が崩れて近隣に住む者たちが下手をすれば死ぬかもしれない」
私が身を寄せている永氷の湖の付近では、雪崩が起きることもしばしばあった。
雪が多く降る為に、雪崩が起きやすい状態だった。
その破壊力は魔法をも凌駕する。
自然災害というものの前には私たちは何の抵抗できない。
それをわざと引き起こす魔道具というのは本当に恐ろしく思う。
「可哀想です……あたしたち、何かできないですかね?」
確かに恣意的な力で災害が起こるのだから、憐憫を感じるのも理解できる。
ただ、子供ができることなど何もない。
「…………子供は自分の身を守ることだけ考えていればいい」
「あたしだってホマレ高いまおうさま軍団の一員なんですよ! 役に立たないと! もう自分の事は自分でできる一人前のレディですよ」
どう見てもまだ子供だ。
こんな旅に同行していること自体がおかしいほどに幼い。
これは子供の遊びではない。
血生臭い殺し合い、貶め合いだ。
何故同行させているのか、以前魔王に聞いたときは「画家として家来にした」などと言っていた。
「『具現化の筆』をここまで巧みに使えるのはメルしかいない」
などと言って争いに参加させようとしている。
こんな女児に対してそう言うとは、それほどまで魔王が切迫しているのか、あるいは人間の子供に対してなんの愛着もなく使い捨てようとしているのか、あるいは……信頼を置いているか、絶対的に守れるという自信があるか。
そのいずれかだろう。
「ふん……王座を引きずり降ろされるような魔王だ。管理体制にかなりの問題がある」
私が横臥している状態で興味なく返事をすると、メルはしばらく沈黙した。
返答がないので閉じていた目を開けると、それと同時にメルは私の首と背中の中間部分をひと撫でした。
驚いた私は飛び起きてメルから距離を取る。
「な……なにをする!?」
「嫌でしたか……? もふもふしていて可愛いので、つい触りたくなっちゃって」
「不用意に触れるな。危ないだろう」
「危ないですか?」
「毛に毒がある者もいるし、鋭くなっていて突き刺さる場合もある。不用意に触るべきではない」
「でもクロさんはもふもふで触っても大丈夫ですよね?」
メルは期待を込めた声で私に触れようと迫ってくる。
「…………」
人間というのは、ペットという概念を持っていて、自分が気に入った者を自分の支配下において愛でるという悪癖がある。
飼われている側の利点としては、支配者がまともであるなら食事には事欠かないらしい。
人間の庇護下に置かれることで自らを危険から遠ざけることができるとか。
人間は人間も飼う。
その場合は「奴隷」という言い方をするが、飼われている対象が人間か他の生き物かで呼称が違う事には私は違和感を覚える。
その態度はあまりにも傲慢だ。
そもそもペットなどという概念は私は嫌いだ。
「……私は愛玩されたくない。不愉快だ」
「どうしても、ダメですか?」
「私は貴様らのペットでも奴隷でもない。不用意に相手の身体に触れるのは無礼だぞ」
「ごめんなさい……」
シュン……とメルは肩を落として悲しげな表情をした。
それがどうにも、私に仄暗い感情を持たせる。
言うなれば「罪悪感」というようなものだ。
私は何も間違ったことは言っていない。
私が無礼だと思うのも、不愉快に思うのも真実だ。
だが、メルのあまりにも元気を失くした様子に、私は昔見た人間の少女の面影を重ねた。
――過去――――――――――――――
「クロ、ご飯だよ! いっぱい食べてね!」
「クロの家族はどこにいるのかな? 寂しくない?」
「クロは凄く綺麗な毛並みをしてるんだね。触ると気持ちいい!」
「…………クロ……なんだか最近、気持ち悪くて……」
「ずっとそばにいてね? クロ…………」
――現在――――――――――――――
私はかなり迷った末にこう言った。
「…………1度だけだぞ」
「え?」
「1度だけなら、触っても良いと言っている」
「本当ですか!?」
「節度をもっておかしなところは触ら――――」
言葉を言い終わる前に、メルは私に腕を回して抱き上げようとした。
しかし、変化の魔法で小型化しているとはいえ軽くなっている訳ではないので抱き上げることはできなかった。
抱き上げられない事が分かると、メルは私に抱き着くように腕を回したまま、私の背中辺りの毛を小さな手で撫でつける。
「もふもふ……」
「……………………」
1度だけだと言ったものの、その1度がやけに長い。
「…………」
いざ、そうされると想像しているより不愉快ではなかった。
しかし、私はどうしていいか分からずにピクリとも動くことはできなかった。
ミューリンが私の方を見つめ、珍しいものを見るかのような目で見ている。
こっちを見るなと睨みつけるものの、ミューリンは微笑みながらこちらを見続けた。
「ふわふわできれいな毛並み……温かい……」
「…………もういいだろう。こんなことをしている場合か?」
「不安な時、こうして抱っこすると落ち着くんです。まおうさまもいないですし、怖いです」
人間は自分より弱い立場で愛玩できそうな生き物を抱きしめたり、撫でたりすることで幸福感を感じるらしい。
やはり私はそれに納得できない。
「………………分かった。分かったから放せ」
抱き着いていた腕を放したメルの顔を見ると、事更に不安そうな表情を浮かべていた。
私はメルに背を向けてゆっくりと扉の方へと歩き始める。
「どこに行くんですか?」
「不安の種を軽く追い払ってくるだけだ。そう時間はかからない」
「こんな雨の中出て行ったら危ないですよ」
「雨の中の狩りもする。空腹は天気を待ってくれないからな。あまり気は進まないが、この雨音もいい加減耳障りだ」
と、私が歩き出したところで部屋に空間転移魔法陣が発生した。
そこから魔王と白い子龍――――レインがそこから出てくる。
「まおうさま! おかえりなさい!」
少しの不安が晴れたのか、メルは魔王にかけよって魔王の脚にしがみつく。
たが、その直後に魔王とレインはよろめいて、崩れ落ちた。
レインは魔王の肩から落ちてその場で何か白い半固形物を吐き出し始める。
「……おえぇっ……ぇ……っ……」
そしてのたうち回るように悶えながら苦しそうに吐き続ける。
魔王の方は吐いてはいないようだったが、鋭い爪で床をガリガリと引っ掻きながら息を荒くして苦しんでいた。
――これが空間転移の負荷か……
「ぐっ……」
「まおうさま!? レインちゃん!? 大丈夫ですか!?」
「空間転移魔法の負荷です。メギド様、こちらへ横になってください」
ミューリンがベッドの方へ魔王を誘導しようとするが、魔王はその場から動けない様子だった。かろうじて顔だけを部屋の四方へ向け、定まらない目で部屋を見渡す。
「……カノンは?」
「カノンさんは町の外にいると思われる外敵の元へと行かれました。ここにはおりません……」
「…………はぁ……はぁ……敵襲があったのか? 雨が……かなり降っているが……これは『雨呼びの匙』の雨だな……? うっ……」
「姿は見ておりません。ただ、この雨は敵襲の合図だと聞きました」
魔王はフラフラと立ち上がり、近場にあるベッドに倒れ込んだ。苦しそうな表情で頭を押さえる。
「お水いりますか?」
「いや……私はいい。だが、そこで吐きながら転げまわって吐瀉物まみれになっている龍には必要だな……」
魔王の言った通り、レインは吐いたり暴れまわったりして身体中に吐いたものが付着している。
吐瀉物独特の匂いがして、私は顔をしかめながら少しばかり後ずさる。
「敵襲があったのはどれくらい前だ……?」
「1時間前くらいです」
「そうか……げほっ……ごほっ……はぁ……はぁ……雨のせいか、あるいは結界があるから入ってこられない様子だな……佐藤とあのアホはどこにいる?」
「カノンさんと一緒に魔道具を持って出て行きました」
「…………はぁ……馬鹿なことを……私も行く」
ゆっくりと頭を押さえながら魔王は身体を起こした。
視点があまり定まっておらず、苦悶の表情を浮かべている。
レインの方もバタバタと翼を力なく羽ばたかせ、呻きながら口から未だに白い半固形物を吐き出している。
「そんな状態では役に立たない。役に立たないことを相手に知らしめるのは逆効果だぞ」
「役に立たない……か。私が役に立たないかどうか、お前の目で確かめろ……」
魔王は傲慢な性格が許さないのか、自分が役に立たないと認めたくないらしい。
ふらふらとよろめいているにも関わらず出口に向かおうと足を進める。
「やめておけ。その状態で魔法など使ったら危険だ」
「カノンに治させればいい……居場所は分かるか……?」
「この雨で痕跡は追えない。だが、警鐘が聞こえてきた方角は分かる」
「なら……ぅっ…………そこだ。身体を洗え、レイン……行くぞ」
「動けない……身体中痛い……気持ち悪い……頭が割れそう……世界が歪んで見える……おえぇっ……」
現在の症状を力なくレインは述べる。
今にも動かなくなる勢いで衰弱している様子だ。
「死にはしない……約束した通り……レインが先にカノンに治してもらえ……」
「げぇっ……うぅ……連れてきてよ……最悪の気分…………食べるんじゃなかった……」
これではまるで役に立たない。
回復魔法士のカノンを連れてくるか、あるいは魔王とレインを連れていくかどちらかだ。
空間転移の負荷を味わったことはないが、目の前の二方は苦悶を訴えている。
魔王の方が多少は耐性があるのか、あるいはやせ我慢をしているのか気丈にふるまっているように見えた。
「背に乗せてやるから、早く身体を洗え。背中を吐瀉物まみれにされたくない。吐き気がある程度収まったら行く」
「しばらくは収まらない……私は吐くものがないからいいが、レインはあと3回程吐いたら胃の中が空になる……その後洗えばいい……」
「…………何故無理に戻ってきた? 当初の予定よりも随分早いな」
いくら魔王が無鉄砲だからといって、ただ単に「早く帰ってきたかった」などという理由で戻ってくるはずがない。
「現地にいたゴルゴタの配下の魔族に……ここが現時刻で襲撃されると聞いたものでな……」
「争いになったのか?」
「いや……ゴルゴタから逃げたがっていた…………私に助けを求めてきたくらいだ……」
「それで?」
「口止めをして……情報収集をして……戻ってきた…………仕入れられた情報としてはまぁまぁだ……」
「そもそも危険を冒してまで何のために行った?」
「高位の回復魔法士がそこにいるかもという情報があったものでな……それを調べる為に行った……回復魔法士の回復をさせる係が必要だと考えたからな……」
「連れ帰っていないことを鑑みると、いなかった。そういうことだな?」
「そうだ……」
力なく魔王はそう答えると、メルが持ってきたグラスに入った水を一口飲み、頭を抱えながら長い金髪をかき上げた。
「まおうさま、大丈夫ですか?」
「あぁ……許容範囲内だ……」
「レインちゃんは大丈夫ですか……?」
「吐瀉物を喉に詰まらせて窒息でもしない限り大丈夫だ……あと30分程待て……」
吐瀉物まみれになっているレインは転移してきた直後よりは落ち着いている様子だったが、今度は依然としてぐったりとして動かなくなっていた。
「動かなくなっちゃいましたよ……?」
「呼吸はしている……問題ない……もう一度この状態で転移したら死ぬかもしれないがな」
私は両名ともが回復するまで待つことにした。
メルが不安そうに右往左往としている中で、私と目があった。
何も言わずに、私の身体に腕を回して抱き着くようにしてきた。
再び同じように白銀の毛を撫でつける。
酷く不安そうにしているメルを、私は強く拒否はしなかった。