白い狼を説得しますか?▼
【タカシ】
メギドが自身の翼を使って飛んでいるところを初めて見た気がする。
翼を大きく広げた姿は確かに魔王らしい風格だった。
メギドが現れたと同時に、狼は身体に力が入ったのか無理やりに動こうとして震えるが、やはり動くことはできない。
渾身の力を以ってメギドを睨みつける。
「まおうさま! 狼さんが現れて、話してたら急に怒り出して襲われて……タカシお兄ちゃんが!」
「ほう。戻ってきて正解だったようだな、レイン?」
「なーんだ。雷魔法が成功しただけだと思ったのに」
「そんなにすぐあれほどの轟雷を放てるわけがないと言っただろう」
メギドは狼を横目にゆっくりと俺の方へ寄ってきて、俺の状態を確認する。
そして、俺の傷口を見た際にメギドは気づいた。
自分のお気に入りの服が傷の手当てに使われていることに。
メギドが目を見開いてそれを見ていたから、俺はすぐにメギドが気づいたことに気づいた。
その様子を見て、俺は様々な意味で冷や汗が出てくる。
「…………」
俺の目をメギドは冷たい目で見てくる。
俺は最大限に瞬きと眼球を動きで決死の覚悟で無罪を訴えた。
違うんだメギド。
俺のせいじゃない。
俺はやめろって心の中で声が枯れるまで叫んだんだ。
本当だ。
信じてくれ。
と、言いたいが、一切声が出ない。
メギドは短いため息をついて、俺の脚に氷魔法を使って応急的に止血した。
めちゃくちゃ冷たくて痛い。
しかしその文句を言うことも俺はできなかった。
メギドは狼と目が合う場所まで歩いて移動し、その目を見据えた。
「それで、お前は何故こいつらに襲い掛かったんだ? 何か怒らせるようなことを言われたか? まぁ、こいつは他者を不愉快にする才があるから、怒っていたとしても何も不思議なことはないがな」
「………………!」
冗談を言っているメギドの軽薄な空気とは裏腹に、狼は怒りからか更に身体に力が入ったのか、無理やりに『縛りの数珠』の拘束から逃れようとしている。
狼の身体から血が噴き出し、白い毛並みがところどころ赤く染まっていく。
「……やめておけ。身体が千切れることになるぞ」
「……っ…………!!」
狼はなおも抵抗をやめない。
次々に血が身体から噴き出すのも構わず、メギドに襲い掛かろうと牙を向いている。
「仕方ない。拘束をといてやるから暴れるなよ」
俺の腕に絡めてある『縛りの数珠』をゆっくりと爪先で外した。
外れると縛りが解け、俺と狼は身体が自由になった。
それと同時に俺は脚の痛みが鮮明になり、その場に脚をついて脚を抱きかかえる。
「いってぇ……」
狼は後ろへ跳び、メギドと距離をとって警戒態勢に入った。
「何故、魔王がここにいる?」
「『氷結の珠』を取りに来た」
「何故だ!?」
狼の身体の青い炎が激しく燃え盛っていた。
今にもまた襲い掛かってきそうな勢いだ。
狼の血が雪を赤く染める。
「何をそう憤っているのだ? 私は争いに来たわけではない。落ち着け」
「落ち着いてなどいられるものか! 私たちの住む場所を奪おうというのだからな!」
「住む場所を奪うなどとは言っていない。『氷結の珠』を取りに来ただけだ」
「愚かな魔王め……! 今更魔王城から出てきておめおめと……!」
「そう殺気立つな。順序を追って説明しろ」
「ふっ……魔王であっても我らの事など塵程にも気に留めていないということだな……飾りの魔王などもういらぬ。魔王の世襲制など、終わりにしてくれるわ!!」
狼は再び青い炎を俺たちに向けて放ってきた。
メギドとレインが同時に魔法を発動させ、その炎を迎え撃つ。
赤い炎と、青い炎が衝突して辺り一帯が凍てつき、溶け、燃え、そして再び凍てつくということを繰り返していた。
狼の青い炎は次第に押され初め、そして押し切られると感じた狼は回避する為に横へ跳んだ。
木をなぎ倒し、狼は体勢を立て直す。
メギドはレインをメルに託し、狼の近くまで翼を羽ばたかせて飛んで近づいた。
「やめておけ。怪我をしたくないだろう」
「黙れぇええええっ!!」
狼は鋭い爪や牙、炎で空中にいるメギドを仕留めようとする。
しかしそれは一向に当たる気配がない。
いつも俺の上に乗って「疲れた」と言っている姿からは想像できないほど機敏な動きと魔法を操り、それを避け続ける。
「こんなことは時間の無駄だ。お前と私の問題は会話で解決できる。力で殴り合ってもお前の立場が危ぶまれるだけだ。それが分からないとは、愚かだな」
「貴様ほど愚かではないわ!」
「話にならないな」
――攻撃すべきか?
メギドはそう考えたが、話し合いを提案しておいて自らそれを破るという行為はスマートではないと感じ、メギドは話を強引に続けることにした。
「『氷結の珠』を手に入れたい訳をこのまま話してもよいか?」
メギドは狼と応戦しながら話を始める。
攻撃を避け、いなし、逸らしながらメギドは話を続けた。
狼がメギドに攻撃をする際、その移動した分木々がなぎ倒されていく。
「ここにいたらまずいんじゃねぇの……?」
「タカシお兄ちゃん、動かない方がいいですよ。脚が……」
「そうだよ。動かない方がいいよ。魔王も、僕たちの位置を把握しているから攻撃を的確な方向へいなしてるんだ。下手に動いた方が危険だよ」
レインは時折飛んでくる青い炎を、炎の魔法でかき消した。
「まったく、僕に魔術を使わせないでよね。疲れるんだからさ」
「お前、メギドみたいなこと言うなぁ……」
「お前も“お前”、“お前”って……魔王みたいに偉そうに。僕はレインだ。今度僕のことを“お前”なんて言ったら、お前を丸焼きにするからな」
「え……なんでそんなに怒ってるの?」
「だーかーらー……もう、説明するの面倒くさい。とにかく“お前”って言わなければいいんだよ。僕にはレインって名前があるんだから」
俺たちがそんな話をしている間にも、メギドは狼と激しく交戦しながら対話していた。
「人喰いアギエラの復活を企む、今魔王を名乗っているゴルゴタという男を止めなければならない。奴とやりあうには私の力だけでは心許ないので、魔道具が必要なのだ」
「知ったことか! ここは私たちの最後の住処! 奪われるわけにはいかない!」
「もう一度聞くが、何故『氷結の珠』を取ることがお前の住処を奪うことになるのだ?」
「環境に追われ、人間に追われた我々の居場所はもうここにしかない! 自然の厳しさをまざまざと突きつけるこの場所が、人間から我々を守っているのだ! それを奪うことが、我らの住処を奪うことになると何故分からない!?」
メギドを殺さんとしようとする狼は、本気でメギドを仕留めようと攻撃を続けている。
メギドと狼の戦いは目にも留まらぬ速さだった。
狼の言葉に、俺はメルが言っていた言葉を思い出す。
ここには沢山生き物がいるという言葉だ。
メルが撫でていた雪ウサギの姿を俺は思い出していた。
「ほう……そういえば本で読んだことがあったような気がするな。大狼族……お前たちは温度変化に弱く、淘汰されてきたというわけか。そして人間にも追われ、人の寄り付かないこの場所に根ざしていると……」
「そうだ!」
メギドは攻撃を避けながら、片腕を組み、片手で自分の顎に指をかけながら考えるそぶりを見せた。
そして数秒考えた後に、メギドは答えた。
「では、『氷結の珠』は諦めよう」
「何……?」
それを聞いて、狼は攻撃の手を止めた。
「事細かな数多存在する各魔族の行く末というものは興味がなくてな。淘汰されるのも自然の摂理よ。やむを得ないと考えている」
「ならば……!」
「最後まで聞け。やむを得ないとは思っているが、私は率先して干渉するつもりはない。生かしたい訳でも、殺したい訳でもない」
その言葉に、狼は黙ってメギドの言葉に耳を貸している。
「この場所を拠り所に生きている者が多くいるということは、魔王城からろくに出た事のない私は知らなかった。考えもしなかったし、気に止めたこともない。悪かったな。非礼があったことを詫びよう」
「………………」
「お前も、私に非礼があったことを詫びよ。それで此度の諍いは幕引きだ」
狼は警戒態勢を取ってメギドを威嚇し続けていたが、メギドの言葉を信じたのか警戒態勢を解き、改めてメギドの方へと向き直った。
「その言葉に偽りはないな?」
「偽りを口にして何になる。私は嘘など言わない。あるいは虚偽か誠か、己の目で判断しろ」
「………………」
狼はメギドに対して頭を垂れた。どうやらメギドの言葉を信じてくれたらしい。
「…………すまなかった。愚かだと言ったことは訂正する。それから、貴様の家来に我が爪を向けた事も謝罪しよう」
「よかろう。賢い者は嫌いではないぞ」
メギドは戦いによって荒れ果てた森を見た。
メギドの炎によって燃えてしまっている場所もあれば、狼が暴れたせいで荒れてしまっているところもある。
「森が荒れてしまったな……」
メギドが妖精の森と同様に魔法を発動させると折れてしまった木々から新たな芽が芽吹き、元の木になった。
そして同じように冷気によって凍り付いていく。
「……驚いた。森が元通りになっていく……しかもこれほどの規模とは」
森は木の配置こそ細かい部分は違えども、ほぼ同じように再生された。
これを見るのは二度目だが、やはり一瞬にして木々が生えていくのは圧巻だった。
「……魔王よ、身を削りそれをしてなんとする?」
狼は地上に降りてきたメギドにそう問うた。
「身を削りって……なんだ……?」
「何も知らぬのか、浅はかな人間よ。つまり……破壊は容易いが、育むのは途方もないエネルギーと時間がかかる。それをこの規模、この短時間で成し遂げるということは、想像もできぬほどの魔力が必要なのだ。いくら魔王といえど、身を削る大義と言えよう」
狼のその言葉に思い当たる節があった。
メギドは妖精の森を直した後、具合が悪そうに見えた。
身体も異様に冷たかったのを覚えている。
「メギド、大丈夫なのか?」
「……この程度、造作もないこと……っ……」
メギドはふらつき、近くの木にもたれかかる。
視点が定まっておらず、何度も白い吐息を吐き出して息を荒げている様だった。
それを見て、俺は慌てて脚を引きずりながらメギドまで駆け寄った。
まだ妖精の森を直してから、1日と少ししか経っていない。
その疲労がまだ残っているのかもしれない。
ぐったりとしていて、再び身体が冷たくなってしまっていた。
今度は妖精の森のときとは異なり、更に具合が悪そうに見える。
「無茶すんなよ。死んじまったらどうするんだ!」
「馬鹿を言うな……この程度のことで死ぬわけがなかろう」
「魔王の体温が下がっている。ここから急いで離れよ。魔力の消費のしすぎで冷気耐性が落ちているのだろう」
狼はメギドと俺を見下ろしながらそう言った。
「あぁ……でも、馬が逃げちまったから、背負っていくしかねぇ」
馬は狼が襲ってきた際に、驚いて逃げてしまっていた。
だから担いで湖から離れていくしかない。
「私が魔王様を魔法で温めます」
「駄目だ。お前はミザルデと自分の体温を保ち続けろ。メギドは俺がなんとかする」
ミューリンは温度変化の魔法は得意ではないと言っていた。
だからメギドの身体全体に魔法をかけて、自分たちの体温を保てるかどうかは分からない。
俺はぐったりしているメギドを背負って俺は一歩一歩進み出した。
まだ数珠を使った反動で俺の身体は怠く、脚の傷は氷の冷たさで麻痺していた。
だが、メギドがかけた氷結魔法はそれほど強いものではなかったらしく、溶けてしまって再び出血し始める。
俺は一歩を踏み出すのもやっとの状態だった。
「……メギド、待ってろ。すぐに温かいところ連れてってやるからな」
「…………」
一歩進むたびに、俺の脚の傷から血が噴き出て俺は痛みに顔をしかめた。
それでも俺は諦めなかった。
どんなに遅い一歩でも、俺は諦めたりしない。
「絶対に、助けてやるからな。もうちょっと頑張れよ」
「………………」
俺は着実に一歩一歩進んでいたが、ぬかるんでいる地面に足を取られることもあった。
滑るとバランスを崩し、背負っているメギドを落としそうになる。
「……見ておれんな。私の背に乗るがよい」
狼は俺とメギドを咥えて、空中へと俺たちを放り上げた。
そして背中に俺たちを乗せると、狼が身体にまとっている青い炎は一時的に消えた。
乗った狼の背は見た目通りフワフワとしており、暖かいと感じた。
「掴まっていろ。振り落とされるなよ」
「待って、ちょっと! うわぁああああっ!」
狼は凄い速さで湖から遠ざかって行った。