ここはミューの町です。▼
【タカシ ミューの町】
ミューの町に着いたとき、時間は朝方だった。
俺たちは徹夜の眠気で頭がぼーっとして、頻繁に欠伸が出ている。
なにせ、パイの町で一泊して朝に出発するとメギドは言っていたのに、突然夜中に「ここはやはり安全ではない」と言って急遽夜の22時くらいに町を出た。
メギド曰く、人間がそこに入ったらゴルゴタに知らせが行く魔法が罠として仕掛けられていたという。
何にしてもトレーニングを散々した後の移動だったので、もう俺は疲労困憊だ。
しかし、眠ってしまってはバランスを崩してクロから落ちてしまうので、俺は眠い目を擦りながら必死にクロの毛にしがみついていた。
メルは俺の前で完全に眠っていた。
俺が支えていなければクロから落ちていただろう。
町の周りは大きな川ができており、そこをわずかな水が町を囲う様に流れている。
町は一段、二段と周りよりも高い位置に作られており、跳ね橋で部外者の侵入を拒んでいる様子だ。
遠くから町の外観を見たところ、ミューの町は人があまり外に出ていないが、魔族に襲われた形跡はない。
ただ、クロやメギドを見ると叫びながら家の中に戻っていってしまった。
「メル、ミューの町に着いたぞ。宿のベッドで眠ろうな」
「んー……着いたですか……?」
クロの背で眠ってしまっていたメルを俺は起こして、メルをクロから降ろした。
他の面々もクロから降りて町の門番に手を振って合図すると、門番は中にいる者たちへと連絡を取っている様子だった。
「立派な町だな。なんか、堅牢な守りって感じ。これじゃ跳ね橋を降ろしてもらわないと入れない」
「空を飛んで入れば問題ない」
「でもメギドは俺たちを町まで運ばないだろ?」
「お前たちを運ぶなど冗談ではない」
しばらくすると跳ね橋が降り、降り切ると町の中から鎧を纏ったいかにもという勇者たちが俺たちを迎えた。
勇者たちが跳ね橋を渡り切ると、再び跳ね橋が上がる。
どうやら勇者たちは俺たちに対する偵察隊のようだ。
総勢5人の勇者らだった。
その全員が俺たちを見て腰にある剣を握っていたり、杖や弓を構えて距離を取りながら近づいてくる。
「勇者の方々、こちらの御方は魔王メギド様です。此度の魔族の反乱はメギド様によるものではなく、ゴルゴタという者の独断です。僕たちはゴルゴタを討とうとしている者です。あなた方と戦う意志はありません」
カノンが向かってきた勇者たちに向かってそう言った。
回復魔法士というと後方で大人しくしているイメージがあるが、カノンは前面に出て行くのが得意らしい。
堂々とメギドよりも前に出ている。
それに対して少しばかりメギドは複雑そうな表情をしている。
「回復魔法士の……貴方は、カノンさんですよね……?」
「はい。カノンです」
カノンを見た他の勇者たちは顔を見合わせてその矛を降ろした。
回復魔法士のカノンは勇者らに顔が利くらしい。
「どうして魔王と同行をされているのですか?」
「魔王メギド様はゴルゴタと対立しているのです。僕も家族が連れ去られてしまったので、家族を連れ戻す為に少しでもお力になれないかと同行させていただいてます。僕らに敵意はありません。ここにいる全員、メギド様の仲間です。魔族の方もいらっしゃいますけど、襲ったりはしません」
「…………カノンさんがそう言うなら、そうなのでしょうね」
勇者たちはカノンの言ったことを信じたようだ。
こんなに魔族が好き放題している中で信じてもらえて嬉しいものの、あまりにあっさりしているように感じる。
余程カノンには人望があるらしい。
「なんだ、カノンって有名人なのか?」
「いえ……そんなことないですよ」
「何をおっしゃいますか。若くして活躍している才能のある回復魔法士として有名ですよ。勇者の界隈ではパーティに入れたいという方が多いんです」
「民から略奪するだけのやつらに回復魔法士など必要ないだろう」
勇者たちに対してを吐き捨てるようにメギドがそう言うと、苦笑いで気まずそうに返事を返した。
「勇者も色々なタイプがいるんですよ。町民から略奪してる者たちは最底辺の勇者なんですけど、魔王討伐を真剣に考えている者もいるのです。そう多くはないですけどね」
話をしている勇者はいかにも屈強な戦士という風貌で、重厚な鎧を着用して大きな剣を片手で持っている姿を見て、俺は自分の腕や脚の太さを相手と比べてしまう。
トレーニングをして多少は前よりも筋肉はついたように思うのだが、目の前にいる勇者の方が身体が大きい。
「ほう。私を討ってどうしようというのだ?」
「少し語弊があるようでしたので、訂正いたします。私たちは過去の戦争から学んでいるのです。70年平和が続いてきたとはいえ、いつ魔王が平和を放棄するか分からない。その日が来たら戦えるように日々精進していたのですよ」
「なら、平和を崩したゴルゴタを何故討ちに行かない? 十分に時間はあったはずだ」
「お恥ずかしながら、同胞が向かったのですが……音沙汰もなく、戻ってきません。私たちは魔族からこの町の民を守らなければならず、ここから出ることができないのです」
「ふむ……実力を知らずに挑みに行くのは無謀だと思うが……奴の実力を知る術も今はないという状態な訳か。まぁ、何にしてもそれは私たちが何とかする。お前たちが私たちにできることは『雨呼びの匙』を差し出し、そして宿と食事を提供することだ」
メギドの口から『雨呼びの匙』という言葉が出ると、勇者たちは少しばかり表情を曇らせてメギドの顔を見た。
「『雨呼びの匙』を持っていくのをこの町の人たちは良しとしないと思いますよ」
「そうだろうな。見たところこの町の周辺の堀は『雨呼びの匙』を使った際の水害をいなす為に作られたものだろう。それにより外敵の侵入を拒んでいると」
「そうです。ここにも魔族の襲来があったのですが『雨呼びの匙』のおかげで人々は守られたのです。それを手放すということは、自衛の手段を一つ失うことになります」
この町もクロがいた永氷の湖と同様に、魔道具でこの周囲一帯を守っているらしい。
だとすれば、またそれを借りるという話を進めるのは時間がかかりそうに感じる。
「その『雨呼びの匙』の代わりをお前たち無職がするのではないか?」
「ははは……無職とは手厳しいですね……我々としても5人と派遣されている国王軍で魔族の大群を相手にするとなれば難しいものがありますよ。魔道具ほどの力は発揮できません」
「魔道具を持つ者たちは皆同じ事を口走る。妖精族が持っていた『風運びの鞭』も、手に入れる際にひと悶着あった」
――そのひと悶着の原因は俺なんだけどな……
ミューリンもその件に関しては少しばかり肩身の狭そうな表情をしている。
ミザルデはあのときに処分するという決断をしなかったために、今でも元気に生きている。
それは良かったのだが、相変わらず『嫉妬の籠』にずっと入れられている為に食事も排泄も全部ミューリンが面倒を見ている状態だ。
籠から出す方法も、羽を差し出す以外の方法は見つかっていない。
「魔道具が1つあるだけで戦況が大きく変わるというのは理解できるのですけどね。あのゴルゴタという者を一気に制圧するなら、効率的に使うのがいいかもしれませんが……」
「まぁ、その『雨呼びの匙』の件は町長と話をさせてもらう。私たちは疲れている。町の中に入れてもらいたいんだが?」
「かしこまりました。町長とお話してまいりますのでお待ちください」
勇者たちが合図をすると再び跳ね橋が降り、勇者たちが戻っていくと再び跳ね橋が上がった。
俺たちを警戒していることを肌で感じる。
「大した歓迎ぶりだな」
その町の態度にメギドは腕を組んで少々苛立っているようなそぶりを見せる。
「まぁまぁ、メギド。しょうがねぇよ。魔族が暴れてるんだからさ、慎重になるのも仕方ないぜ。ましてお前は魔王なんだからさ」
「ふん……それにしてもカノン、無職らの間ではお前は有名になる程の腕前なのだな。有名だとは一言も言っていなかったが」
「あー……僕は……そんなんじゃないですよ。ただ、1人でも多くの人を助ける為に回復魔法士をしているだけです」
「以前お前は勇者は臆病者ばかりで魔王城に向かおうとする者はいないと言っていたが、いるではないか」
「…………あの……それについては、あの方たちには言わないでほしいんですが……」
言いづらそうにカノンは言葉を詰まらせる。
目を泳がせながら何度も瞬きをして適切な言葉を探る。
「僕は、その魔王城に向かったと思われる勇者を患者として診たことがあります。全員……酷い有様でした。晒上げるように吊るされていたそうなんですよ。もう……なんというか……メルちゃんの前では言えないような惨い状態でしたが、それでも生きていたんです」
「ほう……」
「恐らく、ギリギリ死なないように調整されてたんです。生死の調整ができるほどの手練れがやったのだと感じました。その勇者たちは……こう言ってました。“もう終わりだ”、“俺たちはあの悪魔には勝てない”、“遠くへ逃がしてくれ”と……」
俺は反射的にメルの耳を塞いでいた。
メルに聞かせられるような話ではなさそうだ。メルは「聞きたいです!」と言っていたが、俺が聞いても気分が悪くなる内容に感じる。
「身体の修復はある程度完了しましたが、立ち向かう気力なんてもう微塵も残っていませんでした。身体の状態を見れば、余程酷い目に遭ったのは明白でしたから、そうなっても仕方ありません。やはり、魔王城に向かおうという勇者はいないんですよ。彼らも、この町を守るという建前を使って、魔王城に行きたくないんです。仲間が帰ってこない理由も、なんとなく察しているからこそ」
「そうだろうな。奴らの話を聞いていて私も同じことを考えていた。この世の終末が来ても『雨呼びの匙』があれば生き残れるとでも思っているのかもな」
本当にそう考えているのなら、絶対に俺たちにそれを差し出したりはしないはずだ。
――名前的に雨を降らせるだけの道具じゃないのか?
以前、メギドから説明を受けた気がするものの、その明確な内容は憶えていない。
「そんなに凄い魔道具なのか? 『雨呼びの匙』って」
「前にも話しただろう。洪水が起こる程の雨を降らせる魔道具だ」
「洪水か……そりゃどう頑張ってもどうにもできないな。って言うか、それ使ったら俺らもやばいんじゃないのか?」
「私、レイン、クロが氷の魔法を使える。水をコントロールすることはある程度可能だ。氷の槍の雨を降らせることもできるし、その大量の水で相手の動きも息も奪うこともできる」
「息を奪うなら気道も肺も炎で焼いちゃえばいいじゃん。っていうか、難しく考えずに遠方から魔王城ごと焼き払っちゃえば?」
投げやりにレインはメルの頭の上で物騒なことを言う。
それを聞いてメギドは険しい表情でレインを睨んだ。
「馬鹿なことを言うな。城ごと焼き払うなどという愚策は却下だ」
「つまんないの。でも洪水を起こしたら、どの道城も無事じゃ済まないんじゃない?」
「それをコントロールするのが私たちの役目だ」
「城を崩しちゃうのが手っ取り早いと思ったのに」
「由緒ある城を破壊しようとするな」
メギドとレインが話をしている内に跳ね橋が再び降りて、中から「魔王様方、どうぞ」という声が聞こえてきた。
その声を聞いて、俺たちは町の中へと向かった。
町民らの冷たい視線を感じながら。